戦後日本を代表する写真家(1931〜2020)が、初期の1958年に個展を開いて発表し、2019年に自身の再構成により復刊した「王国」のオリジナルプリント170点を一気に紹介する展覧会。
「王国」の撮影地が、函館近傍の北斗市(当時は上磯町)当別にあるトラピスト修道院と和歌山の女子刑務所であることから、遺族が作品を寄贈し、実現した。
復刊した「王国 Domains」には収録されていない別プリントが35点含まれているのがミソで、おそらく今回の機会を逃せば、ふたたび鑑賞できるのがいつになるか分からない。
筆者は、復刊写真集が1万円以上と高価なことから、ひょっとしたら美術館独自の図録があってその半額以下で入手できるのではないかという下心をもって函館まで出向いたのだが、図録はなかった。というか、奈良原一高関係の販売物がおそろしく少なく、この展覧会の理解に資するものはくだんの復刊写真集以外置かれていなかった(岩波の写真集をはじめ、大半の書物が品切になっているので、美術館を責められない)。
近年の道立美術館が図録を発行しない傾向にあるのは、けっして良いことではないだろう。だだし今回の展示構成で図録を刊行すると、復刊ドットコム社の営業妨害になりかねないようにも思うので、やむを得ないのかもしれない。
写真集のページ順に、上下に2枚ずつ同じ大きさのモノクロプリントを配置しているだけの、ごくシンプルな展覧会。
ただ、写真集は左綴じ(横組みの書物と同じ)なのに対し、会場は、右から左に進む順路と、左から右に進む順路があり、あまり親切な構成とはいえまい。
解説パネルを必要最小限に絞ったのはいいが、細江英江とか、アサヒカメラの創刊年といった明らかな誤記が散見され、がっかりした。
戦後写真史を振り返ると、奈良原一高の登場は伝説的に語られているようだ。
早稲田大の大学院で美術史を学び、在学中に開いた初の個展「人間の土地」が大反響を呼び、短い会期の終わりが近づくにつれ来場者が増えて、会期終了後に「僕は写真家と呼ばれるようになっていた」と本人が振り返るほどだったという。
口コミ、あるいはジャーナリズムが、ちゃんと機能していたように見えるのが、筆者がいちばんうらやましく感じるところだ。
筆者のアンテナが鈍いだけなのかもしれないが、最近
「ヤナイさん、●●展行った? すごいよ」
みたいな会話をぜんぜん交わしていないのである。
SNS がこれほど普及しているというのに、なんだか残念だ。
話を戻すと、奈良原一高は1983年にこう述べている。
炭鉱という珍しい題材もさることながら、おそらく1950年代当時、それを撮影する人がいたとしたら、「労働」を賛美する左翼的な観点か、リアリズムに徹する土門拳的な方法論であり(その二つは重なり合うこともあろう)、私的な視点でレンズを向けるということがいかに斬新だったかが、あらためてわかる。
「王国」は、それに続くシリーズである。
男子修道院という、一般の人は立ち入ることのできない場所と、そこで沈黙のうちに暮らす人々に、崇高さにも振れず、情感的にもならず、淡々とレンズを向けている。
キャプションは少ない。
17~27には、以前技師だったという助修士がサボ(木靴)を作っている様子がとらえられている。
その他、農作業、窓辺での執筆、質素な墓、食事、祈りの写真などが続く。
興味深かったのは、祈りの際にすわる長いす。ひじかけの代わりなのか、首から肩の位置あたりに、ちょうど首がすっぽりと入るような仕切りがある。風呂での湯の高さに似ている。祈禱修士は1日5、6時間を祈りに過ごし、4、5時間労働・手仕事をする(助修士は労働8時間、祈禱2時間など)と、キャプションにあった。
入場券に印刷されているのは、修道院から函館湾を見下ろした風景。
写真集には収録されていない別カットも展示されていた。
美しい風景だが、修道生活の厳しさをことさら強調するのでもなく、脱出や自由を促すのでもない、一歩引いた視線というか立ち位置が感じられた。
ひとりの修道士が夕暮れ、建物に入っていく一枚が、ことさらに美しく感じられた。復刊本の表紙に採用されているようだ。
女子刑務所の写真は50枚以下なので、修道院よりもだいぶ少ない。
そして、当然ながら、収容者も刑務官も顔がはっきりと分かる写真は一枚もない。
床の上に何かがぶちまけられている1枚があったが、それが何なのかを示す手がかりは皆無で、見る者は想像をめぐらせるしかないのだ。
パノプティコンをした刑務所の建物、併設の美容院に置かれている雑誌、現代よりやたらと大きな歯ブラシやアルミニウムの皿などに、時代を感じた。
逆に言えば、トラピスト修道院は、撮影当時すでに昔風であり、いつまでも古びない題材だといえるかもしれない。
2022年4月29日(金)~6月19日(日)午前9時半~午後5時、月曜休み
道立函館美術館(函館市五稜郭町)
過去の関連記事へのリンク
写真家の奈良原一高さん死去と北海道 (2020)
※この稿を書くにあたり、岩波書店「日本の写真家 奈良原一高」、復刊ドットコム「王国 Domains」を参考にしました。
