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歌志内にある旧空知炭礦の関連施設が老朽化のため取り壊されることになり、最後の一般公開を5月3~5日に行うということを、ツイッター(現X)や北海道新聞デジタルで知り、訪れることにしました。
もともと行く予定だった「大正館」から歩いて3、4分のところです。
歌志内市のサイトには次のように書かれています。
「末永く保存」ということにはならなかったようです…。
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知事公館や、ドイツ西部の町並みの写真でおなじみ、ハーフティンバー様式の建築です。
しかし、斜めに据え付けられた木材は一部抜け落ちてしまっています。
正面右手、障子も破れているのが見えます。
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散策路は倒木のため立ち入り禁止になっていました。
門の様式から分かるように、このすぐ奥には「空庵」と称した茶室があります。
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玄関ホールで靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて中に入ります。
和室には、美術品や、過去の文豪の書簡・はがきなどが展示してありました。
これらは歌志内出身の書家川口霽亭氏(名古屋市在住)から寄贈されたもののようです。
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日本最初の哲学書を書いたといわれる西田幾多郎、近代短歌の巨匠斎藤茂吉のほか、芥川龍之介、書家・家人会津八一、高村光太郎、放浪の俳人種田山頭火、思想家和辻哲郎、随筆家内田百閒、作家幸田露伴などの書翰が並んでいます。
伊藤左千夫(「野菊の墓」の作家、歌人)のはがきは、石原純(戦前の著名な物理学者)宛てでした。
富岡鉄斎の刻字作品などもガラスケースに収められていました。
もっとも、茶道具・陶芸などは知らない作り手が多いです。
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和室は、入り口側半分しか入ることができず、奥側半分は廊下から見るしかないのですが、奥側の鴨居に額が掛かっていました。
写真を拡大して見ると、日本画・洋画・評論など幅広い分野で活躍した津田青楓のようです。
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奥のホールには、書棚が置かれ、書道全集など豪華本が並んでいます。
手前のイーゼルに絵画が数点飾り付けられており、画像左は川上澄生の木版画ですね。
右は裸婦や人物画で知られた洋画家・原精一のデッサン。
2人とも有名ですが、川上は苫小牧地方に疎開していたゆかりで全道展の創立会員になっており、また原は道内を代表する画家伏木田光夫さんの師匠格であるなど、北海道とも関係があるのです。
これらの絵画や陶芸などの所蔵品は、別の場所で保管されると聞いています。
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応急的に補修がなされた渡り廊下を通って別館へ。
こちらの和室のふすまには絵が描かれています。
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畳はかなり波打っていて、歩くと平衡感覚が狂ってしまいます。
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別館の廊下です。
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茶室の内部。
歌志内市は全国一のミニ市で知られ、戦後は4万人を数えた人口は市のサイトによると4月末現在で2,648人にまで減っています。
これでは、炭鉱関連施設を維持していく財政的な余裕がないのも、やむを得ないのかもしれません。
取り壊しは確かに残念ですが、筆者は、会社の上層部とえらいお客さんしか用のない立派な施設よりも、ふつうの炭鉱員が暮らしていた炭住(住宅)を残した方がいいのではないかとひそかに思っています。そのほうが、かつての日本人の暮らしの一端を後世に伝えていくよすがになるのではないでしょうか。
もともと行く予定だった「大正館」から歩いて3、4分のところです。
歌志内市のサイトには次のように書かれています。
旧空知炭鉱倶楽部は明治30年、北海道炭礦鉄道(株)が北炭空知礦の社員合宿として建設しました。幾度となく増改築を重ね、昭和29年からは接待専用の倶楽部となり、昭和38年に空知炭礦(株)に引き継がれた後も、平成7年の閉山を迎えるまで数多くの来賓を歓待しました。建物の一部は撤去しましたが、炭鉱全盛期をしのばせる建造物であることから、西洋風の本館と数寄屋造りの別館を修復し、「こもれびの杜記念館」の愛称により末永く保存することになりました。
「末永く保存」ということにはならなかったようです…。
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知事公館や、ドイツ西部の町並みの写真でおなじみ、ハーフティンバー様式の建築です。
しかし、斜めに据え付けられた木材は一部抜け落ちてしまっています。
正面右手、障子も破れているのが見えます。
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散策路は倒木のため立ち入り禁止になっていました。
門の様式から分かるように、このすぐ奥には「空庵」と称した茶室があります。
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玄関ホールで靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて中に入ります。
和室には、美術品や、過去の文豪の書簡・はがきなどが展示してありました。
これらは歌志内出身の書家川口霽亭氏(名古屋市在住)から寄贈されたもののようです。
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日本最初の哲学書を書いたといわれる西田幾多郎、近代短歌の巨匠斎藤茂吉のほか、芥川龍之介、書家・家人会津八一、高村光太郎、放浪の俳人種田山頭火、思想家和辻哲郎、随筆家内田百閒、作家幸田露伴などの書翰が並んでいます。
伊藤左千夫(「野菊の墓」の作家、歌人)のはがきは、石原純(戦前の著名な物理学者)宛てでした。
富岡鉄斎の刻字作品などもガラスケースに収められていました。
もっとも、茶道具・陶芸などは知らない作り手が多いです。
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和室は、入り口側半分しか入ることができず、奥側半分は廊下から見るしかないのですが、奥側の鴨居に額が掛かっていました。
写真を拡大して見ると、日本画・洋画・評論など幅広い分野で活躍した津田青楓のようです。
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奥のホールには、書棚が置かれ、書道全集など豪華本が並んでいます。
手前のイーゼルに絵画が数点飾り付けられており、画像左は川上澄生の木版画ですね。
右は裸婦や人物画で知られた洋画家・原精一のデッサン。
2人とも有名ですが、川上は苫小牧地方に疎開していたゆかりで全道展の創立会員になっており、また原は道内を代表する画家伏木田光夫さんの師匠格であるなど、北海道とも関係があるのです。
これらの絵画や陶芸などの所蔵品は、別の場所で保管されると聞いています。
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応急的に補修がなされた渡り廊下を通って別館へ。
こちらの和室のふすまには絵が描かれています。
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畳はかなり波打っていて、歩くと平衡感覚が狂ってしまいます。
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別館の廊下です。
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茶室の内部。
歌志内市は全国一のミニ市で知られ、戦後は4万人を数えた人口は市のサイトによると4月末現在で2,648人にまで減っています。
これでは、炭鉱関連施設を維持していく財政的な余裕がないのも、やむを得ないのかもしれません。
取り壊しは確かに残念ですが、筆者は、会社の上層部とえらいお客さんしか用のない立派な施設よりも、ふつうの炭鉱員が暮らしていた炭住(住宅)を残した方がいいのではないかとひそかに思っています。そのほうが、かつての日本人の暮らしの一端を後世に伝えていくよすがになるのではないでしょうか。