全道展について書く前に、全道展ってなんだろう? という、超基本的なことから書きだすことにした。
かんがえてみれば、団体公募展というのは、美術・書道界に独特の制度である。
写真や小説のコンクールだと、その分野の権威的な人が数人で審査を行い、募集した作品から賞を選ぶ。
応募した人は、受賞したからといって、賞に関してその後の「立場」が変わるわけではない。
美術の団体公募展は、どれも毎年応募を受け付けている。
一般出品者で、何度か受賞を重ねた人が「会友」となる。
会友になった人は、落選することがなくなる。
そのかわり、各賞の対象にもならない(新道展、北海道書道展は、最高賞に関しては、会友から選ぶ)。
会友を何年か続け、認められた人が、「会員」に昇格する。
「会員」とは、たいていの団体展では「審査員」を意味する。
同時に、会の運営にもたずわさる。
だから、賞をもらっているうちは、いわば「ヒラ」の身分なのである。
賞を選んで与える側の「会員」のほうがはるかにえらい。
道内の公募展はどこもたいてい
「一般出品者」→「会友」→「会員」
という段階になっている。
なんとなく、サラリーマンの世界を思わせないでもない。
ちがうのは、年功序列ではなく、実力がものをいう世界であることだ。
(もっとも、実力よりも政治力が効果のある団体も道外にはあるようだが)
(註・上のカッコ内の文言を微妙に変えました。6月26日)
全道規模の団体公募展として、
「北海道美術協会」が開く「道展」
「全道美術協会」の「全道展」
「新北海道美術協会」の「新道展」
の三つが名高い。
三つは、まったく別の組織である。
このほか、北海道美術作家協会の「道美展」、北海道水彩協会の「道彩展」、写真道展、美工展…などもある。
また、書の世界には、北海道書道展などがある。
三大公募展のうち、もっとも歴史が古く、戦前からあるのが道展である。
また、おもに、戦争中に道内に疎開していた画家たちが、戦争直後、北海道新聞社の協力を得て旗揚げしたのが全道展である。
両者はライバルとしてしのぎを削ってきた。
全道展より10年遅れて発足したのが新道展。先行2団体に飽き足らない人たちが設立した。
さらに、函館には「赤光社」「道南美術協会」、旭川に「純生展」「新ロマン派美術協会」、釧路に「釧美展」、帯広に「平原社」、北見に「全オホーツク展」などなど、各地におなじような組織を有する美術公募団体が存在する。
ただし、札幌圏限定の団体はない。
もちろん、全国的な公募団体もあり、それぞれに「会員」がいて、一般入選者の作品を選んでいる。
「日展」とか「二科展」というのは、聞いたことがある人もいるだろう。
ほかに、名前をよくきくのは、春陽展、国展、院展、創画展、独立美術、自由美術、美術文化協会、一水会、新制作展、主体、モダンアート、光風会、行動美術、二紀展、一陽会などだが、実際にはこの何倍もの団体がある。
院展と創画展は日本画のみとか、団体の性格は少しずつ違うし、「会員」と「一般出品者」の2段階だけの団体もあれば、もっと階梯の数の多いところもある。
同じなのは、日展などは別にして、同じ人がふたつの団体に属さないことである。
ただし、道内の団体と、全国の団体の両方に属している人はたくさんいる。
しかし、二科と独立の会員に同時になったり、道展と全道展の会員を兼ねることはできない。
かつては、画家や彫刻家を紹介する際、彼(女)の所属する団体公募展は欠かせない要素だった。
早い話、ギャラリーや美術館が今ほどたくさんなかったので、年に1度の公募展は貴重な発表の機会だったのだ。
また、新聞の文化面などには、団体公募展の評がつきものだった。
ナントカ展の会員というのは、それなりに権威を持つ肩書きであったのだ。
いまは、団体公募展の評を載せているのは、北海道新聞と日本経済新聞(夕刊なので道内では読めない)ぐらいなもので、全国紙はまったく黙殺している。
したがって、一般の人にとって、団体公募展は昔に比べると縁遠いものとなっている。
美術ファンの間でも、とくに現代美術は、団体公募展と無関係なところで発展してきたので、ほとんど話題に上ることが少なくなっている。
百貨店の画廊などでも、団体公募展に属さない画家が多くなってきた。
もちろん、フランスにも「サロン」はあるが、これだけ数多くの団体公募展があるのは日本ぐらいなものだろう。
組織の好きな日本人らしい現象なのかもしれない。
かんがえてみれば、団体公募展というのは、美術・書道界に独特の制度である。
写真や小説のコンクールだと、その分野の権威的な人が数人で審査を行い、募集した作品から賞を選ぶ。
