(承前)
筆者は、書はしろうとであるから、字釈などにこだわらず好き勝手に見て楽しむ。
したがって以前は、漢字でも、大字には造形感覚の個性の違いが現れて、おもしろがっていたが、行書の多字数書などは書展会場で見てもほとんど素通りだったのが正直なところであった。一つ一つの文字が小さいので、どう鑑賞してよいのか、わからなかったのだ。
ところが2008年、梅木陽一さんの社中展で、貫名菘翁による蘇軾「赤壁賦」の六曲屏風を見て、その魅力に取り付かれた。かなりのスピード感があるのに、一つ一つの字をおろそかにしていない。線質がやわらかく、雅の味がある。これは、たいしたものだと、ひとつひとつ文字を目で追い、行書を心行くまで堪能した。
だから今回、その「赤壁賦」の六曲屏風を含む44点もの、貫名菘翁の書画が展示されると聞いて、これは見に行かねばと心が躍った。
とはいえ、まだ会期が終わるまで間があると思うと、なかなか足が向かず、3月12日に国際書道協会の新谷谿雪理事長が「貫名菘翁書の魅力について」と題してギャラリートークを行うというので、ようやく訪れた次第である。
貫名菘翁は安永7年、徳島生まれの儒者にして画家、書家である。
巻菱湖、市河米庵とともに「幕末の三筆」と称される。生前は、江戸にいた米庵、菱湖のほうが盛名が高く、明治の紙幣の文字は米庵を範にとり、政府の官用文字は菱湖流であるとされている。
しかし、その後は日下部鳴鶴らの絶賛により、貫名菘翁が現代書の先駆者であるという評が固まってきている。
新谷さんは、この日のトークで、生徒さんたちに菘翁の代表作「左繍叙」を臨書させたら、全道書道展でどんどん特選や秀作になったと明かしていた。これも、菘翁が現代の書に直接つながる証左であるとのことだ。
では、菘翁の書の特徴はどこにあるか。
新谷先生によると「優雅で、それでいてあたたかい。強さがあり、品がいい」ということになる。
菘翁はもともと絵をよくした。母親が狩野派の絵師の娘であった。
絵とは、江戸期のことであるから、水墨画、南画、文人画である。筆さばきの見事なことは、絵の巧みさからきているのではないか。
菘翁は医術や儒学をおじに学び、わずか13歳で治療所を開いた。ほどなくしてそれを閉め、17歳のときに高野山に入っている。
そこで、出合ったのが、空海の真筆であった。それを懸命に学んだ。
高野山には、空海が唐から持ち帰った欧陽詢、褚遂良、願真卿など大家の書もあり、それも吸収した。
当時、日本では、お家流と呼ばれるくずし字が流行し、寺子屋でも教えられた。
それに組しない書家は、明清風の唐様を多く書いた。
菘翁は、同じ唐様でも、王羲之に範をとる時代の書の古典を学び、さらに平安期の書にも接している。だから、菘翁は独学であり、しかも10代の高野山時代にさまざまな書をマスターしているので、それ以降、加齢に伴う変化が少ない。若いころに完成しているのである。
新谷さんのお話は、そのようなものであった。
実際に作品に接してみると、たしかに菘翁の線は優雅で、流れるようなやわらかさをもつ。
それは、かなの古典に学んだためだそうだ。
今回は1点だけ、かなの作が出ている。もっとも、個人的にはあまり好みではないが。
多いのは漢詩。自画自賛もあり、画のみの作もある。
(自画自賛というのは、自ら描いた掛け軸の絵に、自分で詞書を入れるというのがもともとの意味。そこから転じて、自分をほめる、という意味になった。だから、最近のスポーツ新聞などでよくみられる「自賛」という表現は、正しくない)
漢詩は、一部をのぞいて作者がわからない。
李白や杜甫を写したのではなく、自分で詠んだのだろうか。
