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写真家の細江英公さん死去 91歳 三島由紀夫を撮った「薔薇刑」

2024年09月27日 22時54分42秒 | 新聞などのニュースから
gooニュースhttps://news.goo.ne.jp/article/mainichi/nation/mainichi-20240925k0000m040297000c

gooニュースhttps://news.goo.ne.jp/article/asahi/entertainment/ASS9T33HYS9TUCVL018M

 きのう2024年9月26日の各紙が報じていましたが、写真家の細江英公さんが亡くなりました。91歳でした。

 いろいろ業績はありますが、筆者が個人的に大事だと思うのは3項目です。

1)三島由紀夫を被写体に写真集「薔薇刑」を撮ったこと

2)東松照明や奈良原一高、川田喜久治らとともに、セリフエージェンシーを行う写真家集団「VIVO」を結成したこと

3) 森山大道の師匠であること

 1)については、東京新聞に最近おもしろい記事が出ていました。

薔薇刑 作品32(1961年) 三島由紀夫がくわえた赤い薔薇<一枚のものがたり>細江英公:東京新聞 TOKYO Web

薔薇刑 作品32(1961年) 三島由紀夫がくわえた赤い薔薇<一枚のものがたり>細江英公:東京新聞 TOKYO Web

作家三島由紀夫(1925~1970年)の邸宅は、東京・馬込の丘の上にあった。1961年9月、28歳の新進気鋭の写真家細江英公(91)は...

東京新聞 TOKYO Web

 



 作家三島由紀夫(1925~1970年)の邸宅は、東京・馬込の丘の上にあった。1961年9月、28歳の新進気鋭の写真家細江英公(91)は22歳の助手森山大道(85)を伴い、この家に36歳の三島を訪ねた。三島の初めての評論集「美の襲撃」の口絵のための写真撮影を頼まれていた。

 「玄関脇のベランダには白い丸テーブルと椅子があって、上半身裸の三島氏が黒いサングラスをかけて日光浴をしていた」(「『薔薇(ばら)刑』撮影ノート」)。細江の抜擢ばってきは、舞踏家土方巽ひじかたたつみをモデルにした写真に魅了された三島の指名だった。「ぼくはあなたの被写体になるから、好きなように撮ってください」。言質を得た細江は、三島の父平岡梓=当時(66)=が散水用に手にしていたホースを借り、それで裸の三島をぐるぐる巻きにして上から撮った。「こんな写真はじめて撮ったよ。でも何故なぜゴムホースなんて巻きつけたの?」。半ばあきれた顔で三島に問われた細江は「偶像破壊ですよ」と答えた。三島は細江とこの一枚を気に入り、無事口絵に収まった。

 三島との撮影体験に刺激を受けた細江は、こんどは自分から撮らせてほしいと頼んだ。三島は快諾し、半年間の撮影が始まった。

 ボディービルで筋骨隆々だった三島のヌードだけでなく、ルネサンス期の絵画を背景に敷いて裸の女性らと横たわらせたり、絵の中に三島を紛れ込ませたりと、細江の発想は大胆で自由だった。


 「独特の肌合いは、ミニコピーというフィルムの効果だ」
というくだりもありました。
 ミニコピー、ありましたね。
 昔はコピーやゼロックスなどが普及していなかったので、文書を撮影するためのコントラスト強めのフィルムがあったんですよね。
 

 ところで、筆者が知っている「細江英公と北海道」については、紋別によく足を運んでいて、写真展も開かれたことがあるという話ですが、実は釧路ともゆかりが深かったという記事が北海道新聞デジタルに載っていました。

釧路湿原でも撮影 写真家・細江英公さん死去 支援の市民ら悼む:北海道新聞デジタル

国際的に活躍した写真家で91歳で死去した細江英公さん=東京都=は、釧路湿原で舞踏家の故大野一雄さんを撮影した幻想的な写真でも知られた。この作品を縁に、釧路市内で2度個...

北海道新聞デジタル

 


 ここでもキーマンは釧路の名物ジャズ喫茶「ジス・イズ」のマスター、故小林東さんです。
 舞踏家・大野一雄の湿原撮影をコーディネートし
「釧路では2001年に代表作約200点を集めた個展が市立美術館で開催されたほか、09年にジス・イズ2階でも約20点の個展が開かれた」
ということでした。

 ご冥福をお祈りいたします。


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