応募した人は、受賞したからといって、賞に関してその後の「立場」が変わるわけではない。
美術の団体公募展は、どれも毎年応募を受け付けている。
一般出品者で、何度か受賞を重ねた人が「会友」となる。
会友になった人は、落選することがなくなる。
そのかわり、各賞の対象にもならない(新道展、北海道書道展は、最高賞に関しては、会友から選ぶ)。
会友を何年か続け、認められた人が、「会員」に昇格する。
「会員」とは、たいていの団体展では「審査員」を意味する。
同時に、会の運営にもたずわさる。
だから、賞をもらっているうちは、いわば「ヒラ」の身分なのである。
賞を選んで与える側の「会員」のほうがはるかにえらい。
道内の公募展はどこもたいてい
「一般出品者」→「会友」→「会員」
という段階になっている。
なんとなく、サラリーマンの世界を思わせないでもない。
ちがうのは、年功序列ではなく、実力がものをいう世界であることだ。
(もっとも、実力よりも政治力が効果のある団体も道外にはあるようだが)
(註・上のカッコ内の文言を微妙に変えました。6月26日)
全道規模の団体公募展として、
「北海道美術協会」が開く「道展」
「全道美術協会」の「全道展」
「新北海道美術協会」の「新道展」
の三つが名高い。
三つは、まったく別の組織である。
このほか、北海道美術作家協会の「道美展」、北海道水彩協会の「道彩展」、写真道展、美工展…などもある。
また、書の世界には、北海道書道展などがある。
三大公募展のうち、もっとも歴史が古く、戦前からあるのが道展である。
また、おもに、戦争中に道内に疎開していた画家たちが、戦争直後、北海道新聞社の協力を得て旗揚げしたのが全道展である。
両者はライバルとしてしのぎを削ってきた。
全道展より10年遅れて発足したのが新道展。先行2団体に飽き足らない人たちが設立した。
さらに、函館には「赤光社」「道南美術協会」、旭川に「純生展」「新ロマン派美術協会」、釧路に「釧美展」、帯広に「平原社」、北見に「全オホーツク展」などなど、各地におなじような組織を有する美術公募団体が存在する。
ただし、札幌圏限定の団体はない。
もちろん、全国的な公募団体もあり、それぞれに「会員」がいて、一般入選者の作品を選んでいる。
「日展」とか「二科展」というのは、聞いたことがある人もいるだろう。
ほかに、名前をよくきくのは、春陽展、国展、院展、創画展、独立美術、自由美術、美術文化協会、一水会、新制作展、主体、モダンアート、光風会、行動美術、二紀展、一陽会などだが、実際にはこの何倍もの団体がある。
院展と創画展は日本画のみとか、団体の性格は少しずつ違うし、「会員」と「一般出品者」の2段階だけの団体もあれば、もっと階梯の数の多いところもある。
同じなのは、日展などは別にして、同じ人がふたつの団体に属さないことである。
ただし、道内の団体と、全国の団体の両方に属している人はたくさんいる。
しかし、二科と独立の会員に同時になったり、道展と全道展の会員を兼ねることはできない。
かつては、画家や彫刻家を紹介する際、彼(女)の所属する団体公募展は欠かせない要素だった。
早い話、ギャラリーや美術館が今ほどたくさんなかったので、年に1度の公募展は貴重な発表の機会だったのだ。
また、新聞の文化面などには、団体公募展の評がつきものだった。
ナントカ展の会員というのは、それなりに権威を持つ肩書きであったのだ。
いまは、団体公募展の評を載せているのは、北海道新聞と日本経済新聞(夕刊なので道内では読めない)ぐらいなもので、全国紙はまったく黙殺している。
したがって、一般の人にとって、団体公募展は昔に比べると縁遠いものとなっている。
美術ファンの間でも、とくに現代美術は、団体公募展と無関係なところで発展してきたので、ほとんど話題に上ることが少なくなっている。
百貨店の画廊などでも、団体公募展に属さない画家が多くなってきた。
もちろん、フランスにも「サロン」はあるが、これだけ数多くの団体公募展があるのは日本ぐらいなものだろう。
組織の好きな日本人らしい現象なのかもしれない。
昨年初めて全道展を観に行ったのですが、はっきり言ってガッカリしました。私のイメージでは、「入選する=上手い」なんですが、そういう感じがしない作品が何枚もあり、全道展ってこんなもんなんだなあ、と思ってしまいました。
これは率直な感想なんですが、毎回2・6枚に一点ぐらい入選するようでは、観てる方としてはつまらない。もう少し入選の敷居を高くは出来ないんでしょうか? 今年は昨年のこともあり、観に行く気がしません。
入選や入賞することが目的なのではなく、それに向けて描くという姿勢に意味があるのでしょうけど・・・。