新谷さんによると、画賛を書き入れるというのは難しいのだそうだ。
余白のとり方などに意を用いるのだろうか。
たとえば、次のような漢詩が添えられた南画の掛け軸を前にすると、まるで河合玉堂の絵を見たときのような、のびやかな気分になってくる。
世人或いは謂う是れ閑人と
閑人の閑は是れ真なるを識らず
独り有り清江に垂釣の叟
終年只理す一糸緡
絵では、水草が風になびく波打ち際に岩のがけが迫り、近くでは、釣り糸を垂れる人を乗せた小さな舟が揺れている。遠くに山がかすむ。
まさに没我の境地である。
菘翁の画は、幽谷山林よりも、穏やかな水の景色が多い。
たとえば、次の漢詩もそうだ(原文を掲げる)。
招々煙渚柳 引人上漁舟 未遽下芳餌 注矚泳游
いずれにせよ、わずらわしい現世を避けて、しがらみのない人里離れたところでのんびりしようという、唐の士大夫階級以来の伝統的な心持ちが、続いているのだといえる。
人によっては、それは現実社会の矛盾に目をつぶろうとする姿勢ではないかと批判するであろう。
しかし、ここではそういう話には深入りしない。
筆者が気に入ったのは「島佛苦心誰継産」で始まる漢詩。
明らかに、書き出しと末尾の運筆の速度が違う。興に乗ってついついスピードがアップしたのだろう。書いた人の息遣いが聞こえてきそうだ。
とにかく、書にたずさわる人で、この展覧会を見ない手はないと思うし、ふだん書を見ない人でも、本当にうまいというのはどういうものかに触れて、静かなひとときを過ごしにくる価値はじゅうぶんにあるだろう。
筆者も時間が許せば再訪したい。
2016年1月13日(水)~3月31日(木)午前10時~午後5時、火休み
小原道城書道美術館(中央区北2西2 札幌2・2ビル=旧セコム損保札幌ビル=2階)
一般300円、大学生以下無料
■ASAKA展に貫名菘翁の書作品 (2008)
筆者は、書はしろうとであるから、字釈などにこだわらず好き勝手に見て楽しむ。
したがって以前は、漢字でも、大字には造形感覚の個性の違いが現れて、おもしろがっていたが、行書の多字数書などは書展会場で見てもほとんど素通りだったのが正直なところであった。一つ一つの文字が小さいので、どう鑑賞してよいのか、わからなかったのだ。
ところが2008年、梅木陽一さんの社中展で、貫名菘翁による蘇軾「赤壁賦」の六曲屏風を見て、その魅力に取り付かれた。かなりのスピード感があるのに、一つ一つの字をおろそかにしていない。線質がやわらかく、雅の味がある。これは、たいしたものだと、ひとつひとつ文字を目で追い、行書を心行くまで堪能した。
だから今回、その「赤壁賦」の六曲屏風を含む44点もの、貫名菘翁の書画が展示されると聞いて、これは見に行かねばと心が躍った。
とはいえ、まだ会期が終わるまで間があると思うと、なかなか足が向かず、3月12日に国際書道協会の新谷谿雪理事長が「貫名菘翁書の魅力について」と題してギャラリートークを行うというので、ようやく訪れた次第である。
貫名菘翁は安永7年、徳島生まれの儒者にして画家、書家である。
巻菱湖、市河米庵とともに「幕末の三筆」と称される。生前は、江戸にいた米庵、菱湖のほうが盛名が高く、明治の紙幣の文字は米庵を範にとり、政府の官用文字は菱湖流であるとされている。
しかし、その後は日下部鳴鶴らの絶賛により、貫名菘翁が現代書の先駆者であるという評が固まってきている。
新谷さんは、この日のトークで、生徒さんたちに菘翁の代表作「左繍叙」を臨書させたら、全道書道展でどんどん特選や秀作になったと明かしていた。これも、菘翁が現代の書に直接つながる証左であるとのことだ。
では、菘翁の書の特徴はどこにあるか。
