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■菅原英二写真展「石化幻想」 (10月6日まで)

2010年09月24日 22時19分08秒 | 展覧会の紹介-写真
 今回の写真展にあたって、カフェエスキスさんから展覧会の紹介文をいただいた。

 写真もすばらしいが、このテキストも胸に迫る。
 筆者があれこれつまらないことを述べるよりも先に、この文章を読んで、会場に足を運んでほしいと切に願う。

 転載については、エスキスさんから問題ない旨のご返事をいただいた。
 以下、引用。

石になりたいと思っていた頃があった。
深い土の中で静かに眠る化石のように。

石になりたいと思っていた頃があった。
結晶世界の谷に咲き誇る石の花のように。

石になりたいと思っていた頃があった。
遠いどこかの惑星に落下した青い隕石のように。

1987年冬、大阪で今回と同じ『石化幻想』というタイトルの写真展をやったことがある。
その頃の僕は、仕事もお金もなく、大切な友人を亡くし、
もう誰にも知られず、地中深く眠る鉱物のように静かに生きたいと願っていた。

その時に、写真展をやらないかと声をかけてくれた人がいた。
暗室を借り、いままで撮りためたトライXを現像して、十数枚のプリントを完成させた。
そして雑居ビルの地下の小さなカフェで2週間、写真展『石化幻想』は行なわれた。
十数枚のプリント、それがその頃の僕のすべてだった。

それから23年が経ち、もちろん僕は23才年をとった。
変わったこともあれば、変わらなかったものもある。
いくつかの大地震や戦争があり、いくつもの惑星探査機が打ち上げられた。
結婚して子供が誕生した。
会社が倒産したり、何人かの友人を病気や事故で失い、父を見送った。

ずっと昔の写真もあれば、最近の写真もある。
今また23年前と同じタイトルで写真展をすることに、
どんな意味があるのか自分でもよくわからない。
でも、とりあえず僕は生き残った。

僕の机の引き出しの中には、ガラクタがたくさん詰まっている。
使い古しの目薬、中学の時にマラソン大会で優勝して貰ったメダル、
なにかから取れたボタン、投函することのなかった手紙。
そして博物館の横を流れる川の上流で採取した小さな化石。

人々が寝静まった夜に、僕は机の引き出しの中の小さなアンモナイトを取り出し、手のひらにのせてみる。
この中には遠い昔の記憶が詰まっているんだなと思う。

カメラは気持ちを記録する機械ではないけれど、
僕はシャッターを切るたびに、またひとつ悲しい思い出を作っていたのかもしれない。

最後にリチャード・ブローティガンの詩の一節を・・・。
「あなたは、ぼくのことをぼんやりと思い出すだろう。半分現像した写真のように、ね。」




 セピア色のプリントに浮かび上がる波打ち際。炭鉱跡の施設。

 写真は記録性の強いメディアだけれど、菅原さんの写真ほど
「記録より記憶」
というふうな性格の強いものはないかもしれない。

 現代は、アーティスティックな写真よりも、ストレートな写真の方が、一般的には好まれ、高く評価される傾向にある。
 また、感傷は通俗的とみなされ、多くの場合は排除される。
 しかし、菅原さんの写真を見ていると、そういう一般的な評価など、どうでもよくなってしまう。
 このテキストからもうかがえるような、作者の思いの強さが、その種の一般論を寄せ付けないからだと思う。


 2枚目の画像。
 油紙のようなものに包まれて、写真と短い文で構成された本が置かれている。

 また、座席側の通路にあるニッチ(食器棚裏のへこみ)には、ボックス型の作品が2点置かれている。上のテキストにある、引き出しのような作品だ。

 郷愁を結晶化したような展覧会だと思った。


2010年9月16日(木)~10月5日(火) 正午~0:00am(日祝日~9:00pm)、水曜定休(9月21日臨時休業)
CAFE ESQUISSE(札幌市中央区北1西23 メゾン・ド・ブーケ円山)


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・地下鉄東西線円山公園駅、5番出口から460メートル、徒歩6分
・ジェイアール北海道バス、中央バス「円山第一鳥居」から460メートル、徒歩6分
・ジェイアール北海道バス「北1西20」から340メートル(手稲方面行き)徒歩4分、510メートル(札幌駅前行き)徒歩7分


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