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(写真と文章は関係ありません
ことし2月、北網圏北見文化センター美術館で、道展の移動展を見た。
全道展は1995年ごろを境に、札幌以外での移動展の開催を取りやめた。
道展も以前は道内7、8都市で移動展を巡回させていたが、いまは帯広と北見だけになっている。
昔にくらべれば、交通事情も好転して、遠方の都市から札幌に行きやすくなったという事情もあるだろう。
また、各地の会員や出品者が高齢化し、移動展の実務が負担になってきたという面もあるかもしれない(道展に関して言えば、札幌圏の出品者の若さは驚異的だが)。
人影もまばらな北見の美術館で、たとえば山本雄基くんや谷口明志さんや川嶋みゆきさんの絵を見るのは、どこかふしぎな感じがした。
もちろん、この感覚はごく個人的なものだろう。
この会場で見るのがいつものことだという人もいるだろうし。
たぶん、自分が、札幌市民ギャラリーなどで見るのが当たり前になりすぎているのだと思う。
作品は、札幌会場の一部しか来ていない。
そのかわり、二段掛けはなく、展示は見やすい。
今回は5年に1度の記念展ということで、協会賞の上に「85回記念大賞」が設けられ、道都大在学中の清武昌さんが選ばれた。
実際に作品の前に立ってみる。最初に抱いた感想は
「道展はリスキーな選択をしたかも」
というものだった。
あわてて付け加えると、これは肯定的な評価である。
実は、2010年2月に札幌時計台ギャラリーで「道都大学生作品展」を見た際、筆者は、生意気にも次のように書いていた。
なんか、偉そうなこと書いてんな、オレ…と思う。
「団体公募展っぽくまとめる」というのを、ひとことで説明するのはむずかしい。
ただ、現在多くの団体公募展でみられる絵画の主流は、かつてのような「日本的フォーブ」ではなく、写実的に描写された人物や風景などをたくみに組み合わせて現実にはない情景をつくりだしている絵ではないかと思う。一種のマニエリスムといってもいいだろう。
団体公募展が増え、作品点数も多くなっている現状では、他の出品者と差別化を図ろうとすると、いろいろな要素を持ち込むことになってしまうのかもしれない。
また、アンフォルメルや抽象画の流行が終わり、といって、写真とは異なる絵の独自性を見せようとすると、マニエリスムはある種の必然なのかもしれない。
もっとも、筆者は、マニエリスムだからダメだというつもりはまったくない。
ただ、清武さんはまだ若いから、今のうちから「手堅くまとめ」る必要なんてないのにな~、と思っていたのだ。
今回の作品は違う。
様式的には、ここで述べられているとおり、抽象的と具象的なものが融合しているといえる。
ただ、筆者の目には、ただ具象的に描いたものを手際よく配置したのではなく、具象的に描いただけではなお表現しきれない、作者自らの心の叫びのようなものが混沌とした画面に反映しているように見えたのだ。
道都大生作品展のさいに比べると、再びそれ以前のような、深井克美の影響が再燃してきているのは明らかである。
しかし、そのほうが、作者にとって自らに「誠実である」(うまい言葉がみつからない)ように、見ている筆者にとって思われるので、それ自体はあまり気にならない。
逆に、清武さんは、いったんほどほどに完成した様式を捨てて、新しい方向に踏み出したように、筆者には見えたのだ。
そして、それを「将来性アリ」と評価した道展も、なかなかやるな~と感じたのだった。
まあ、いいや。
清武さんのような若い人には先輩たちが、ああした方がいい、こうしろ、とさまざまなアドバイスをしてくるだろう。
そしておそらく、その中には、正反対のアドバイスもあるだろう。
そんなの、全部を聞いていたら、とうてい身が持たない。
表面的には「はい、はい」と真剣に聞くようにして、しかし、どんどん聞き流して、自分にとってためになると思われる助言だけ取り入れればいいのである。
団体公募展の受賞なんて結果であって、目的じゃないんだし。
□きよたけくんの記録 http://syoukiyo.exblog.jp/
■Klang 清武昌 洞口友香二人展(2009年)
ことし2月、北網圏北見文化センター美術館で、道展の移動展を見た。
