マスコミの苦境や不祥事はネット界で人気があるので(苦笑)、この記事も多くの人に引用されている。
そのことの是非はおいといて、記事がふれていないことを書こうと思う。
(いろいろ事実誤認も散見される記事だけど)
1.1日2回刊の理由
そもそも、どうして日本の新聞は朝刊と夕刊の両方を出しているのだろう。
その起源は1世紀余りも前、日露戦争にある。
当時、各紙は速報を競い合った。その結果の1日2回刊、なのである。
戦中戦後は用紙不足で一時期薄っぺらい朝刊だけになったが、復興が進むと夕刊も復活している。
1950年代までは日曜も夕刊が発行されていた。
なお、韓国の近代的諸制度は、日本から入ったものが多いので、韓国にも夕刊があるのだろう(もっとも、筆者は実物を確認していない)。
2.夕刊をやめられる地方とそうでない地方
この記事の「消える」というのはちょっと大げさだと思うのだが、都道府県や地域によっても、簡単に夕刊のなくなるところと、そうでないところがある。
夕刊を廃止できた地域は、全国紙が夕刊をまったく、あるいはほとんど配達していないところだと思われる。
「全国紙」と名乗ってはいるが、当然すべての都道府県で印刷などできるはずがない。人口の多いところには印刷工場を構えているが、大都市から遠いところには、朝刊しか配達していないのだ。
道内でも、朝日と読売が夕刊を配っているのは、札幌、小樽といった道央地方など、一部に限られている(読売は十勝毎日と提携しているので、帯広では夕刊が読めるのかな?)。
多くの地方では、大都市では夕刊に入っている前日午前中のニュースも、朝刊にまとめて収録されている。
「ファクタ」の記事に出てくる沖縄や鹿児島、秋田といった地方は、そもそも地元紙のシェアが圧倒的に高く、全国紙は朝刊だけの上に購読している人が少ないから、地元紙の意向で夕刊をなくすことができるのだろう。
(なお、鹿児島では西日本新聞も配られているが、部数は少ないようだ)
北海道新聞は、すくなくても朝日と読売がやめないかぎり、競争上、夕刊をやめるわけにはいかないだろう。
なお、北海道新聞の場合、産経のような「7割がセット割れ」などという悲惨な事態には至っていない(地域差は大きいが)。
産経は「購読料の安さ」をアピールしていた時代があった。「だったら夕刊もやめちゃえばもっと安くなる」と考える読者がいるのはあたりまえの話で、自業自得の面があるのは否めないような気がする。わるいけど。
3.夕刊とアート
ここで、このblogらしく、アートと夕刊という視点で見てみよう。
だれが決めたのか知らないが、どの新聞でも
「文化、芸能は夕刊」
ということになっている。
もちろん、朝夕刊が統合されている地域では、文化面や芸能面が朝刊に載っている。
やはり「ゆっくり読む記事は夕刊」というイメージがあるのだろうか。
この慣例を一部で破ったのが読売で、数年前から読売は朝刊にしか文化面がない。
これに影響されたのか、いまは朝日も朝刊に文化面があるし、北海道新聞や毎日は朝刊文化面を週1回、載せている。
ただし、夕刊を廃止すれば、夕刊に載っている「非ニュース面」のすべてを朝刊に合体させるわけにはいかないだろうから、ちょっと遊びの要素の強い面などは、リストラされる可能性が大いにあるだろう。
アート・美術をふくむ文化関係は、政治や社会にくらべると「重要でない」と判断されて、記事が削減されることが、ないとはいえまい。
もちろん、筆者としては、そうならないことを祈りたい。
日本の今後の活力が、アニメやアートをふくむソフトパワーであるなら、なおさら文化関係の記事を削っている場合ではないだろう。
4.夕刊はどうなる
これはまったく個人的な感想なのだが、1日に2度新聞を出すというのは、現場としては正直なところ「せわしないなあ」と思うことがある。
筆者の勤める会社では、印刷所から遠い地域に配達する「早版」と、近い地域に配る「遅版」があるので、昼間に2度締め切りがある。もし、昼間に締め切りがなかったら、仕事ぶりはずいぶん余裕をもったものになるに違いない。
