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林田嶺一さん死去か(江別、美術家)

2022年07月07日 18時09分54秒 | 情報・おしらせ
 7月5日北海道新聞朝刊おくやみ欄の江別市の項にあった「林田嶺一さん」は、美術家の林田さんと思われます。
 88歳。2日死去。
 葬儀は終了しています。


 林田嶺一さんは1933年(昭和8年)、当時の「満洲国」生まれ。

 歩みについては、2019年に美術手帖web 版にアップされた「櫛野展正連載29:アウトサイドの隣人たち 」(
https://bijutsutecho.com/magazine/series/s6/20617 )が詳しいです。
 いくらか補足しておきます。

 戦後は留萌館内増毛町に引き揚げ、長じて道職員のかたわら絵を習い、全道展に出品して会員になります。

 たぶん、門馬よ宇子さん(故人、ギャラリー門馬の初代オーナー、美術家、途中まで全道展会員)から聞いた話だと思うのですが、林田さんは当初は普通に絵画を描いていたというのです。
 筆者が全道展を見始めたのは1996年ですが、そのときは林田さんはすでに会員(推挙は1982年)で、満洲の思い出を木の扉などに描いたアッサンブラージュというか、平面インスタレーション的な作風に転じて、会場でも異彩を放っていました。
 板やガラス窓に、当時見た兵士やロシア語の看板などが、素朴な筆づかいと鮮やかな色彩で呼び起こされているのです。
(ちなみに、門馬さんも、70代になってから、油絵から、写真を用いた現代アートに転じて、周囲を驚かせましたが、全道展の審査で擁護の論陣を張って、会員推挙を後押ししたのが林田さんだったそうです)

 2001年、キリンアートアワードに応募して優秀賞に選ばれました。この年、最優秀賞はありませんでしたから、事実上の最高賞でした。
 筆者は同年、東京の発表会場で見ています( http://www5b.biglobe.ne.jp/~artnorth/tokyo4.htm#kirin 、画像なし)。
 また、2002年にはギャラリーたぴお(札幌)で受賞作などを展示した個展が開かれており、これを見た、上遠野敏さんのテキストが「北海道美術ネット」に載っています( www5b.biglobe.ne.jp/~artnorth/subkatono.html 、画像なし)。

 全道展は2004年に退会し、おもに道外で開かれる「アウトサイダーアート」「アール・ブリュット」の展覧会に出品されることが多くなりました。
 道内では「アール・ブリュット」イコール精神・知的障碍のある人のアート、という図式が根強いこともあったのかどうかは知りませんが、あまり出品していません。

 リンク先の櫛野さんの原稿を読むと、林田さんは全道展や道内美術界で非常に冷遇されていたという思いがあるようで、それは誤りではないのでしょうが、ほんとうにまったく相手にされていなかったら会員に推挙されていないでしょうし、2005年に江別市セラミックアートセンターが個展を企画することもなかったのではないでしょうか。

 筆者は江別での個展を見ておらず、林田さんの作品をいちばんまとめて見たのは、2017年に青森県立美術館が企画したグループ展「ラブラブショー 2」でした。これを機に(だと思うのですが)、林田さんの作品は同館が多数所蔵することになりました。
 道立美術館から黙殺されたのは残念ですが、行き場所ができたのは良かったです。

 際立った異端の美術家でした。
 ご冥福をお祈りします。


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