かつて東京で大学生時代を過ごしていた筆者にとって、隔週刊の情報誌「ぴあ」は、無くてはならないものだった。
大学生協の書籍部で発売当日に買い求め(たしか、当時230円ぐらい)、巻末のページに印刷されていた応募券を切ってはがきに貼る。すると、何回かに一度は、試写会か、映画館のタダ券が当たるので、雑誌代のモトは完全にとれていた。
もちろん、映画、演劇、舞台、コンサート、美術展の情報を得るには、欠かせない存在であった。
あの時代の「ぴあ」の、どこが情報誌として劃期的だったか。
それは、情報に対して徹底的にフラットというか、平等だった点だと思う。
それまでの新聞などのメディアは、膨大な情報を、価値付けして世に送っていた。
つまり、大事な情報は大きな見出しで文章は長く、そうではない情報は小さい見出しで面積も小さく…といったぐあいに、差をつけていたのだ。
「ぴあ」の扱うような分野でも、ハリウッドの話題作や秀作は重点的に取り扱い、大して話題にならなそうな作品は取り上げないというやり方が一般的だった。
しかし、当時の「ぴあ」は、たしかに、「映画」コーナーの表紙には、注目すべき新作などがやや詳しく紹介されていたけれど、2ページ目からは、どんな情報も等価だった。
つまり、歌舞伎町や日比谷のロードショー館で封切られたばかりの話題作も、名画座のスケジュールも、学生サークルの自主上映の案内も、基本的におなじ大きさの活字でならんでいたのだ。
それは、美術展もおなじことで、大半のギャラリーは、住所や日程、展覧会名が載っているだけ。モノクロの小さな写真がついていれば良いほうだった。だから、わずかな情報を手がかりに、新橋→銀座→京橋と、画廊をじゅうたん爆撃していくほかなかったのだ。
そのかわり、ほとんどのギャラリーが網羅されていたのだ。
初心者にはとっつきにくい掲載の手法かもしれないが、先入観なしに展覧会に接するためには、「ぴあ」のフラットなスタイルは良かったのだと思う。
こちらも、時間はたっぷりあったから、手当たり次第にまわっているうちに、鎌倉画廊、南天子画廊、京橋のアキラ・イケダ…といった、注目すべきギャラリーがわかってくるのであった。
(ちなみに、当時は「月刊ギャラリー」が創刊したばかり。「美術手帖」の情報コーナーは今よりは網羅性があったものの「ぴあ」にはかなわなかった。画廊は大半が銀座や京橋に分布し、今ほど江東区のほうや青山、渋谷などに点在しておらず、回りやすかった)
「ぴあ」のこの徹底した平等路線は、ずっと続いたわけではなかった。
週刊になってからの「ぴあ」は、全ページがカラー印刷になり、見やすくなった半面、編集部の側で情報に軽重をつける傾向が強まった。
網羅性が著しく弱くなり、美術展でも、掲載されるギャラリーの数が減った。東京都美術館の団体公募展の日程すら載らなくなってしまった。
筆者は東京を離れて北海道に帰ってきていたので、手に取ることも少なくなっていたが…。
いまは更新停止中の北海道美術ブログの編集方針なんかには、昔の「ぴあ」の平等主義が色濃く影響しているのだ。
「ぴあ」なしには、自分の学生生活はありえなかったと思う。
全冊を処分したことを、ちょっと後悔している。
そして、ネットの時代になっても、かつての平等主義と網羅性を受け継ぐメディアが出てきてほしいと思っている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110422-00000037-mai-soci
ぴあ首都圏版、休刊へ…HPの情報提供は継続(読売新聞) - goo ニュース
大学生協の書籍部で発売当日に買い求め(たしか、当時230円ぐらい)、巻末のページに印刷されていた応募券を切ってはがきに貼る。すると、何回かに一度は、試写会か、映画館のタダ券が当たるので、雑誌代のモトは完全にとれていた。
もちろん、映画、演劇、舞台、コンサート、美術展の情報を得るには、欠かせない存在であった。
あの時代の「ぴあ」の、どこが情報誌として劃期的だったか。