新谷先生によると「優雅で、それでいてあたたかい。強さがあり、品がいい」ということになる。
菘翁はもともと絵をよくした。母親が狩野派の絵師の娘であった。
絵とは、江戸期のことであるから、水墨画、南画、文人画である。筆さばきの見事なことは、絵の巧みさからきているのではないか。
菘翁は医術や儒学をおじに学び、わずか13歳で治療所を開いた。ほどなくしてそれを閉め、17歳のときに高野山に入っている。
そこで、出合ったのが、空海の真筆であった。それを懸命に学んだ。
高野山には、空海が唐から持ち帰った欧陽詢、褚遂良、願真卿など大家の書もあり、それも吸収した。
当時、日本では、お家流と呼ばれるくずし字が流行し、寺子屋でも教えられた。
それに組しない書家は、明清風の唐様を多く書いた。
菘翁は、同じ唐様でも、王羲之に範をとる時代の書の古典を学び、さらに平安期の書にも接している。だから、菘翁は独学であり、しかも10代の高野山時代にさまざまな書をマスターしているので、それ以降、加齢に伴う変化が少ない。若いころに完成しているのである。
新谷さんのお話は、そのようなものであった。
実際に作品に接してみると、たしかに菘翁の線は優雅で、流れるようなやわらかさをもつ。
それは、かなの古典に学んだためだそうだ。
今回は1点だけ、かなの作が出ている。もっとも、個人的にはあまり好みではないが。
多いのは漢詩。自画自賛もあり、画のみの作もある。
(自画自賛というのは、自ら描いた掛け軸の絵に、自分で詞書を入れるというのがもともとの意味。そこから転じて、自分をほめる、という意味になった。だから、最近のスポーツ新聞などでよくみられる「自賛」という表現は、正しくない)
漢詩は、一部をのぞいて作者がわからない。
李白や杜甫を写したのではなく、自分で詠んだのだろうか。
新谷さんによると、画賛を書き入れるというのは難しいのだそうだ。
余白のとり方などに意を用いるのだろうか。
たとえば、次のような漢詩が添えられた南画の掛け軸を前にすると、まるで河合玉堂の絵を見たときのような、のびやかな気分になってくる。
世人或いは謂う是れ閑人と
閑人の閑は是れ真なるを識らず
独り有り清江に垂釣の叟
終年只理す一糸緡
絵では、水草が風になびく波打ち際に岩のがけが迫り、近くでは、釣り糸を垂れる人を乗せた小さな舟が揺れている。遠くに山がかすむ。
まさに没我の境地である。
菘翁の画は、幽谷山林よりも、穏やかな水の景色が多い。
たとえば、次の漢詩もそうだ(原文を掲げる)。
招々煙渚柳 引人上漁舟 未遽下芳餌 注矚泳游
いずれにせよ、わずらわしい現世を避けて、しがらみのない人里離れたところでのんびりしようという、唐の士大夫階級以来の伝統的な心持ちが、続いているのだといえる。
人によっては、それは現実社会の矛盾に目をつぶろうとする姿勢ではないかと批判するであろう。
しかし、ここではそういう話には深入りしない。
筆者が気に入ったのは「島佛苦心誰継産」で始まる漢詩。
明らかに、書き出しと末尾の運筆の速度が違う。興に乗ってついついスピードがアップしたのだろう。書いた人の息遣いが聞こえてきそうだ。
とにかく、書にたずさわる人で、この展覧会を見ない手はないと思うし、ふだん書を見ない人でも、本当にうまいというのはどういうものかに触れて、静かなひとときを過ごしにくる価値はじゅうぶんにあるだろう。
筆者も時間が許せば再訪したい。
2016年1月13日(水)~3月31日(木)午前10時~午後5時、火休み
小原道城書道美術館(中央区北2西2 札幌2・2ビル=旧セコム損保札幌ビル=2階)
一般300円、大学生以下無料
■ASAKA展に貫名菘翁の書作品 (2008)
(この項続く)