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変な題をつけましたが、「積丹温泉芸術祭」の紹介記事の前座と思ってください。
積丹を北海道民で知らない人はいないでしょう。
地図を見ると、積丹半島は北海道から日本海に突き出た最も大きな半島です。
にもかかわらず、筆者が積丹半島を訪れたのは半世紀以上ぶりです。
幼いころに親類の車に乗せられて神威岬に行ったことがあるだけで、ほとんど記憶にありません。
これは当てずっぽうに言うのですが、積丹の名を知っていてもあまり行ったことのない札幌の人は、筆者だけではなくて意外と多いような気はします。
例証とするには弱いかもしれませんが、ウィキペディアの「積丹温泉」の項を見ると、岬の湯しゃこたん(積丹温泉芸術祭の会場)はすでに閉館したような書きっぷりです。
なぜ積丹は、知名度の高さ、そして札幌からそれほど遠くないにもかかわらず、足を向けることが少ないのでしょうか。
はなはだ頼りない考察を試みてみます。
イ)半島だから
つまり、どこかへ行く際の通り道になりにくいのです。
たとえばの話です。
札幌から函館に行くとき「白老」や「八雲」を通ったとします。
ということは、たとえ白老や八雲に用事はなくとも、ドライブの途中で立ち寄ったり、次回ちょっと行ってみようかという気分になったりする可能性はあるわけです。
これは、札幌から旭川や北見に行く場合の「美唄」や「深川」でも事情は同じでしょう。
しかし「積丹を通る」というのは、日本海側の海岸線ドライブをするなら話は別ですが、あまり起きない事態だといえます。
積丹を目的地として、そこを目がけて行かないかぎり、訪問自体しにくいわけです。
これは地理上、どうしようもないハンディキャップといえます。
ロ)鉄道がないから
モータリゼーションの世になって久しいとはいえ、旅の魅力を発信するのに熱心な人のかなりの部分は鉄道ファンです。
積丹半島には、昔の茅沼炭鉱軌道を別にすれば、国鉄などの鉄道が敷かれたことが歴史上、一度もありません。
一部マニアが探訪に熱を帯びる「廃線跡」も全くないわけです。
つまり、一定の割合の人には、最初から眼中にないことになります。じつは道内にこのような地域は、離島以外にはそれほど多くなく、日本海側の南半分だけといっても過言ではありません。
ハ) 見学する施設がなく「文科系」人間にとって魅力が乏しいから
この視点から観光について述べた文章はあまり見たことがないのですが、個人的には、意外に重要なポイントかもしれないと感じています。
後志方面は美術館が充実しており、積丹半島を取り囲むように、小樽市や岩内、倶知安、共和の各町に立地しています。
積丹観光の基地となりそうな余市町には、美術館と名の付く建物はありませんが、ギャラリーはありますし、ニッカウヰスキーや宇宙記念館、果樹園などの見学場所には事欠きません。
話は後志にかぎりません。
富良野観光に行けば拓真館に寄って写真を見ようとか、新冠だとレ・コード館に行こうとか、いろいろな立ち寄りスポットが挙げられます。
しかし、積丹半島でそのような施設は思いあたりません。
北海道内でも珍しい地域だといえます。
(画像は積丹町役場)
結果、どうなるか。
積丹半島に足を運ぶのはアウトドア系の人ばかり、ということにならないでしょうか。
筆者のような文科系・インドア系の人が積丹半島へ行く理由が見当たらないんですよ。せいぜい神威岬の絶景を写真に撮るぐらいです。
積丹半島へ行くのは、ワンボックスカーに3人以上で、クーラーボックスに缶ビールを積んで、海岸にテントを張ってバーベキューに舌鼓を打つか、海鮮丼やウニ丼などの丼めしをたいらげるか、釣り船を手配して海釣りを楽しむ…といった人たちじゃないですかね。
ボクシーやアルファードの車内モニターにはテレビが流しっぱなしで、後部座席の子どもたちはずっとテレビゲームをしていて、こういう人たちは、仮に博物館的な施設があったとしても立ち寄らないか、入ってもパネルの文字は読まずに5分で出てくる…というようなことは、偏見なので言わないことにしますが、筆者が積丹半島を訪れる人のイメージは、そんな感じなのです。
以上、三つの理由を考えてみました。
こういう土地でいきなり現代アート展を開くというのは、かなりの挑戦だといえそうです。
なお、積丹半島とひとくちに言っても広いです。
大きく三つの地域に分けられます。
1) 東海岸 →古平郡=古平町
2) 東海岸と先端部→積丹郡=積丹町
3) 西海岸 →古宇郡=神恵内村と泊村
今回の舞台は積丹町です。
1956年の「昭和の大合併」で、美国郡美国町と、積丹郡入舸村・余別村の3町村が合併して誕生しました。
現在の人口は2千人を割り込んでいます。
美国に町役場があり、中心地となっています。
旧町村意識はまだ残っているようで、入舸村野塚の人はいまでも「美国に下りる」と言うそうです。
また、美国からみると、20キロ以上離れた余別地区よりも、古平町のほうが車で10分ほどと近いです。
それにしても「下りる」ってなんですかね。
松前・江差に行く方が「上り」なら、美国や古平、余市へ行くのは「下り」ということなんでしょうか?
