まず、おわび。
9月3~5日に北見→札幌→帯広→札幌→北見という大移動を行った。
しかし、相当に予定が詰まっていて、伺うべきところにほとんど足を運べていない。
展覧会のご案内もたくさんいただいていたが、大半は見ることができなかった。
「ヤナイの野郎、札幌に来てたのか、なんでこっちに顔を出さないんだ」
とご立腹の方もおられるであろうが、なにとぞお許し願いたい。
展覧会を見るほうは、入場料もかからないし、気楽なものだと思われてもしかたのない面がある。
しかし、展覧会を開くほうは、大変なことは重々承知しているつもりである。
大げさに言えば、(広義の)作家というものは、展覧会と作品に命を懸けているのである。だから、見るほうも、作家の熱意に負けないよう、全身で見なくてはいけないと、自分では思っている。
(なお、話は関係ないが、最近「懸ける」と書くべきところを「賭ける」とする人が多い。ばくちじゃないんだから、命を賭けてはいけない)
3日。
家人に車でバスターミナルまで送ってもらい、朝一番の都市間高速バス「ドリーミントオホーツク号」に乗る。
列車にするかバスにするか、8月末まで迷っていたのだが、バスにして正解だった。
颱風12号の接近に伴う大雨の影響で、石北線が不通になっており、列車で札幌に行くことができなくなっていたのだ。
道路も、国道39号が通行止めで、高速バスは遠軽町丸瀬布から高速道路に乗るという変則ルートを取った。ただ、遅れはごくわずかだった。
この日の札幌行きの目的は二つ。
・札幌芸術の森美術館「森と芸術」展初日の巌谷國士さんの講演会を聴く
・「絵画の場合」展の会合に出席する
すき間時間に、札幌時計台ギャラリーの朝地信介個展(3日終了)、HOKUSEN GALLERY ivoryのHAKONIWA PHOTO EXHIBITION、temporary spaceの竹本英樹展を、かなり駆け足で見た。
朝地さんの個展は日本画の、ハコニワと竹本さんの展覧会は写真の、それぞれ領野を拡張するかのような興味深い仕事だったと思う。おおざっぱに言ってしまうと「そのジャンルらしくなさ」がおもしろかった。
巌谷さんは、白皙の老紳士のような方ではないかと勝手に想像していたら、色のついためがねをかけておられて、見た目は筒井康隆氏が背広を着たような雰囲気であったが、話は非常に楽しかった。
さすが、わが国におけるシュルレアリスム研究の第一人者であり、展覧会の主題をわかりやすく解説していた。
ただ、顔見知りの出席が非常に少ない。天候が悪いとはいえ、「巌谷国士」の名前に反応しないなんてケシカランと思っていたら、おなじ時間帯に、安田侃展のオープニングが行われていたと、後で知った。
4日。
8時2分発の特急列車スーパーとかち1号で帯広へ。
札幌駅に着いてみると、小樽行きはすべて止まっているし、旭川行きや新千歳空港行きにも運休が出ていて、帯広行きが通常通り走っているのが幸運なことのように思われた。
(冒頭画像は、車内から撮った夕張川)
帯広を訪れたのは、この日最終日を迎えた「帯広コンテンポラリーアート 真正閣の100日」のクロージングイベントでトークショーをするためである。
人前でしゃべるような柄ではないのだが、実行委員長の池田緑さんから、ぜひにと押し切られたのだ。
帯広駅に到着すると実行委員長が迎えに来てくだすっていた。
(いつ着くと連絡していたわけではないのにどうしてこの列車だとわかったんだろう)
なお、この日の帯広は好天で、夏のような暑さと湿気だった。
道立帯広美術館でクロニクル 十勝の美術を見る。
昭和までの十勝の美術史を丹念に跡付けた、たいへんな「労作」。図録はすでに売り切れ。
9月7日まで。
真正閣では、札幌グループ展が行われており、柿崎煕、阿部典英、下沢敏也の3氏の作品が展示されていた。
わたしは、「田園と芸術」という仮題でしゃべったが、資料も何も用意していかなかったし早口だったので、たいそう聞きづらかったのではないかと思う。
すみませんでした。
そして、実行委のみなさん、お疲れさまでした!