wikiなんて、いかなる意味でも参照しちゃだめだと思いますよ。
http://blog.goo.ne.jp/h-art_2005/e/181723962bb3424bfdb910998def7643
>ほいほいさま
はじめまして。
ちょっとなまいきな言い方になってしまうかもしれませんが、ご容赦を。
ほいほいさんの、「入選する=上手い」というのがどんなイメージなのか正直なところわからないのですが、もし「上手い」というのが「本物そっくり」だというのであれば、それは150年前の絵の見方ではないかと。
ただ、上にも書いたとおり、入選者よりも会員のほうがうまいに決まっています。
全道展でいえば、木村富秋さんとか高橋三加子さんとかは、非常にうまいですよね。
しかし、うまくなくともいい絵はいっぱいあります。
ゴーギャンとかアンリ・ルソーは、「うまい」絵ではないですが、いい絵だと思いますよ。
私は画を書く人ではないので、決して文句をつけているわけではありません。純粋に興味があるのです。
なぜなら私は全道展に行くと「世の中、上手い人が沢山いるよなあ」と思うのですよね。
もちろん東京の公募展を見ると、さらに「次元が違うよなあ」と思ったりもしますけど。
また、道展と全道展は「結果として」ライバルとなったというのが適切だと思います。
全道展設立の経緯は正確な記録がなくわずかに吉田豪介さんの著作に整理した形で述べられています。道展側の主要作家すなわち繁野三郎、今田敬一、伊藤正などからみれば全道展は「同人展」的な組織という意識だったのだろうと読み取れます。もちろん道展存続が基盤です。
上手い絵というのは、客観的な説明で良いと思います。つまり技巧的な条件が揃っている、秩序があり、理論だった絵ということ。
良い絵というのはそれに加えて主観的な意識・感慨を強く励起させるものだと思います。
私は絵を描くんですが、専門的な絵の勉強はしていません。でも、もし私が全道展に作品を出品して入選でもしたら、物凄く恥ずかしいと思うんですよ。自分の下手さは分っているけど、入選の確率を見たときに「なあ~んだ、2.6点に1点か。だから私でも入選出来たんだ」と。審査の対象としているものは一体何なのか。絵の「上手さ」や「魅力」ではなく、2・6の基準なのでは? そういう事に誰も疑問を感じないのかな?って率直に思ったんです。
私の「上手い」のイメージは写実的な絵は勿論上手いですが「下手なんだけど、なんか良いよね」という絵のことです。ゴーギャンやアンリ・ルソーの絵は私の中では「上手い」に入ります。なぜなら、専門的な勉強はしていなくとも自分なりの上手さを持っているからです。
絵は上手さだけでは語れませんよね。好みもあるし。ちなみに私の好きな画家はモディリアニやシャガールです。
先のコメントを投稿する前に凄く悩んだんです。頑張って出品してる方に対して失礼にならないかと。本当に、すいませんでした。
「一般出品者」→「会友」→「会員」
という段階になっている。なんとなく、サラリーマンの世界を思わせないでもない。ちがうのは、年功序列ではなく、実力がものをいう世界であることだ。(もっとも、筆力よりも政治力が効果のある団体もあるようだが)
この記述を読み、私も疑問が。
というのも、右肩あがりの成長を前提にしていたサラリーマン社会は、その崩壊とともにさまざまな社会問題や構造の変化が起こってきているわけだけれども、団体展に早期退職やリストラや指定管理者制度はないわけで(才能の世界とはいえ、あるとしたらあまりに!世知辛い!)…詳しくはわかりませんが「終身雇用」ということになるのだろうか。
長く続いているフランスの「サロン」や日本の老舗団体展の歴史には、縮小期を乗り切るための知恵がストックされているのではないかと俄然興味が湧きました。
あと素朴に心配なのですが、私は出品するなら全道展!と思うくらいには好きな団体ですが、今から出品させていただくとすると、もしかしたら一生、一般会員なのでしょうか…。
コメントありがとうございます。
まあ、中央の団体公募展にもいろいろあるようですが。
川上さんのおっしゃることは、そのとおりなのでしょう。
しかし、このエントリは、道展や全道展とはなにか、公募展とはなにかの、ごく骨組みを記すのが目的であり、道展にいくつの部門があるかすら書いていないほど、要点のみをかいつまんで書いています。
1945年ごろの道展幹部がなにを考えていたかとか、全道展創立の経緯の細部などは、この文脈ではまったくの枝葉末節にすぎません。
筆者の書いていることは大筋で正しいと考えますが。