10月1日に札幌市資料館で絵画グループ展「グラナダの会 画展」を見たら、指導者である富田幸衛さんが今年5月に亡くなっていたことを知りました。90歳でした。
グラナダの会は今月で解散するそうです。
同会はもともと、道庁赤れんがなどの絵で知られた伊藤仁さん(1915~96)が教えており、伊藤さんの後を富田幸衛さんが引き継いでいました。
会場には遺作が2点展示されていました。
ひとつは静物画で、果物のナシ数個を横一列に並べたもの。
もう1点は、冬のポプラ並木を縦構図で描いた風景画です。積もった雪や寒々しい空は、いかにも北海道の厳しい風土を描き出しています。
やや輪郭をぼかしぎみにした描写は伊藤仁さん譲りなのでしょうか。
富田さんは1932年(昭和7年)生まれ。
著書に、伊藤仁の評伝である『微光のソノリテ』と、北海道平和美術展などの歩みをまとめた『社会史の中の美術家たち』(富田幸衛著、福重紀代子編)があります。
以上の2冊によると、富田さんは国鉄労働者で、50年から伊藤仁さんに師事し、働きながら絵を描いていました。
戦前のプロレタリア美術の代表的な画家として知られる大月源二が富樫正雄らとともに52年に結成した「北海道生活派美術集団」の、第2回展(56年。札幌ススキノ和同画廊)に出品し、伊藤仁さんの推薦で同人となり、70年の最終回(15回。丸善画廊)まで毎回出品しました。
その後、74年に北海道平和美術展の創設に参画しました。同展は今も毎年、札幌市民ギャラリーで開かれています。
会場の方によると、昨年、絵画教室に来る途中に脳梗塞で倒れたとのことでした。
ご冥福をお祈りします。
それにしても、北海道生活派美術集団では、富田さんは平山康勝さんと並んで最若手だっただけに、もう当時をリアルタイムで知る人はほんとうに少なくなってしまいました。
過去の関連記事へのリンク
■富田幸衛展(2017)
■第28回北海道平和美術展 (2003、1日の項)
■富田幸衛油絵個展(2001)
=いずれも画像なし
グラナダの会は今月で解散するそうです。
同会はもともと、道庁赤れんがなどの絵で知られた伊藤仁さん(1915~96)が教えており、伊藤さんの後を富田幸衛さんが引き継いでいました。
会場には遺作が2点展示されていました。
ひとつは静物画で、果物のナシ数個を横一列に並べたもの。
もう1点は、冬のポプラ並木を縦構図で描いた風景画です。積もった雪や寒々しい空は、いかにも北海道の厳しい風土を描き出しています。
やや輪郭をぼかしぎみにした描写は伊藤仁さん譲りなのでしょうか。
富田さんは1932年(昭和7年)生まれ。
著書に、伊藤仁の評伝である『微光のソノリテ』と、北海道平和美術展などの歩みをまとめた『社会史の中の美術家たち』(富田幸衛著、福重紀代子編)があります。
以上の2冊によると、富田さんは国鉄労働者で、50年から伊藤仁さんに師事し、働きながら絵を描いていました。
戦前のプロレタリア美術の代表的な画家として知られる大月源二が富樫正雄らとともに52年に結成した「北海道生活派美術集団」の、第2回展(56年。札幌ススキノ和同画廊)に出品し、伊藤仁さんの推薦で同人となり、70年の最終回(15回。丸善画廊)まで毎回出品しました。
その後、74年に北海道平和美術展の創設に参画しました。同展は今も毎年、札幌市民ギャラリーで開かれています。
会場の方によると、昨年、絵画教室に来る途中に脳梗塞で倒れたとのことでした。
ご冥福をお祈りします。
それにしても、北海道生活派美術集団では、富田さんは平山康勝さんと並んで最若手だっただけに、もう当時をリアルタイムで知る人はほんとうに少なくなってしまいました。
過去の関連記事へのリンク
■富田幸衛展(2017)
■第28回北海道平和美術展 (2003、1日の項)
■富田幸衛油絵個展(2001)
=いずれも画像なし