北海道美術ネット別館

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■十勝の美術 クロニクル=続き (9月7日で終了)

2011年10月24日 21時33分22秒 | 展覧会の紹介-複数ジャンル
承前)

 気になった作家、作品について。


 アーノルド・ヘンリー・サヴェジ・ランダー「渡辺勝宅」(1890)

 この展覧会には、大正期の作品は1点も出品されていないため、明治期のこの絵がダントツで古いことになる。
 帯広の市制施行が昭和8年(1933年)だから、大正時代の帯広はまだまだ田舎で、美術創作の動きも始まったばかり。そもそもの制作数が少なかったであろう。
 このランダーは、英国人の探検家・画家で、米国を経て、アイヌ民族調査のため来日している。
 飛行機もない時代に、日本の端っこにやってくる英国人の「何でも見てやろう」精神には感服させられるが、同時に、その日本の端っこを開拓していた晩成社のメンバーに英語のわかる人がいたというのも、これまたすごい話である。
 明治時代の日本人のほうが、いまどきの日本人よりも英語は得意だったんじゃないかと、岡倉天心や内村鑑三の例を見ても思う。


 眞田如神「二河白道」(1960)

 解説に、肉感的な特異な宗教画とあるが、そのとおりの珍品。
 だいたい、宗教画が肉感的ではアカンと思うのだが…。


 坂本直行「十勝大平原と日高連峰」(1960)

 六花亭の包装紙などで知名度は高い。
 したがって、十勝のクロニクルという展覧会には欠かせない存在だろう。
 といって、画家としての技量が高いかというと、特筆すべきところはないとしか言いようがなく、なんとなく、北海道の美術史に位置づけづらい人じゃないかと思ったりもする。


 神田一明「赤い室内」(1961)

 知名度では弟の日勝のほうが、夭折したこともあって高いのだが、日勝の、とりわけ初期において、誰の影響下にあったのか、一目瞭然な作品。要するに、神田日勝は、圧倒的な兄・一明の影響下にあったことが、この絵から見て取れるのだ。ナイフを駆使した独特のリアリズム。
 ただ、ピンクを用いているのは、日勝とは異なるし、後年の一明の独特の色使いに通じるものがある。


 渡邉禎祥「鋼矢板」(1966)

 高さの異なるH字鋼がいくつも並んでいる光景を描いているだけなのだが、妙に記憶に残る。


 岡沼秀雄「北辺の夜」(1969)

 トタン張りの家、屋台、女性、工場、線路と貨物列車、電柱…といった要素を、白い地の上に配した。どこかメルヘン的な叙情の漂う、しかし甘すぎずに造形を追求した絵画作品。


 徳丸滋「女たち」(1964)

 この展覧会には、十勝というくくりで出品されていること自体が意外な人もおり、徳丸さんもそのひとり。じつは、1934円、帯広生まれだったのだ!
 いまはニセコ地方に住んで、簡素な構図で北海道の自然を描いている画家が、昔は女性を題材に、熱のこもった画面をつくっていたのも、これまた意外。
 ほかに、「小樽の画家」というイメージの強い森本三郎さんも、十勝ゆかりとは意外だった。


 神田日勝「室内風景」(1970)

 何度見ても、迫力と異様さがつたわってくる作品。
 以前、twitterでも書いたけど、モデルの人物の右腕のすぐそばに「動き… 原子力発電」という文字が見えて、ドキッとしてしまう。
 

 古賀喜久男「主宰者の前で欲望の夢を奪い合う二匹のシャチ」(1980頃)

 鹿追に赴任していた自衛官で、そのまま住み着いて画家を志したという経歴が異例なら、切り絵に着想したという輪郭線を強調した画風も特異。


 岡沼淳一「MONSOON」(1988)

 シンプルで軽快、しかもスケール感あふれる木彫。この大きさで、こういう作品を作り続けている人は、なかなかいない。




2011年7月1日(金)~9月7日(水)
道立帯広美術館(帯広市緑ケ丘2)



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