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森山大道「北海道」(6)

2009年07月28日 23時44分35秒 | つれづれ読書録
承前

44
 闇に浮かぶ青函連絡船「十和田丸」の巨体。筆者もお世話になりました。


45左
 堤防の上に一列になって横たわる4人。奇妙な光景だ。


47
 スナック?店内。中央に置かれたポータブルストーブがいかにも北海道らしい。


48
 「SEIKO 中谷時計店」「やき鳥 都」などの看板が見えるが、場所は不明。左側の舗道には郵便局らしい看板や丸型ポストがある。その後ろには「日糧パン」の看板もあるので、まず道内には違いないが。


49右
 これも青函連絡船。煙突の「JNR」は、日本国有鉄道の頭文字。


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 石炭を積んだ貨車が1台だけ置かれている。広い線路敷地の横を、買物帰りとおぼしき女性がこちらに背中を向けてあるいている。


53右
 国道5号から小樽中央市場の右側(東側)の下り坂を望んだ1枚。通称船見通といい、中央市場のたたずまいは現在とあまりかわらない。遠くに海が見える。小林多喜二晩年の未完の大作「転形期の人々」の主舞台「岩城ビル」(ビルは名だけのおんぼろアパート)のモデルとなった建物はこの近くにあった。


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 踏切の右手の坂道のかたわらに
 「学校法人夕張商科専門学校」
という看板が傾いて立っているので、夕張であろう。
 夕張市史の上巻に次のようにある。

学校法人佐渡学園佐渡悦太郎が校長となって、一般教養簿記、タイプの教育を目的として、本町一丁目旧図書館跡に設置された各種学校である。その設置は昭和四十六年四月一日で、生徒数は昭和四十六年度三〇名昭和四十七年度二八名、翌四十八年一五名と振わず、昭和四十九年は休校、同年十月一日廃校となった。

 線路をたどっていくと、なつかしい腕木式信号機が立っているのが見える。駅のホームらしきものも見える。
 なお、この写真は、夕張市美術館でひらかれる森山大道展のちらしにつかわれている。


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 網、リヤカー、干した魚など、いかにも漁村らしい雰囲気。女の子が立っているのは、家の玄関というより土間兼作業場の入り口のようなところかもしれない。


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 28ほどの確証はないが、この写真も北海道ではない可能性がある。
 左手の軽トラック(三菱ハイゼット)が倉敷ナンバーである上、家々が瓦屋根であるためだ。


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 これもふしぎな光景。左奥、れんがのアーチを持った建物の手前、れんが塀との間で管楽器を練習している人物がおり、右手前にも、背中をこちらに向けてトロンボーンをふいている人物がいる。どうしてこんなに離れて、しかも互い違いの方向をむいて演奏しているのだろう。左の建物は、北大農学部や旧理学部を思わせる格調の高さがある。


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 「東映劇場」の看板がはげ掛けた古い映画館。「ジョーズ」がはやっていたころらしく、やたらとポスターがならんでいる。ほかに「さらば夏の光よ」「青春の構図」「爆走トラック’76」といった文字が見える。右端には「バラ焼 重光食堂」の看板も。とりあえず札幌ではないだろう。
 駐車している車のナンバーが2台とも「青」に読めるのがひっかかる。ひょっとして青森県五所川原市?


この項つづく


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