北海道美術ネット別館

アート、写真、書など展覧会の情報や紹介、批評、日記etc。毎日更新しています

鎌田俳捺子さんが亡くなっていたのか

2016年03月21日 23時43分09秒 | 情報・おしらせ
 2016年3月21日、道立近代美術館で「アートのことば」展を最終日に見ました。
 鎌田俳捺子ひなこさんの「北の夜空」(1992)が展示してあったが、そのパネルで、彼女が亡くなっていたことをはじめて知りました。
 北海道を代表する抽象画家ですが、新聞でもネットでも、彼女が亡くなっていたことは、筆者が見る限りまったく報じられていません。
 昨年秋、同美術館で開かれた全道展の70周年記念展には出品しておらず、ご高齢でもあり、もしやとも思っていましたが、あらためて残念に思います。おくやみを申し上げます。

 「北海道を代表する抽象画家」
というのは、筆者の主観ですが、それだけではありません。
 美術家にとって最大の名誉は、自分の名前を冠した賞や美術館ができることでしょうが、それが実現するのはほんの一部です。一般的には、美術館が個展を企画したり、作品を買い上げたりといったことが、栄誉であろうと思います(99%の美術家は、どちらも実現しないまま亡くなります)。
 まして、美術館が複数回の個展を開くことは、かなり評価の高い作家であることは間違いありません。しかもそれが、生前のことであればなおさらでしょう。
 道内の美術家で、生前に複数回の個展が美術館で開催されたのは、一原有徳さん(故人)、鎌田さん、阿部典英さん、中谷有逸さんの4人だけです。どんなに大変なことであるかがわかるかと思います。

 鎌田俳捺子さんは1923年、函館生まれ。
 聖保禄高等女学校(現白百合女子)から、女子美術専門学校(現女子美大)に学んだそうです。
 戦後、函館に戻り、49年に地元の団体公募展である赤光しゃっこう社展で最高賞を受賞。アンデパンダン展でも函館市長賞を受けます。さらに翌50年、全道展に初出品で最高賞の協会賞を受賞。51年に会友、53年には会員に推挙されます(ちなみに、この年は鎌田さんをふくめ5人が会員になっていますが、谷口一芳、大谷久子、八木伸子、岸葉子と、そうそうたる顔ぶれです)。
 また国展にも出品し、活躍します。

 ちなみに68~97年は札幌に移り住んでいます。97年に函館に戻りました。
 95年に札幌芸術の森美術館(当時は芸術の森美術館)で、2007年に道立函館美術館で個展が開かれています。
 芸術の森美術館の個展の際に、札幌の厚別区にあったアトリエにお邪魔したことがありますが、20畳ぐらいの広さで、ビックリしたことを覚えています。
 そのときはすでに70代を迎えていましたが、最初お会いしたときは50代だとばかり思っていました。それぐらい若々しく、さっぱりとお話しになる方でした。

 そして、鎌田さんの画業が、真の深まりを見せるのも、まさに60代後半からだということができると思います。
 群青や深緑の不定形の色班が重なり合う画面は、北方の森や水面のゆらめきを思わせ、精神性を秘めた深さをたたえています。
 そのたたずまいは、確かにロマン派的なものをふくんでいますが、ロマン派芸術にありがちな甘さはみじんもありません。
 鋭く、深く、見る人をその世界に引きずりこんでしまうかのような厚さと重さを有しているのです。


 というわけで、すごい画家なのですが、道外はもちろん道内でも決して知名度が高いとはいえないでしょう。
 インターネットで画像を検索してみても、まともな作品画像がほとんどヒットしないありさまで、これでは若い世代にそのよさを伝えようとしても限界があります。(もちろん、ネットで見ても、その良さはわからないでしょうが…)
 

 ご冥福をお祈りします。

 
参考
□道立函館美術館の「HAKOBI」21号(pdfファイル) http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/hbj/grp/hakobi21.pdf

地域文化功労者に竹田津実さん、鎌田俳捺子さん
北海道文化賞に鎌田俳捺子さん、文化奨励賞に柿崎煕さん

コレクションでふり返る 芸術の森美術館のあゆみ展 (2003)
全道展 (2003)
全道展 (2001)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。