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■新生三十年記念 さわらび会書展 (2018年11月21~30日、札幌)

2018年12月04日 21時47分00秒 | 展覧会の紹介-書
 道立の美術館は貸し館を行っており、たまに書の社中展が開かれることがある。たいてい期間は短い。

 「さわらび会」は、道内を代表するかな書家の松本春子(1900~89年)が1936年(昭和11年)に設立した。
 今回は、三女の松本暎子さんが同会を引き継いで30年になるのを記念して開かれた。
(※2024年、暎子さんの文字が誤っていたので訂正しました。申し訳ございませ。おわび申し上げます)

 単なる社中展では道立近代美術館は会場を貸してくれまい。
 メンバーの作品のほか、「平安古筆名宝展と現代作家」と題した記念企画を同時開催し、書芸文化院(東京)所蔵の「古今集切」「亀山切」「小島切」などの古筆や、五島美術館(同)が所蔵する現代かな書家の森田竹華、大澤竹胎、駒井鵞静各氏の作品を、あわせて展示していた。
 平安時代の書は、札幌にいるとあまり見る機会がない。ただ、ガラスケースの向こう側で、見るにはいささか遠い。「伝●●」という作がほとんどであった。
 それよりすごいのが、大澤氏の「いろは」。1953~55年の作というが、直線でびっしり文字を詰めた、異形のかな書だ。
 駒井氏の「いろは屏風」は1992年作。こちらも、いわゆるかな書とは異なる力強さがみなぎる。

 こういった作に比べると、さわらび会の面々のかな書は、伝統的な書体といえる。
 要するに、一般的な「かな」のイメージから逸脱していない。
 額装がメインだが、貼り混ぜによる共作の屏風や、帖もあり、展示手法は多彩である。
 また、たとえば竹内津代さんは、短歌の初句と二句を紙の上のほうに、3、4句を中ほどに、最後の部分を下に書くーといった、試みが見られないでもない。羽賀道子さんは、2行をぐっと中央に寄せて、紙の左右に余白を持たせためずらしい配置である。

 なお、額装の作品は、牧水や茂吉といった近代の歌人が中心であった。
 かな書は可読性という点で、筆者のようなしろうとにはつらい面があるが、会場で配っていた目録には、字釈がすべて載っていたので、理解の助けになった(書展の目録は、短歌の初句だけ、あるいは複数の作品を書いていても1首目だけ、という例が存外に多い)。



 ところで、これは以前にも述べたことがあるが、私見では、現代のかな書というのは、根本的なアポリアを抱えていると、あらためて思うのだ。

 この会場でも、帖などに見られるとおり、かな書の全盛期とされる平安期の作は、手紙(消息)が主要な目的であるから、手にとって読める大きさで書かれている。
 しかし、近代になって「展覧会」という発表形式が出てきた。美術館に行く人はつい忘れがちになるが、書道だろうが絵画や工芸品だろうが、もともと日本美術にとって、展覧会というスタイルは、鑑賞のスタンダードな形式ではけっしてない。
 とりわけかな書は、漢字などに比べても、従来より大きな文字を書かなくてはならなくなったが、そこで生まれる迫力は、本来のかな書に求められる性質とは正反対の方向である。
 さらにいえば、文字が大きくなることで、以前よりも墨の潤渇に意を用いる必要が出てきたし、書を引き立てる役目を果たしていた料紙の模様は、そのままでは効果を減じてしまう。
 ただ単に、文字を大きくすれば展覧会用の作品になるというわけではないのだ。

 明治以降に変体仮名を教育現場から駆逐したことで発生した「可読性」という難題については、金子鷗亭(鷗は鴎の正字)が近代詩文書を創始することによって、ひとつの解決法を提起した。しかし、作品と文字が大きくなることで抱える問題については、漢字の場合に比べ困難の度合いがはるかに大きく、どうにもならないまま現代に残されているのではないかと思われてならない。
 わたしたちが生きているのは平安貴族の社会ではない。だから、千年前そのままの文字を書くことについては批判も当然あるだろう。とはいえ、茶道や華道と並んで日本文化の大切な伝統である。未来に引き継いでもらいたいと、切に願う。


2018年11月21日(水)~30日(金)、月曜休み
道立近代美術館(札幌市中央区北1西17)


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