それは、情報に対して徹底的にフラットというか、平等だった点だと思う。
それまでの新聞などのメディアは、膨大な情報を、価値付けして世に送っていた。
つまり、大事な情報は大きな見出しで文章は長く、そうではない情報は小さい見出しで面積も小さく…といったぐあいに、差をつけていたのだ。
「ぴあ」の扱うような分野でも、ハリウッドの話題作や秀作は重点的に取り扱い、大して話題にならなそうな作品は取り上げないというやり方が一般的だった。
しかし、当時の「ぴあ」は、たしかに、「映画」コーナーの表紙には、注目すべき新作などがやや詳しく紹介されていたけれど、2ページ目からは、どんな情報も等価だった。
つまり、歌舞伎町や日比谷のロードショー館で封切られたばかりの話題作も、名画座のスケジュールも、学生サークルの自主上映の案内も、基本的におなじ大きさの活字でならんでいたのだ。
それは、美術展もおなじことで、大半のギャラリーは、住所や日程、展覧会名が載っているだけ。モノクロの小さな写真がついていれば良いほうだった。だから、わずかな情報を手がかりに、新橋→銀座→京橋と、画廊をじゅうたん爆撃していくほかなかったのだ。
そのかわり、ほとんどのギャラリーが網羅されていたのだ。
初心者にはとっつきにくい掲載の手法かもしれないが、先入観なしに展覧会に接するためには、「ぴあ」のフラットなスタイルは良かったのだと思う。
こちらも、時間はたっぷりあったから、手当たり次第にまわっているうちに、鎌倉画廊、南天子画廊、京橋のアキラ・イケダ…といった、注目すべきギャラリーがわかってくるのであった。
(ちなみに、当時は「月刊ギャラリー」が創刊したばかり。「美術手帖」の情報コーナーは今よりは網羅性があったものの「ぴあ」にはかなわなかった。画廊は大半が銀座や京橋に分布し、今ほど江東区のほうや青山、渋谷などに点在しておらず、回りやすかった)
「ぴあ」のこの徹底した平等路線は、ずっと続いたわけではなかった。
週刊になってからの「ぴあ」は、全ページがカラー印刷になり、見やすくなった半面、編集部の側で情報に軽重をつける傾向が強まった。
網羅性が著しく弱くなり、美術展でも、掲載されるギャラリーの数が減った。東京都美術館の団体公募展の日程すら載らなくなってしまった。
筆者は東京を離れて北海道に帰ってきていたので、手に取ることも少なくなっていたが…。
いまは更新停止中の北海道美術ブログの編集方針なんかには、昔の「ぴあ」の平等主義が色濃く影響しているのだ。
「ぴあ」なしには、自分の学生生活はありえなかったと思う。
全冊を処分したことを、ちょっと後悔している。
そして、ネットの時代になっても、かつての平等主義と網羅性を受け継ぐメディアが出てきてほしいと思っている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110422-00000037-mai-soci
ぴあ首都圏版、休刊へ…HPの情報提供は継続(読売新聞) - goo ニュース
映画やコンサート情報を紹介し、1980~90年代の若者文化をリードした情報誌「ぴあ」首都圏版(隔週刊)を7月21日発売号で休刊すると22日、ぴあ株式会社が発表した。
インターネットで情報を無料検索できるようになり、80年代後半に53万部に達した部数は6万部に落ちていた。同社ホームページでの情報提供は、これまで通り続ける。
「ぴあ」は72年、当時学生だった矢内廣社長が月刊誌として創刊した情報誌の草分け。著名人を描いた及川正通さんの表紙イラストでも親しまれ、79年に隔週刊、90年に週刊となったが、2008年から隔週刊に戻った。中部版は昨年6月、関西版は同10月に休刊している。
そっちの方がウケるのだとしたら、なんか残念だな~。
私は首都圏に半年しかいなかったので、あまりお世話になっておりません。
但し、学生時代の先輩が編集部にいたそうで、「このオジサンみたいな人が!」と驚いた記憶があります。