(10月24日、文字化け修正しました)
北海道出身の美術史家・匠秀夫の著書「三岸好太郎 昭和洋画史への序章」をベースにして「日本の近代美術のダイナミックな変転のなかに三岸の魅力を再発見する」(チラシより)特別展の第2弾。
昨年のPart1にくらべると、三岸以外の出品が非常に少ない。
日本にシュルレアリスム絵画をもたらしたひとりといわれる福沢一郎「溺死」「蝶(習作)」のほかは、三岸のアトリエを設計した建築家山脇巌のスケッチがあるくらい。
そのため、結果的に「三岸好太郎ベスト盤」的な展覧会になっている。
むしろ目玉になっているのは、この美術館の所蔵ではない代表作か。
福岡市美術館蔵「海と射光」、それにポーラ美術館蔵「蝶と裸婦」が見られる。
とりわけ「海と射光」は、三岸の代表作であり、「日本におけるシュルレアリスム絵画の記念碑的な作品」と位置づけられるということだ(速水豊著「シュルレアリスム絵画と日本」NHKブックス)。
なので、これを見に行くという目的でも、OKだと思う。
いま「シュルレアリスム絵画と日本」という書名を記したが、この本の著者である速水豊・兵庫県立美術館学芸員は、この展覧会の会期中に三岸好太郎美術館で講演している。
少し話はそれるが、「シュルレアリスム絵画と日本」は、筆者にはとても興味深い本だった。
古賀春江、福沢、三岸、飯田操朗を取り上げつつ、かならずしも日本の「シュルレアリスム絵画」が、本家本物のシュルレアリスムに忠実なものでなくても、だからといってダメということにはならない-ということを、きちんと論じている。古賀や福沢の絵のネタ元(引用元)を実に細かく調べ上げているのがおもしろい。
これは三岸について述べたくだりだけど、なるほどな~と考えさせられた。
筆者は心の底のどこかで、三岸のめまぐるしい画風の変遷について、どこかで不信感を抱いていたのだが、この本を読んでいくらか解消されたような気がする。
同書では、三岸のイメージの元になったものの探索もしている。
「リボン」という、蝶のかわりにリボンが宙を舞っているようすを描いた素描が今展覧会で展示されている。速水氏はこれについて、1928年の「ヴァリエテ」誌のシュルレアリスム特集号に載ったエミール・サヴィトリー「出会い」に似ていると指摘している。
三岸が、親交のあった評論家の外山卯三郎が同人であった「詩と詩論」を読んでいたのは事実であり、この雑誌が「ヴァリエテ」からさし絵の転載を行っていることから、速水氏は、三岸が「ヴァリエテ」を見ていた可能性を推測しているのだ。
独立美術脱退の話は、今展覧会の解説パネルにも記されている。
ともあれ、三岸ファンは読んで損のない本だと推薦しておきます。
どうにも、まとまりを欠く文章になってしまい、すみません。
2010年9月11日(土)~10月24日(日)9:30~5:00(入場~4:30)、月曜休み(祝日開館し、翌火曜休み。9月24日開館)
道立三岸好太郎美術館
(札幌市中央区北2西15)
一般600円、高大生350円、小中生250円
・地下鉄東西線「西18丁目」4番出口から750メートル、徒歩9分
・中央バス、ジェイアール北海道バス「道立近代美術館前」から500メートル、徒歩6分
・市電「西15丁目」から770メートル、徒歩10分
北海道出身の美術史家・匠秀夫の著書「三岸好太郎 昭和洋画史への序章」をベースにして「日本の近代美術のダイナミックな変転のなかに三岸の魅力を再発見する」(チラシより)特別展の第2弾。
昨年のPart1にくらべると、三岸以外の出品が非常に少ない。
日本にシュルレアリスム絵画をもたらしたひとりといわれる福沢一郎「溺死」「蝶(習作)」のほかは、三岸のアトリエを設計した建築家山脇巌のスケッチがあるくらい。
そのため、結果的に「三岸好太郎ベスト盤」的な展覧会になっている。
むしろ目玉になっているのは、この美術館の所蔵ではない代表作か。
福岡市美術館蔵「海と射光」、それにポーラ美術館蔵「蝶と裸婦」が見られる。
とりわけ「海と射光」は、三岸の代表作であり、「日本におけるシュルレアリスム絵画の記念碑的な作品」と位置づけられるということだ(速水豊著「シュルレアリスム絵画と日本」NHKブックス)。
なので、これを見に行くという目的でも、OKだと思う。
いま「シュルレアリスム絵画と日本」という書名を記したが、この本の著者である速水豊・兵庫県立美術館学芸員は、この展覧会の会期中に三岸好太郎美術館で講演している。
少し話はそれるが、「シュルレアリスム絵画と日本」は、筆者にはとても興味深い本だった。
