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昨年から道内各地で順次開催されている森山大道写真展。
また、「北海道」と題された大部の写真集も出版された。
どのページ、どのプリントを見ても、まぎれもなく森山大道の写真でありながら、同時に、「写真は記録である」というテーゼが成立する、まことに不思議で、貴重な体験をしている。
実際には、撮影地がわかるのは、せいぜい1割か2割程度だが、判明した撮影地には、行きたいという気持ちが猛烈に強まってくるのだ。
もちろん、わざわざそのために、どこかへ行くほどのヒマはないのだけれど、これまで夕張や美唄で、三十数年前に彼がシャッターを切った場所とおなじところに立ち、うつりかわりを比べてみるということをしてきた。
先日、バスで新さっぽろに向かっていたとき、写真集に、
「白石区菊水7条4丁目」
の写真があったことを思い出して、いてもたってもいられなくなった。
その写真では、木造の平屋の家が、道の両端にずらりと並び、遠くに藻岩山が見えていた。
1970年代には、そのような家が、札幌市内にはいくつもあった。板を横に組んだ、モルタルもサイディングもない古びた家。筆者自身もそういう家に住んでいた。
自分は、菊水7条4丁目を目撃しなくてはならない。
そんな気分になり、バスをおりて現地へと向かった。
当該の住所には、おなじくらいの幅の生活道路が2本ある。
そのうちのひとつが、冒頭の画像である。
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2本とも、往時のような木造家屋は、もちろん残っていなかった。
昔の地図と見比べてみて、はじめて、かつて東札幌駅があった場所が、いま巨大なショッピングセンターのあるところだと分かった。
森山大道の時代にはすでに地下鉄東西線が菊水地区を縦断していたが、それによる交通の便の向上が、この一帯から古い家を一掃し、高層住宅だらけにしてしまったのだろう。
あの写真に登場しているような木造家屋は、札幌では、苗穂駅の南西などにポツポツと残る程度である。
また、「北海道」と題された大部の写真集も出版された。
どのページ、どのプリントを見ても、まぎれもなく森山大道の写真でありながら、同時に、「写真は記録である」というテーゼが成立する、まことに不思議で、貴重な体験をしている。
実際には、撮影地がわかるのは、せいぜい1割か2割程度だが、判明した撮影地には、行きたいという気持ちが猛烈に強まってくるのだ。
もちろん、わざわざそのために、どこかへ行くほどのヒマはないのだけれど、これまで夕張や美唄で、三十数年前に彼がシャッターを切った場所とおなじところに立ち、うつりかわりを比べてみるということをしてきた。
先日、バスで新さっぽろに向かっていたとき、写真集に、
「白石区菊水7条4丁目」
の写真があったことを思い出して、いてもたってもいられなくなった。
その写真では、木造の平屋の家が、道の両端にずらりと並び、遠くに藻岩山が見えていた。
1970年代には、そのような家が、札幌市内にはいくつもあった。板を横に組んだ、モルタルもサイディングもない古びた家。筆者自身もそういう家に住んでいた。
自分は、菊水7条4丁目を目撃しなくてはならない。
そんな気分になり、バスをおりて現地へと向かった。
当該の住所には、おなじくらいの幅の生活道路が2本ある。
そのうちのひとつが、冒頭の画像である。
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2本とも、往時のような木造家屋は、もちろん残っていなかった。
昔の地図と見比べてみて、はじめて、かつて東札幌駅があった場所が、いま巨大なショッピングセンターのあるところだと分かった。
森山大道の時代にはすでに地下鉄東西線が菊水地区を縦断していたが、それによる交通の便の向上が、この一帯から古い家を一掃し、高層住宅だらけにしてしまったのだろう。
あの写真に登場しているような木造家屋は、札幌では、苗穂駅の南西などにポツポツと残る程度である。