「王国」の撮影地が、函館近傍の北斗市(当時は上磯町)当別にあるトラピスト修道院と和歌山の女子刑務所であることから、遺族が作品を寄贈し、実現した。
復刊した「王国 Domains」には収録されていない別プリントが35点含まれているのがミソで、おそらく今回の機会を逃せば、ふたたび鑑賞できるのがいつになるか分からない。
筆者は、復刊写真集が1万円以上と高価なことから、ひょっとしたら美術館独自の図録があってその半額以下で入手できるのではないかという下心をもって函館まで出向いたのだが、図録はなかった。というか、奈良原一高関係の販売物がおそろしく少なく、この展覧会の理解に資するものはくだんの復刊写真集以外置かれていなかった(岩波の写真集をはじめ、大半の書物が品切になっているので、美術館を責められない)。
近年の道立美術館が図録を発行しない傾向にあるのは、けっして良いことではないだろう。だだし今回の展示構成で図録を刊行すると、復刊ドットコム社の営業妨害になりかねないようにも思うので、やむを得ないのかもしれない。
写真集のページ順に、上下に2枚ずつ同じ大きさのモノクロプリントを配置しているだけの、ごくシンプルな展覧会。
ただ、写真集は左綴じ(横組みの書物と同じ)なのに対し、会場は、右から左に進む順路と、左から右に進む順路があり、あまり親切な構成とはいえまい。
解説パネルを必要最小限に絞ったのはいいが、細江英江とか、アサヒカメラの創刊年といった明らかな誤記が散見され、がっかりした。
戦後写真史を振り返ると、奈良原一高の登場は伝説的に語られているようだ。
早稲田大の大学院で美術史を学び、在学中に開いた初の個展「人間の土地」が大反響を呼び、短い会期の終わりが近づくにつれ来場者が増えて、会期終了後に「僕は写真家と呼ばれるようになっていた」と本人が振り返るほどだったという。
口コミ、あるいはジャーナリズムが、ちゃんと機能していたように見えるのが、筆者がいちばんうらやましく感じるところだ。
筆者のアンテナが鈍いだけなのかもしれないが、最近
「ヤナイさん、●●展行った? すごいよ」
みたいな会話をぜんぜん交わしていないのである。
SNS がこれほど普及しているというのに、なんだか残念だ。
話を戻すと、奈良原一高は1983年にこう述べている。
私はこの二種の「土地」を撮ることに拠って、今日生きることを考えたかったのです。だから単なる事実の報道の意味をこえて、エッセイとしての意図をこの作品には抱きました。パーソナルドキュメントと云うべき方法を目指したのも必然でした。
炭鉱という珍しい題材もさることながら、おそらく1950年代当時、それを撮影する人がいたとしたら、「労働」を賛美する左翼的な観点か、リアリズムに徹する土門拳的な方法論であり(その二つは重なり合うこともあろう)、私的な視点でレンズを向けるということがいかに斬新だったかが、あらためてわかる。
「王国」は、それに続くシリーズである。
男子修道院という、一般の人は立ち入ることのできない場所と、そこで沈黙のうちに暮らす人々に、崇高さにも振れず、情感的にもならず、淡々とレンズを向けている。
キャプションは少ない。
17~27には、以前技師だったという助修士がサボ(木靴)を作っている様子がとらえられている。
その他、農作業、窓辺での執筆、質素な墓、食事、祈りの写真などが続く。
興味深かったのは、祈りの際にすわる長いす。ひじかけの代わりなのか、首から肩の位置あたりに、ちょうど首がすっぽりと入るような仕切りがある。風呂での湯の高さに似ている。祈禱修士は1日5、6時間を祈りに過ごし、4、5時間労働・手仕事をする(助修士は労働8時間、祈禱2時間など)と、キャプションにあった。
入場券に印刷されているのは、修道院から函館湾を見下ろした風景。
写真集には収録されていない別カットも展示されていた。
美しい風景だが、修道生活の厳しさをことさら強調するのでもなく、脱出や自由を促すのでもない、一歩引いた視線というか立ち位置が感じられた。
ひとりの修道士が夕暮れ、建物に入っていく一枚が、ことさらに美しく感じられた。復刊本の表紙に採用されているようだ。
女子刑務所の写真は50枚以下なので、修道院よりもだいぶ少ない。
そして、当然ながら、収容者も刑務官も顔がはっきりと分かる写真は一枚もない。
床の上に何かがぶちまけられている1枚があったが、それが何なのかを示す手がかりは皆無で、見る者は想像をめぐらせるしかないのだ。
パノプティコンをした刑務所の建物、併設の美容院に置かれている雑誌、現代よりやたらと大きな歯ブラシやアルミニウムの皿などに、時代を感じた。
逆に言えば、トラピスト修道院は、撮影当時すでに昔風であり、いつまでも古びない題材だといえるかもしれない。
2022年4月29日(金)~6月19日(日)午前9時半~午後5時、月曜休み
道立函館美術館(函館市五稜郭町)
過去の関連記事へのリンク
写真家の奈良原一高さん死去と北海道 (2020)
※この稿を書くにあたり、岩波書店「日本の写真家 奈良原一高」、復刊ドットコム「王国 Domains」を参考にしました。