(もっとも、昼に原稿の締め切りがあろうとなかろうと、系列の放送局や社のウェブサイトに原稿を流す仕事もあるから、夕方までサボってていいということではない)
将来的には
「第1報はネットやテレビで、解説は新聞紙で」
という傾向はますます強くなっていくだろう。(そうやって生き延びてくれないと困るし)
であれば、夕刊廃止の流れは必然なのかもしれない。
ただ、理屈ではそうなのかもしれないが、これまで数々の大ニュースで夕刊をつくってきた個人的な感覚では、そうあっさりと廃止にはできないよなあ。
1995年の日航機ハイジャック、その後のソウル地下鉄火災、イラク戦争、拉致被害者の帰国、「えひめ丸」沈没などなど、どれも当時、筆者が夕刊1面を組んで、デカイ見出しをつけていた。そういうわけで、「やっぱり夕刊があってこそだよなあ」と思ってしまうのだ。
(この手の郷愁は、会社の経営にはむしろ妨げなんだけどね)
以下引用。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20090330-00000000-facta-bus_all
ああ、日本から夕刊が消える!(ファクタ) - goo ニュース
そのことの是非はおいといて、記事がふれていないことを書こうと思う。
(いろいろ事実誤認も散見される記事だけど)
1.1日2回刊の理由
そもそも、どうして日本の新聞は朝刊と夕刊の両方を出しているのだろう。
その起源は1世紀余りも前、日露戦争にある。
当時、各紙は速報を競い合った。その結果の1日2回刊、なのである。
戦中戦後は用紙不足で一時期薄っぺらい朝刊だけになったが、復興が進むと夕刊も復活している。
1950年代までは日曜も夕刊が発行されていた。
なお、韓国の近代的諸制度は、日本から入ったものが多いので、韓国にも夕刊があるのだろう(もっとも、筆者は実物を確認していない)。
2.夕刊をやめられる地方とそうでない地方
この記事の「消える」というのはちょっと大げさだと思うのだが、都道府県や地域によっても、簡単に夕刊のなくなるところと、そうでないところがある。
夕刊を廃止できた地域は、全国紙が夕刊をまったく、あるいはほとんど配達していないところだと思われる。
「全国紙」と名乗ってはいるが、当然すべての都道府県で印刷などできるはずがない。人口の多いところには印刷工場を構えているが、大都市から遠いところには、朝刊しか配達していないのだ。
道内でも、朝日と読売が夕刊を配っているのは、札幌、小樽といった道央地方など、一部に限られている(読売は十勝毎日と提携しているので、帯広では夕刊が読めるのかな?)。
多くの地方では、大都市では夕刊に入っている前日午前中のニュースも、朝刊にまとめて収録されている。
「ファクタ」の記事に出てくる沖縄や鹿児島、秋田といった地方は、そもそも地元紙のシェアが圧倒的に高く、全国紙は朝刊だけの上に購読している人が少ないから、地元紙の意向で夕刊をなくすことができるのだろう。
(なお、鹿児島では西日本新聞も配られているが、部数は少ないようだ)
北海道新聞は、すくなくても朝日と読売がやめないかぎり、競争上、夕刊をやめるわけにはいかないだろう。
なお、北海道新聞の場合、産経のような「7割がセット割れ」などという悲惨な事態には至っていない(地域差は大きいが)。
産経は「購読料の安さ」をアピールしていた時代があった。「だったら夕刊もやめちゃえばもっと安くなる」と考える読者がいるのはあたりまえの話で、自業自得の面があるのは否めないような気がする。わるいけど。
3.夕刊とアート
ここで、このblogらしく、アートと夕刊という視点で見てみよう。
だれが決めたのか知らないが、どの新聞でも
「文化、芸能は夕刊」
ということになっている。
もちろん、朝夕刊が統合されている地域では、文化面や芸能面が朝刊に載っている。