全道展は1995年ごろを境に、札幌以外での移動展の開催を取りやめた。
道展も以前は道内7、8都市で移動展を巡回させていたが、いまは帯広と北見だけになっている。
昔にくらべれば、交通事情も好転して、遠方の都市から札幌に行きやすくなったという事情もあるだろう。
また、各地の会員や出品者が高齢化し、移動展の実務が負担になってきたという面もあるかもしれない(道展に関して言えば、札幌圏の出品者の若さは驚異的だが)。
人影もまばらな北見の美術館で、たとえば山本雄基くんや谷口明志さんや川嶋みゆきさんの絵を見るのは、どこかふしぎな感じがした。
もちろん、この感覚はごく個人的なものだろう。
この会場で見るのがいつものことだという人もいるだろうし。
たぶん、自分が、札幌市民ギャラリーなどで見るのが当たり前になりすぎているのだと思う。
作品は、札幌会場の一部しか来ていない。
そのかわり、二段掛けはなく、展示は見やすい。
今回は5年に1度の記念展ということで、協会賞の上に「85回記念大賞」が設けられ、道都大在学中の清武昌さんが選ばれた。
実際に作品の前に立ってみる。最初に抱いた感想は
「道展はリスキーな選択をしたかも」
というものだった。
あわてて付け加えると、これは肯定的な評価である。
実は、2010年2月に札幌時計台ギャラリーで「道都大学生作品展」を見た際、筆者は、生意気にも次のように書いていた。
なんだかうまい人がいるな~と思ってたら、高校生時代に学生美術全道展で最高賞を獲得し、昨年の道展では入賞するなど活躍目ざましい清武昌さんであった。
いずれも、題は「秘密」。
ただ、この年で「団体公募展っぽくまとめる」技を早くも身につけているように見えてしまうのだけど、これってどうなんだろう。
なんか、偉そうなこと書いてんな、オレ…と思う。
「団体公募展っぽくまとめる」というのを、ひとことで説明するのはむずかしい。
ただ、現在多くの団体公募展でみられる絵画の主流は、かつてのような「日本的フォーブ」ではなく、写実的に描写された人物や風景などをたくみに組み合わせて現実にはない情景をつくりだしている絵ではないかと思う。一種のマニエリスムといってもいいだろう。
団体公募展が増え、作品点数も多くなっている現状では、他の出品者と差別化を図ろうとすると、いろいろな要素を持ち込むことになってしまうのかもしれない。
また、アンフォルメルや抽象画の流行が終わり、といって、写真とは異なる絵の独自性を見せようとすると、マニエリスムはある種の必然なのかもしれない。
もっとも、筆者は、マニエリスムだからダメだというつもりはまったくない。
ただ、清武さんはまだ若いから、今のうちから「手堅くまとめ」る必要なんてないのにな~、と思っていたのだ。
今回の作品は違う。
様式的には、ここで述べられているとおり、抽象的と具象的なものが融合しているといえる。
ただ、筆者の目には、ただ具象的に描いたものを手際よく配置したのではなく、具象的に描いただけではなお表現しきれない、作者自らの心の叫びのようなものが混沌とした画面に反映しているように見えたのだ。
道都大生作品展のさいに比べると、再びそれ以前のような、深井克美の影響が再燃してきているのは明らかである。
しかし、そのほうが、作者にとって自らに「誠実である」(うまい言葉がみつからない)ように、見ている筆者にとって思われるので、それ自体はあまり気にならない。
逆に、清武さんは、いったんほどほどに完成した様式を捨てて、新しい方向に踏み出したように、筆者には見えたのだ。
そして、それを「将来性アリ」と評価した道展も、なかなかやるな~と感じたのだった。
まあ、いいや。
清武さんのような若い人には先輩たちが、ああした方がいい、こうしろ、とさまざまなアドバイスをしてくるだろう。
そしておそらく、その中には、正反対のアドバイスもあるだろう。
そんなの、全部を聞いていたら、とうてい身が持たない。
表面的には「はい、はい」と真剣に聞くようにして、しかし、どんどん聞き流して、自分にとってためになると思われる助言だけ取り入れればいいのである。
団体公募展の受賞なんて結果であって、目的じゃないんだし。
□きよたけくんの記録 http://syoukiyo.exblog.jp/
■Klang 清武昌 洞口友香二人展(2009年)