夜は、帯広都心の居酒屋関西あかちょうちんで、100日打ち上げ。久々に泥酔。
5日。
特急スーパーおおぞら2号で札幌へ。
新得から新札幌までほとんど寝ていた。
札幌では、STVエントランスアート(藤井高志展)→ギャラリー門馬(shift展)→ギャラリー門馬アネックス(河合利昭展)→札幌芸術の森美術館(森と芸術)
芸森にふたたび足を運んだのは、3日は講演を聴いただけで、展覧会を見ていなかったため。
非常に興味深い展覧会。森を描いた作品を集めたというだけでなく、作品を通して森や自然について考えさせられるのだ。
作品数が多いので、足早に見ても1時間はかかると思う。
午後2時半の都市間高速バスで北見へ戻る。
北見も雨は降っていない。
というか、わたしは4、5日は一度も傘をさしてない。
9月3~5日に北見→札幌→帯広→札幌→北見という大移動を行った。
しかし、相当に予定が詰まっていて、伺うべきところにほとんど足を運べていない。
展覧会のご案内もたくさんいただいていたが、大半は見ることができなかった。
「ヤナイの野郎、札幌に来てたのか、なんでこっちに顔を出さないんだ」
とご立腹の方もおられるであろうが、なにとぞお許し願いたい。
展覧会を見るほうは、入場料もかからないし、気楽なものだと思われてもしかたのない面がある。
しかし、展覧会を開くほうは、大変なことは重々承知しているつもりである。
大げさに言えば、(広義の)作家というものは、展覧会と作品に命を懸けているのである。だから、見るほうも、作家の熱意に負けないよう、全身で見なくてはいけないと、自分では思っている。
(なお、話は関係ないが、最近「懸ける」と書くべきところを「賭ける」とする人が多い。ばくちじゃないんだから、命を賭けてはいけない)
3日。
家人に車でバスターミナルまで送ってもらい、朝一番の都市間高速バス「ドリーミントオホーツク号」に乗る。
列車にするかバスにするか、8月末まで迷っていたのだが、バスにして正解だった。
颱風12号の接近に伴う大雨の影響で、石北線が不通になっており、列車で札幌に行くことができなくなっていたのだ。
道路も、国道39号が通行止めで、高速バスは遠軽町丸瀬布から高速道路に乗るという変則ルートを取った。ただ、遅れはごくわずかだった。
この日の札幌行きの目的は二つ。
・札幌芸術の森美術館「森と芸術」展初日の巌谷國士さんの講演会を聴く
・「絵画の場合」展の会合に出席する
すき間時間に、札幌時計台ギャラリーの朝地信介個展(3日終了)、HOKUSEN GALLERY ivoryのHAKONIWA PHOTO EXHIBITION、temporary spaceの竹本英樹展を、かなり駆け足で見た。
朝地さんの個展は日本画の、ハコニワと竹本さんの展覧会は写真の、それぞれ領野を拡張するかのような興味深い仕事だったと思う。おおざっぱに言ってしまうと「そのジャンルらしくなさ」がおもしろかった。
巌谷さんは、白皙の老紳士のような方ではないかと勝手に想像していたら、色のついためがねをかけておられて、見た目は筒井康隆氏が背広を着たような雰囲気であったが、話は非常に楽しかった。
さすが、わが国におけるシュルレアリスム研究の第一人者であり、展覧会の主題をわかりやすく解説していた。
ただ、顔見知りの出席が非常に少ない。天候が悪いとはいえ、「巌谷国士」の名前に反応しないなんてケシカランと思っていたら、おなじ時間帯に、安田侃展のオープニングが行われていたと、後で知った。
4日。
8時2分発の特急列車スーパーとかち1号で帯広へ。
札幌駅に着いてみると、小樽行きはすべて止まっているし、旭川行きや新千歳空港行きにも運休が出ていて、帯広行きが通常通り走っているのが幸運なことのように思われた。
(冒頭画像は、車内から撮った夕張川)
帯広を訪れたのは、この日最終日を迎えた「帯広コンテンポラリーアート 真正閣の100日」のクロージングイベントでトークショーをするためである。
人前でしゃべるような柄ではないのだが、実行委員長の池田緑さんから、ぜひにと押し切られたのだ。
帯広駅に到着すると実行委員長が迎えに来てくだすっていた。
(いつ着くと連絡していたわけではないのにどうしてこの列車だとわかったんだろう)
なお、この日の帯広は好天で、夏のような暑さと湿気だった。
道立帯広美術館でクロニクル 十勝の美術を見る。
昭和までの十勝の美術史を丹念に跡付けた、たいへんな「労作」。図録はすでに売り切れ。
9月7日まで。
真正閣では、札幌グループ展が行われており、柿崎煕、阿部典英、下沢敏也の3氏の作品が展示されていた。
わたしは、「田園と芸術」という仮題でしゃべったが、資料も何も用意していかなかったし早口だったので、たいそう聞きづらかったのではないかと思う。
すみませんでした。
そして、実行委のみなさん、お疲れさまでした!
夜は、帯広都心の居酒屋関西あかちょうちんで、100日打ち上げ。久々に泥酔。
5日。
特急スーパーおおぞら2号で札幌へ。
新得から新札幌までほとんど寝ていた。
札幌では、STVエントランスアート(藤井高志展)→ギャラリー門馬(shift展)→ギャラリー門馬アネックス(河合利昭展)→札幌芸術の森美術館(森と芸術)
芸森にふたたび足を運んだのは、3日は講演を聴いただけで、展覧会を見ていなかったため。
非常に興味深い展覧会。森を描いた作品を集めたというだけでなく、作品を通して森や自然について考えさせられるのだ。
作品数が多いので、足早に見ても1時間はかかると思う。
午後2時半の都市間高速バスで北見へ戻る。
北見も雨は降っていない。
というか、わたしは4、5日は一度も傘をさしてない。