やはり「ゆっくり読む記事は夕刊」というイメージがあるのだろうか。
この慣例を一部で破ったのが読売で、数年前から読売は朝刊にしか文化面がない。
これに影響されたのか、いまは朝日も朝刊に文化面があるし、北海道新聞や毎日は朝刊文化面を週1回、載せている。
ただし、夕刊を廃止すれば、夕刊に載っている「非ニュース面」のすべてを朝刊に合体させるわけにはいかないだろうから、ちょっと遊びの要素の強い面などは、リストラされる可能性が大いにあるだろう。
アート・美術をふくむ文化関係は、政治や社会にくらべると「重要でない」と判断されて、記事が削減されることが、ないとはいえまい。
もちろん、筆者としては、そうならないことを祈りたい。
日本の今後の活力が、アニメやアートをふくむソフトパワーであるなら、なおさら文化関係の記事を削っている場合ではないだろう。
4.夕刊はどうなる
これはまったく個人的な感想なのだが、1日に2度新聞を出すというのは、現場としては正直なところ「せわしないなあ」と思うことがある。
筆者の勤める会社では、印刷所から遠い地域に配達する「早版」と、近い地域に配る「遅版」があるので、昼間に2度締め切りがある。もし、昼間に締め切りがなかったら、仕事ぶりはずいぶん余裕をもったものになるに違いない。
(もっとも、昼に原稿の締め切りがあろうとなかろうと、系列の放送局や社のウェブサイトに原稿を流す仕事もあるから、夕方までサボってていいということではない)
将来的には
「第1報はネットやテレビで、解説は新聞紙で」
という傾向はますます強くなっていくだろう。(そうやって生き延びてくれないと困るし)
であれば、夕刊廃止の流れは必然なのかもしれない。
ただ、理屈ではそうなのかもしれないが、これまで数々の大ニュースで夕刊をつくってきた個人的な感覚では、そうあっさりと廃止にはできないよなあ。
1995年の日航機ハイジャック、その後のソウル地下鉄火災、イラク戦争、拉致被害者の帰国、「えひめ丸」沈没などなど、どれも当時、筆者が夕刊1面を組んで、デカイ見出しをつけていた。そういうわけで、「やっぱり夕刊があってこそだよなあ」と思ってしまうのだ。
(この手の郷愁は、会社の経営にはむしろ妨げなんだけどね)
以下引用。
昨年8月末の「毎日新聞北海道版」に続き、9月末に「秋田魁新報」、10月末に夕刊紙「名古屋タイムズ」と夕刊の廃刊ラッシュが続き、今年2月末には「沖縄タイムス」「琉球新報」「南日本新聞」の3紙が夕刊をやめた。夕方以降の情報源の主役の座をテレビやインターネットに奪われた結果だ。
全国紙で夕刊廃止の先鞭をつけたのは「産経」だ。2002年3月末で東京本社の夕刊(約25万部)を廃止した。新聞社は朝夕刊をセットにして月極めで売る「セット売り」を基本にしてきたが、近年は読者から夕刊を切られる「セット割れ」が急増しており、産経の東京本社では実に7割がセット割れに。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20090330-00000000-facta-bus_all
ああ、日本から夕刊が消える!(ファクタ) - goo ニュース
夕刊フジみたいな夕刊専門紙はあったと思う。また、新聞社が副業で毎朝競うようにフリーペーパーを出している。駅構内や街角に無人の新聞スタンドがあり、通勤者がタダで取っていく。で、芸能情報が満載で。これじゃスポーツ紙や本業にも影響すんじゃないか、と心配になるが。どういうわけか韓国ではこうした紙媒体が百花繚乱、あんまし不景気な印象がないのです。大都市ソウルだけかもしれないが。
フリーペーパーについては、東京やロンドンが似たような状況ですね。R25なんて、あっという間になくなっちゃうみたいです。
考えてみれば日本には、英米のような「高級紙」「大衆紙」という区別がないかわり「一般紙」「スポーツ紙」がありますね。
韓国も同じなのか。