(承前)
気になった作家、作品について。
アーノルド・ヘンリー・サヴェジ・ランダー「渡辺勝宅」(1890)
この展覧会には、大正期の作品は1点も出品されていないため、明治期のこの絵がダントツで古いことになる。
帯広の市制施行が昭和8年(1933年)だから、大正時代の帯広はまだまだ田舎で、美術創作の動きも始まったばかり。そもそもの制作数が少なかったであろう。
このランダーは、英国人の探検家・画家で、米国を経て、アイヌ民族調査のため来日している。
飛行機もない時代に、日本の端っこにやってくる英国人の「何でも見てやろう」精神には感服させられるが、同時に、その日本の端っこを開拓していた晩成社のメンバーに英語のわかる人がいたというのも、これまたすごい話である。
明治時代の日本人のほうが、いまどきの日本人よりも英語は得意だったんじゃないかと、岡倉天心や内村鑑三の例を見ても思う。
眞田如神「二河白道」(1960)
解説に、肉感的な特異な宗教画とあるが、そのとおりの珍品。
だいたい、宗教画が肉感的ではアカンと思うのだが…。
坂本直行「十勝大平原と日高連峰」(1960)
六花亭の包装紙などで知名度は高い。
したがって、十勝のクロニクルという展覧会には欠かせない存在だろう。
といって、画家としての技量が高いかというと、特筆すべきところはないとしか言いようがなく、なんとなく、北海道の美術史に位置づけづらい人じゃないかと思ったりもする。
神田一明「赤い室内」(1961)
知名度では弟の日勝のほうが、夭折したこともあって高いのだが、日勝の、とりわけ初期において、誰の影響下にあったのか、一目瞭然な作品。要するに、神田日勝は、圧倒的な兄・一明の影響下にあったことが、この絵から見て取れるのだ。ナイフを駆使した独特のリアリズム。
ただ、ピンクを用いているのは、日勝とは異なるし、後年の一明の独特の色使いに通じるものがある。
渡邉禎祥「鋼矢板」(1966)
高さの異なるH字鋼がいくつも並んでいる光景を描いているだけなのだが、妙に記憶に残る。
岡沼秀雄「北辺の夜」(1969)
トタン張りの家、屋台、女性、工場、線路と貨物列車、電柱…といった要素を、白い地の上に配した。どこかメルヘン的な叙情の漂う、しかし甘すぎずに造形を追求した絵画作品。
徳丸滋「女たち」(1964)
この展覧会には、十勝というくくりで出品されていること自体が意外な人もおり、徳丸さんもそのひとり。じつは、1934円、帯広生まれだったのだ!
いまはニセコ地方に住んで、簡素な構図で北海道の自然を描いている画家が、昔は女性を題材に、熱のこもった画面をつくっていたのも、これまた意外。
ほかに、「小樽の画家」というイメージの強い森本三郎さんも、十勝ゆかりとは意外だった。
神田日勝「室内風景」(1970)
何度見ても、迫力と異様さがつたわってくる作品。
以前、twitterでも書いたけど、モデルの人物の右腕のすぐそばに「動き… 原子力発電」という文字が見えて、ドキッとしてしまう。
古賀喜久男「主宰者の前で欲望の夢を奪い合う二匹のシャチ」(1980頃)
鹿追に赴任していた自衛官で、そのまま住み着いて画家を志したという経歴が異例なら、切り絵に着想したという輪郭線を強調した画風も特異。
岡沼淳一「MONSOON」(1988)
シンプルで軽快、しかもスケール感あふれる木彫。この大きさで、こういう作品を作り続けている人は、なかなかいない。
2011年7月1日(金)~9月7日(水)
道立帯広美術館(帯広市緑ケ丘2)
気になった作家、作品について。
アーノルド・ヘンリー・サヴェジ・ランダー「渡辺勝宅」(1890)
この展覧会には、大正期の作品は1点も出品されていないため、明治期のこの絵がダントツで古いことになる。
帯広の市制施行が昭和8年(1933年)だから、大正時代の帯広はまだまだ田舎で、美術創作の動きも始まったばかり。そもそもの制作数が少なかったであろう。
このランダーは、英国人の探検家・画家で、米国を経て、アイヌ民族調査のため来日している。
飛行機もない時代に、日本の端っこにやってくる英国人の「何でも見てやろう」精神には感服させられるが、同時に、その日本の端っこを開拓していた晩成社のメンバーに英語のわかる人がいたというのも、これまたすごい話である。
明治時代の日本人のほうが、いまどきの日本人よりも英語は得意だったんじゃないかと、岡倉天心や内村鑑三の例を見ても思う。
眞田如神「二河白道」(1960)
解説に、肉感的な特異な宗教画とあるが、そのとおりの珍品。
だいたい、宗教画が肉感的ではアカンと思うのだが…。
坂本直行「十勝大平原と日高連峰」(1960)
六花亭の包装紙などで知名度は高い。
したがって、十勝のクロニクルという展覧会には欠かせない存在だろう。
といって、画家としての技量が高いかというと、特筆すべきところはないとしか言いようがなく、なんとなく、北海道の美術史に位置づけづらい人じゃないかと思ったりもする。
神田一明「赤い室内」(1961)
知名度では弟の日勝のほうが、夭折したこともあって高いのだが、日勝の、とりわけ初期において、誰の影響下にあったのか、一目瞭然な作品。要するに、神田日勝は、圧倒的な兄・一明の影響下にあったことが、この絵から見て取れるのだ。ナイフを駆使した独特のリアリズム。
ただ、ピンクを用いているのは、日勝とは異なるし、後年の一明の独特の色使いに通じるものがある。
渡邉禎祥「鋼矢板」(1966)
高さの異なるH字鋼がいくつも並んでいる光景を描いているだけなのだが、妙に記憶に残る。
岡沼秀雄「北辺の夜」(1969)
トタン張りの家、屋台、女性、工場、線路と貨物列車、電柱…といった要素を、白い地の上に配した。どこかメルヘン的な叙情の漂う、しかし甘すぎずに造形を追求した絵画作品。
徳丸滋「女たち」(1964)
この展覧会には、十勝というくくりで出品されていること自体が意外な人もおり、徳丸さんもそのひとり。じつは、1934円、帯広生まれだったのだ!
いまはニセコ地方に住んで、簡素な構図で北海道の自然を描いている画家が、昔は女性を題材に、熱のこもった画面をつくっていたのも、これまた意外。
ほかに、「小樽の画家」というイメージの強い森本三郎さんも、十勝ゆかりとは意外だった。
神田日勝「室内風景」(1970)
何度見ても、迫力と異様さがつたわってくる作品。
以前、twitterでも書いたけど、モデルの人物の右腕のすぐそばに「動き… 原子力発電」という文字が見えて、ドキッとしてしまう。
古賀喜久男「主宰者の前で欲望の夢を奪い合う二匹のシャチ」(1980頃)
鹿追に赴任していた自衛官で、そのまま住み着いて画家を志したという経歴が異例なら、切り絵に着想したという輪郭線を強調した画風も特異。
岡沼淳一「MONSOON」(1988)
シンプルで軽快、しかもスケール感あふれる木彫。この大きさで、こういう作品を作り続けている人は、なかなかいない。
2011年7月1日(金)~9月7日(水)
道立帯広美術館(帯広市緑ケ丘2)
(この項続く)