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【告知】児島善三郎と木田金次郎 1893 ― 1962 (2012年7月5日~11月4日、岩内)=追記あり

2012年07月11日 23時19分46秒 | 展覧会等の予告
 すみません、もう始まってます。

 後志管内岩内町の木田金次郎美術館、ことしのプログラムの目玉といっていいでしょう。
 なんと、筆者も知りませんでしたが、木田金次郎と、近代日本を代表する画家、児島善三郎とは、生まれた年も歿した年もまったく同じだというのです。

 児島は、福岡生まれ。
 二科会をへて、一九三〇年協会、独立美術協会の創立に携わりました。
 中央画壇で活躍していた児島と、全国・道内の美術団体や画家からも距離を置いてひとり岩内で絵筆を執っていた木田。遠い存在と思われますが、じつは児島は終戦直後に札幌に疎開し、1946年と47年の2度にわたって長期滞在していたころ、岩内を訪れ、木田に会っていたそうです。岩内では47年に個展も開催しているそうです。

 ちらしには、こうあります。

 児島の北海道滞在期の作品をはじめ、児島がその画業の中で目指した「日本的絵画」について、岩内という地域に根差した制作を重ね続けてきた木田の画業を通じて紹介しようとするものです。


 おもな展示作品として…。

 児島善三郎

早春の下板橋附近(1921年)
赤い背景(1928年)
松 (1938年頃)
初秋の中之島公園 (1946年。これは「中島公園」のことでしょう)
初夏(1951年)
熱海風景(1957年)
薔薇(1961~62年。絶筆)

 木田金次郎
岩内郊外(1923)
含翠園の松(赤松と黒松)(1931)
岩内港(1955)
秋のテレビ塔(1960)
バラ(絶筆。1962)

(この段落追記)
 土方定一「日本の近代美術」(岩波文庫)の208ページには、次のようにあります。

装飾的伝統様式を復活した児島善三郎

児島善三郎は大正13年、パリに赴き、昭和4年帰国、同年、二科会の特別室に滞欧作を展示し、翌年、独立美術協会の創立に参加している。この作家の滞欧作の「裸婦」にみらえるものはイタリア・ルネサンスの画家たちのような、量感にあふれた豊満な裸婦であり、その量感をこまやかな明暗と油彩の古典的技法で強めている。前田寛治と同じように、そして別の仕方で、ヨーロッパの油彩の基礎技法のなかに沈潜しようとする若い児島の野心と力量が想像される作品である。次に、児島の風景画の時期となってくるが、そこには桃山障壁画、宗達、光琳、また大雅堂と、そのときそのときの伝統美術の様式の新しい造形的な解釈のなかに、風景からうけるこの作家の感動が組織されることになっている。写実と様式の格闘のなかで、児島の風景画は独自な様式となり、梅原につづく、新しい装飾的な伝統様式を復活する画家となっている。児島の青、緑と賞讃されているように、児島の青、緑は画面の魅惑を強めているが、たとえば、代表作のひとつ「アルプスへの道」(昭和26年)をとっても、青、緑の色面が美しく重なり、そのうえの空の夕焼け雲のある風景からの感動が色彩幻想のように描かれている。

(以上追記おわり)


2012年7月5日(木)~11月4日(日)午前10時~午後6時(入館~午後5時30分)、月曜休み(祝日の場合はその翌日)、8月13日は開館
木田金次郎美術館(岩内町万代51の3)

一般500円(400円)、高校生200円(150円)、小中学生100円(80円)
かっこ内は、10人以上の団体料金、およびリピーター割引

記念講演会「田園を愛した画家-児島善三郎の生涯」:7月16日(月)午後2時。
講師は志賀秀孝氏(府中市美術館学芸係長)

ミュージアムコンサート:同日午後6時
竹本利郎氏(チェロ)、明楽みゆき氏(チェンバロ)




・中央バス「高速いわない号」。札幌駅バスターミナル始発で、小樽などを経て、終点の岩内バスターミナルで降りたらすぐ


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