古賀春江、福沢、三岸、飯田操朗を取り上げつつ、かならずしも日本の「シュルレアリスム絵画」が、本家本物のシュルレアリスムに忠実なものでなくても、だからといってダメということにはならない-ということを、きちんと論じている。古賀や福沢の絵のネタ元(引用元)を実に細かく調べ上げているのがおもしろい。
全体として、初期の独立展に出品された若い画家たちのシュルレアリスム的作品の多くには、フォーヴィスムからシュルレアリスムへの移行とも呼べる現象が、折衷的な形態を取りながら画家それぞれの流儀にもとづいて進行しているのを見ることができる。こうした意味でシュルレアリスム的なものの導入は、あるスタイルから次のスタイルへと、着物や帽子を取り替えるように容易になされたのではなかったことが想像される。 (215ページ)
これは三岸について述べたくだりだけど、なるほどな~と考えさせられた。
筆者は心の底のどこかで、三岸のめまぐるしい画風の変遷について、どこかで不信感を抱いていたのだが、この本を読んでいくらか解消されたような気がする。
同書では、三岸のイメージの元になったものの探索もしている。
「リボン」という、蝶のかわりにリボンが宙を舞っているようすを描いた素描が今展覧会で展示されている。速水氏はこれについて、1928年の「ヴァリエテ」誌のシュルレアリスム特集号に載ったエミール・サヴィトリー「出会い」に似ていると指摘している。
三岸が、親交のあった評論家の外山卯三郎が同人であった「詩と詩論」を読んでいたのは事実であり、この雑誌が「ヴァリエテ」からさし絵の転載を行っていることから、速水氏は、三岸が「ヴァリエテ」を見ていた可能性を推測しているのだ。
三岸自身はシュルレアリスムについてどう考えていたのだろうか。
彼の作品はシュルレアリスム絵画との近似を示し、また、三岸が福沢一郎と独立美術協会を抜けて新団体を作ろうと話したこともあったと伝えられる。しかし、彼自身が自らの作品をシュルレアリスム絵画との関係から記した文章は残っていない。
独立美術脱退の話は、今展覧会の解説パネルにも記されている。
ともあれ、三岸ファンは読んで損のない本だと推薦しておきます。
どうにも、まとまりを欠く文章になってしまい、すみません。
2010年9月11日(土)~10月24日(日)9:30~5:00(入場~4:30)、月曜休み(祝日開館し、翌火曜休み。9月24日開館)
道立三岸好太郎美術館
(札幌市中央区北2西15)
一般600円、高大生350円、小中生250円
・地下鉄東西線「西18丁目」4番出口から750メートル、徒歩9分
・中央バス、ジェイアール北海道バス「道立近代美術館前」から500メートル、徒歩6分
・市電「西15丁目」から770メートル、徒歩10分
そして、三岸にそのきらいがないとは、とうてい言えないと思うんですけど。
でも、それだけではないのでは-ということです。
この本、面白いです。
推理小説の謎解きみたいな部分もけっこうありますし。
事実、それはあったでしょうね。
私の目から見ても、「上手いけど…」って言いたくなる有名画家いますもんね。
確かに三岸もシュールレアリスムへの傾倒なんて、絶対流れに乗っただろという気もしていました。
こりゃ「シュルレアリスム絵画と日本」は良い本ですね。
正確に言えば、画風がめまぐるしく変遷すること自体についての不信感というよりは、その変遷に、必然性があったかどうか、ということなのです。
たとえばピカソの変転は、理解できます。
しかし、三岸の場合はどうなのか。
日本の画家の場合
「これがパリで最新流行だから」
という理由で画風を変えた人がけっこういたんじゃないのか。
たとえば、東京で「最新欧洲美術展」みたいのが開かれると、それに影響された絵が次の年の展覧会にどっと出てくる。
あるいは、アンフォルメルが流行りだといえば、団体公募展の絵の半数以上がそういう作品になる。
そういう現象があるということは、じゃ、それぞれの画家って、どこまで心血を注いで「自分の作品」作ってるの? と言いたくなるわけですよ。
まあ、二流三流の画家はどうでもいいっちゃいいわけですけど、三岸の場合、筆者には見極めが付かなかった。
単に流行を追いかけるだけの画家ではなかったようだ、というのが、速水さんの本を読んでの結論です。
> 筆者は心の底のどこかで、三岸のめまぐるしい画風の変遷について、どこかで不信感を抱いていたのだが
確かに画風が変わりすぎという感があるのですが、私は素人ながらに、色々な作風を試している1周目だと思っていました。
一通り試してから、次の2周目で描きだすものに非常に期待する(していた)訳です。
もちろん、お亡くなりになったので、もうそれは見ることができない訳ですが。