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■栗谷川健一展 北海道をデザインした男 (2014年2月1日~3月23日、札幌)

2014年04月22日 01時11分00秒 | 展覧会の紹介-CG、design
 これまでさまざまな道内ゆかりの画家や彫刻家、書家、写真家などの展覧会を開いてきた道立の美術館だが、グラフィックデザインの分野の展覧会はこれが初めてだろう。
 同じサイズ、しかも縦長の作品ばかりがこれほど並んだ展覧会も、おそらく前代未聞に違いない。

 伝記的な事実や業績などについては、ミュージアム新書に譲りたい。

 筆者は彼の仕事を高く評価するものだが、同時に、二つの点を指摘しておきたいと思う。

 一つは、彼の生み出したイメージが、良くも悪くも、対外的な北海道のイメージをかなりの程度規定すると同時に、わたしたち北海道人が自らの土地に対して抱くイメージすらも規定する部分があったということである。
 そのイメージというのは、一言で言うなら、エキゾチックということだろう。

 マリモの生息する神秘と伝説の湖。
 サイロと麦わら帽子の男。
 ムックリを鳴らすアイヌ民族の娘…。
 観光ポスターに表現された北海道は、どれをとっても、本州以南の日本の風土との差異や、並外れた広大さを強調し、あたかも外国のような未知の土地として表現されている。

 なかでも、「夕陽と牧車」などは、まるで西部劇のような世界であり、この世界観が、たとえば小林旭主演の映画「ギターを持った渡り鳥」に流れ込んでいることは否定できまい。(1950~70年代は、映画館でもテレビでも西部劇を頻繁に見ることができ、西部劇は現代よりもはるかに身近なイメージであった)

 もちろん、北海道が東京の裏町みたいなところとして表象されれば、こんな遠いところまでわざわざ人は観光のために来ないわけだから、差異を強調するのは作戦として全く正しい。

 ただ、わたしたち北海道民も、エキゾチックな自己認識を無批判に持ってしまっているとしたら、なんか、ひっかかるのだ。

(たとえば、北海道とひとくちに言っても、風景も気候も人の気質も、道南と道東ではかなり異なるのだが、そもそも道民がそこらへんに無頓着すぎるのではないかという気がする)


 もう一つ。
 栗谷川氏の大成は、時代に助けられた幸運な面があるのではないかということ。
 ポスターは大正期くらいまでは、もっぱら文字が主で、印刷技術の制約もあって、絵は従であった。
 栗谷川が活躍した時期はちょうど、カラーで絵を印刷する技術が開花した時代に重なる。

 カラー写真の印刷が実用に耐えられる水準に達するのは、70年代以降といって良いであろう。いま、JRの駅などに貼られている観光ポスターのほとんどは、カラー写真をデザインしている。よほどの明確な理由や主張がない限り、栗谷川のような絵が使われることはない。

 仮に1950年代にカラー写真の美しい印刷が可能になっていれば、栗谷川が腕をふるう余地ははるかに小さかったに違いない。



 これだけの腕があれば、画家としても一家をなしたと思うし、以上指摘したことは、栗谷川芸術の意義をいささかもおとしめるものではない。




 札幌の地下鉄東西線の駅や車内のデザインも栗谷川の手になるもの。

 さらに、東豊線の大通駅には巨大な壁画がある。
 ただし、エスカレーターの手すりなどが一部を隠しているなど、万全の状態で見ることができないのは残念だ。







2014年2月1日(土)~3月23日(日)
道立近代美術館(札幌市中央区北1西17)


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