2011年2月27日の北海道新聞朝刊によると、札幌芸術の森美術館の前館長、笹野尚明さんが亡くなりました。
77歳でした。
笹野さんは道立近代美術館の立ち上げにも力を尽くし、その後、道立旭川美術館長を経て、札幌芸術の森に転じ、96年から2004年まで芸術の森美術館の館長を務めました。
芸術の森では、小谷博貞展など多くの展覧会にかかわっています。
館長を退いたのちも、STV北2条ビルのエントランスアートの作家選定や、函館市パブリックアートの委員など、数々の公職についておられました。洞爺村の彫刻ビエンナーレなどにも力を注いでいましたし、札幌時計台ギャラリーが発行する「21ACT」にも毎号のように寄稿なさっていました。
2008年には、饗文社から「バロックの貴婦人」という美術紀行の本も出版されています。
ご冥福をお祈りします。
…と、ここで終われば、良識のある大人のブログなのでしょうけど、筆者の精神年齢が低いので(あるいは、もうろくした老人なので)、書かずもがなのことを記します。
道新によると、函館の生まれで、道教大函館校の卒業だとのこと。筆者にはこれが非常に意外でした。てっきり道外の出身で、大学も本州だとばかり思っていたのです。
なぜなら、彼はある展覧会のオープニングパーティーであいさつしたとき、つぎのように言い放ったのです。
「わたしがこちらに来たとき、この地に文化というものはありませんでした」
筆者は内心唖然としました。
似たような発言は何度か耳にしていたので、まさか、道内の、しかも道教大の方とは。
東京か京都などの出身で、東京芸大とかソルボンヌあたりを卒業されているとばかり思っていました。
したがって、筆者は、笹野氏については
「地元の芸術や文化に対して愛のない人なんだな」
という評価です。
死去を報じるエントリで、あまりにも非礼な文章かもしれませんが、ご容赦願います。
77歳でした。
笹野さんは道立近代美術館の立ち上げにも力を尽くし、その後、道立旭川美術館長を経て、札幌芸術の森に転じ、96年から2004年まで芸術の森美術館の館長を務めました。
芸術の森では、小谷博貞展など多くの展覧会にかかわっています。
館長を退いたのちも、STV北2条ビルのエントランスアートの作家選定や、函館市パブリックアートの委員など、数々の公職についておられました。洞爺村の彫刻ビエンナーレなどにも力を注いでいましたし、札幌時計台ギャラリーが発行する「21ACT」にも毎号のように寄稿なさっていました。
2008年には、饗文社から「バロックの貴婦人」という美術紀行の本も出版されています。
ご冥福をお祈りします。
…と、ここで終われば、良識のある大人のブログなのでしょうけど、筆者の精神年齢が低いので(あるいは、もうろくした老人なので)、書かずもがなのことを記します。
道新によると、函館の生まれで、道教大函館校の卒業だとのこと。筆者にはこれが非常に意外でした。てっきり道外の出身で、大学も本州だとばかり思っていたのです。
なぜなら、彼はある展覧会のオープニングパーティーであいさつしたとき、つぎのように言い放ったのです。
「わたしがこちらに来たとき、この地に文化というものはありませんでした」
筆者は内心唖然としました。
似たような発言は何度か耳にしていたので、まさか、道内の、しかも道教大の方とは。
東京か京都などの出身で、東京芸大とかソルボンヌあたりを卒業されているとばかり思っていました。
したがって、筆者は、笹野氏については
「地元の芸術や文化に対して愛のない人なんだな」
という評価です。
死去を報じるエントリで、あまりにも非礼な文章かもしれませんが、ご容赦願います。
笹野氏は北海道の画家の発掘をライフワークにされておられました。いろいろな画家の作品が芸術の森で展示されました。手元にはそれらの図録が沢山ございます。
当然郷土愛に燃え、道内のいろいろな地域に芸術文化を根付かせました。
故人の名誉のためにもこのようなブログを安易に書かないでほしいものです。
また、彼の学識は大変博学でもっともっと長生きされて著作を遺してほしいほどでした。
貴方様は学歴に対しても偏見がおありのようですね。東大や芸大を出ても使い物にならない人が沢山いらっしゃいますよね。どう生きてどのような功績を遺されるか、それが大事だと思います。
あなた様も痴呆だとお逃げにならず、残りのの人生をもっと高潔なものにされるよう敢えて進言致します。
というような方が
「ここには文化はありませんでした」
などという発言を果たしてなさるのでしょうかね。
わたしは、北海道が大好きです。
そして、その地で、たとえ東京にはかなわないとしても、地道にさまざまな活動をしている方々をたくさん知っております。
そういう活動と人々を
「文化がない」
と言って、切って捨てる。
わたしは
「なんて上から目線な発言なんだろう」
と、呆然としました。
ですから、学歴のくだりは、言うまでもなく、皮肉です。
わかっていただけると思いましたが。
なお、baccaronさんは「発掘」という語を何度もお使いですが、わたしは寡聞にして笹野さんがどなたかを発掘したという事例を存じ上げません。
すでに声価の高まった美術家の展覧会を開くのは、べつに発掘でもないし功績でもありません。
地元の公立美術館がなすべき当然の仕事だと思います。
美術館が展覧会を開くこと自体は、農家がコメを作りカーディーラーが車を売るのと同じで、別に功績と事挙げするほどのものではないでしょう。
かつて道立近代美術館が深井克美展を開催したような「発掘」の功績が、笹野さんにあるならばぜひともご教示願いたく存じます。
笹野尚明さんという方は1972年の札幌冬季オリンピックの時に聖火リレー参加者記念章(裏面)のデザインをされた方なのでしょうか?
箱にデザイン・笹野尚明と記載され、
銅板の記念章の裏に聖火台の炎が力強く彫られています。
ブログ主が健在かどうかはトップページを見ればすぐに分かるのではと思います。
ご質問の件に関しては笹野さんのプロフィルが公開されたのを拝見したことがないので、わからないとしか申し上げることができません。お役に立てず、すみません。
その通りです。笹野さんがデザインされました。