(承前)
道立旭川美術館から旭川市民ギャラリーまでは、けっきょく25分ほどかけて歩きました。
同ギャラリーでは、事実上の村山陽一個展。1950年代から60年代初頭の旭川で活躍した画家です。
道路のあちこちが凍結しており、足元がすべるのには閉口しました。
ギャラリープルプルやシーズギャラリーには寄る時間がありませんでした。
(画像は旭川中心部の古い建物)
いちばん見たかったのは、となりまちの上川管内東川町文化ギャラリーで30日まで開かれていた奥山敦士さんの第32回林忠彦賞受賞記念写真展「BENZO ESQUISSES 1920-2012」でした。
しかし、ちょうどよい時間帯のバスの便がありませんでした。
いったいに同ギャラリーは告知が遅く、始まってからようやく開催中の写真展が何か分かるということがほとんどです。これは改善を望みたいところです。
昼食を食べている時間がなく、構内で駅弁を、駅前のローソンでコーヒーを買ってから、特急「サロベツ1号」に乗り込みました。
午後1時35分発。
旭川と稚内を3時間50分かけて結んでいます。
札幌から3時間50分ではなく、旭川からというところが、あらためて北海道の広さを感じさせます。
キハ261系ディーゼルカーの4輛編成(画像は稚内駅に到着した際に撮りました)。
車体は新しいのですが、函館線のようなロングレールが敷かれていないので、それなりに揺れます。
筆者が、同管内中川町と宗谷管内枝幸町よりも北に行ったことがないというのは、以前も書きましたが、JR宗谷線に関しては、旭川―名寄に夜に乗ったことがあるだけ。
旭川以北の鉄道を昼間利用するのは初めてで、なんだかわくわくします。
駅弁「蝦夷わっぱ」は1390円。
「旅情込み」の価格だということで納得することにしています。
海の幸がふんだんに入っているので、道外からの旅行客には満足なのではないかと思いました。
あと、朱色の容器が堅牢なので捨てるにはしのびなく、けっきょく持ち帰りました。
特急は、4割ほどの乗車率で、窓際の席はだいたい埋まっているようでした。
しばらくは上川盆地の中を走るので、車窓風景は特急オホーツクに乗ったときと似ています。
異なるのは、まもなく越える峠が塩狩峠で、これは北見峠や狩勝峠など、北海道の真ん中を縦に貫く山を越すのと違って、それほど険しくはないことです。
列車は和寒、士別、名寄と停車していきます。
画像は士別と名寄の中間にある風連町の農業用倉庫。
風連は平成の大合併で名寄市内になりました。
道北には古い倉庫があちこちに残っています。
以前も書きましたが、天塩川の流域は、上中流部のほうが豊かな盆地を形成していて、中下流部になると谷幅が狭まります。
石狩川や十勝川、釧路川といった他の大河と逆です(常呂川や尻別川など下流の谷幅が狭い川もありますが)。
狭い谷では
平 国 平 | | 鉄
山 地 道 地 |川| 道 山
という配置になっている場所が多くみられます。
(下の地図は美深町恩根内・紋穂内附近)
つまり、稚内行きの列車に乗って見えるものは、右側の坐席にすわると山の斜面、左側の坐席だと天塩川の流れということになります。
もちろん、そうでない区間もありますが。
狭い谷間とはいえ、どうして明治期に、平地のないほうの川岸に列車を通したのか、不思議でなりません。
これだと、平地のある右岸側から橋を渡っていかなくては列車に乗れません。
集落の中心から駅が離れていて列車が利用しづらく、ただでさえ人口が少ないのに、よけいに赤字になりやすくなっていると思えます。
あと、天塩川は真冬は凍結するはずですが、画像のように川面が見えている区間があちこちで見受けられました。
温暖化はここにも影を落としています。
道立旭川美術館から旭川市民ギャラリーまでは、けっきょく25分ほどかけて歩きました。
同ギャラリーでは、事実上の村山陽一個展。1950年代から60年代初頭の旭川で活躍した画家です。
道路のあちこちが凍結しており、足元がすべるのには閉口しました。
ギャラリープルプルやシーズギャラリーには寄る時間がありませんでした。
(画像は旭川中心部の古い建物)
いちばん見たかったのは、となりまちの上川管内東川町文化ギャラリーで30日まで開かれていた奥山敦士さんの第32回林忠彦賞受賞記念写真展「BENZO ESQUISSES 1920-2012」でした。
しかし、ちょうどよい時間帯のバスの便がありませんでした。
いったいに同ギャラリーは告知が遅く、始まってからようやく開催中の写真展が何か分かるということがほとんどです。これは改善を望みたいところです。
昼食を食べている時間がなく、構内で駅弁を、駅前のローソンでコーヒーを買ってから、特急「サロベツ1号」に乗り込みました。
午後1時35分発。
旭川と稚内を3時間50分かけて結んでいます。
札幌から3時間50分ではなく、旭川からというところが、あらためて北海道の広さを感じさせます。
キハ261系ディーゼルカーの4輛編成(画像は稚内駅に到着した際に撮りました)。
車体は新しいのですが、函館線のようなロングレールが敷かれていないので、それなりに揺れます。
筆者が、同管内中川町と宗谷管内枝幸町よりも北に行ったことがないというのは、以前も書きましたが、JR宗谷線に関しては、旭川―名寄に夜に乗ったことがあるだけ。
旭川以北の鉄道を昼間利用するのは初めてで、なんだかわくわくします。
駅弁「蝦夷わっぱ」は1390円。
「旅情込み」の価格だということで納得することにしています。
海の幸がふんだんに入っているので、道外からの旅行客には満足なのではないかと思いました。
あと、朱色の容器が堅牢なので捨てるにはしのびなく、けっきょく持ち帰りました。
特急は、4割ほどの乗車率で、窓際の席はだいたい埋まっているようでした。
しばらくは上川盆地の中を走るので、車窓風景は特急オホーツクに乗ったときと似ています。
異なるのは、まもなく越える峠が塩狩峠で、これは北見峠や狩勝峠など、北海道の真ん中を縦に貫く山を越すのと違って、それほど険しくはないことです。
列車は和寒、士別、名寄と停車していきます。
画像は士別と名寄の中間にある風連町の農業用倉庫。
風連は平成の大合併で名寄市内になりました。
道北には古い倉庫があちこちに残っています。
以前も書きましたが、天塩川の流域は、上中流部のほうが豊かな盆地を形成していて、中下流部になると谷幅が狭まります。
石狩川や十勝川、釧路川といった他の大河と逆です(常呂川や尻別川など下流の谷幅が狭い川もありますが)。
狭い谷では
平 国 平 | | 鉄
山 地 道 地 |川| 道 山
という配置になっている場所が多くみられます。
(下の地図は美深町恩根内・紋穂内附近)
つまり、稚内行きの列車に乗って見えるものは、右側の坐席にすわると山の斜面、左側の坐席だと天塩川の流れということになります。
もちろん、そうでない区間もありますが。
狭い谷間とはいえ、どうして明治期に、平地のないほうの川岸に列車を通したのか、不思議でなりません。
これだと、平地のある右岸側から橋を渡っていかなくては列車に乗れません。
集落の中心から駅が離れていて列車が利用しづらく、ただでさえ人口が少ないのに、よけいに赤字になりやすくなっていると思えます。
あと、天塩川は真冬は凍結するはずですが、画像のように川面が見えている区間があちこちで見受けられました。
温暖化はここにも影を落としています。
(この項続く)