積丹温泉芸術祭の中身については次項で。
積丹を北海道民で知らない人はいないでしょう。
地図を見ると、積丹半島は北海道から日本海に突き出た最も大きな半島です。
にもかかわらず、筆者が積丹半島を訪れたのは半世紀以上ぶりです。
幼いころに親類の車に乗せられて神威岬に行ったことがあるだけで、ほとんど記憶にありません。
これは当てずっぽうに言うのですが、積丹の名を知っていてもあまり行ったことのない札幌の人は、筆者だけではなくて意外と多いような気はします。
例証とするには弱いかもしれませんが、ウィキペディアの「積丹温泉」の項を見ると、岬の湯しゃこたん(積丹温泉芸術祭の会場)はすでに閉館したような書きっぷりです。
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なぜ積丹は、知名度の高さ、そして札幌からそれほど遠くないにもかかわらず、足を向けることが少ないのでしょうか。
はなはだ頼りない考察を試みてみます。
イ)半島だから
つまり、どこかへ行く際の通り道になりにくいのです。
たとえばの話です。
札幌から函館に行くとき「白老」や「八雲」を通ったとします。
ということは、たとえ白老や八雲に用事はなくとも、ドライブの途中で立ち寄ったり、次回ちょっと行ってみようかという気分になったりする可能性はあるわけです。
これは、札幌から旭川や北見に行く場合の「美唄」や「深川」でも事情は同じでしょう。
しかし「積丹を通る」というのは、日本海側の海岸線ドライブをするなら話は別ですが、あまり起きない事態だといえます。
積丹を目的地として、そこを目がけて行かないかぎり、訪問自体しにくいわけです。
これは地理上、どうしようもないハンディキャップといえます。
ロ)鉄道がないから
モータリゼーションの世になって久しいとはいえ、旅の魅力を発信するのに熱心な人のかなりの部分は鉄道ファンです。
積丹半島には、昔の茅沼炭鉱軌道を別にすれば、国鉄などの鉄道が敷かれたことが歴史上、一度もありません。
一部マニアが探訪に熱を帯びる「廃線跡」も全くないわけです。
つまり、一定の割合の人には、最初から眼中にないことになります。じつは道内にこのような地域は、離島以外にはそれほど多くなく、日本海側の南半分だけといっても過言ではありません。
ハ) 見学する施設がなく「文科系」人間にとって魅力が乏しいから
この視点から観光について述べた文章はあまり見たことがないのですが、個人的には、意外に重要なポイントかもしれないと感じています。
後志方面は美術館が充実しており、積丹半島を取り囲むように、小樽市や岩内、倶知安、共和の各町に立地しています。
積丹観光の基地となりそうな余市町には、美術館と名の付く建物はありませんが、ギャラリーはありますし、ニッカウヰスキーや宇宙記念館、果樹園などの見学場所には事欠きません。
話は後志にかぎりません。
富良野観光に行けば拓真館に寄って写真を見ようとか、新冠だとレ・コード館に行こうとか、いろいろな立ち寄りスポットが挙げられます。
しかし、積丹半島でそのような施設は思いあたりません。
北海道内でも珍しい地域だといえます。
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結果、どうなるか。
積丹半島に足を運ぶのはアウトドア系の人ばかり、ということにならないでしょうか。
筆者のような文科系・インドア系の人が積丹半島へ行く理由が見当たらないんですよ。せいぜい神威岬の絶景を写真に撮るぐらいです。
積丹半島へ行くのは、ワンボックスカーに3人以上で、クーラーボックスに缶ビールを積んで、海岸にテントを張ってバーベキューに舌鼓を打つか、海鮮丼やウニ丼などの丼めしをたいらげるか、釣り船を手配して海釣りを楽しむ…といった人たちじゃないですかね。
ボクシーやアルファードの車内モニターにはテレビが流しっぱなしで、後部座席の子どもたちはずっとテレビゲームをしていて、こういう人たちは、仮に博物館的な施設があったとしても立ち寄らないか、入ってもパネルの文字は読まずに5分で出てくる…というようなことは、偏見なので言わないことにしますが、筆者が積丹半島を訪れる人のイメージは、そんな感じなのです。
以上、三つの理由を考えてみました。
こういう土地でいきなり現代アート展を開くというのは、かなりの挑戦だといえそうです。
なお、積丹半島とひとくちに言っても広いです。
大きく三つの地域に分けられます。
1) 東海岸 →古平郡=古平町
2) 東海岸と先端部→積丹郡=積丹町
3) 西海岸 →古宇郡=神恵内村と泊村
今回の舞台は積丹町です。
1956年の「昭和の大合併」で、美国郡美国町と、積丹郡入舸村・余別村の3町村が合併して誕生しました。
現在の人口は2千人を割り込んでいます。
美国に町役場があり、中心地となっています。
旧町村意識はまだ残っているようで、入舸村野塚の人はいまでも「美国に下りる」と言うそうです。
また、美国からみると、20キロ以上離れた余別地区よりも、古平町のほうが車で10分ほどと近いです。
それにしても「下りる」ってなんですかね。
松前・江差に行く方が「上り」なら、美国や古平、余市へ行くのは「下り」ということなんでしょうか?
積丹温泉芸術祭の中身については次項で。
まったくもって、釣りとウニに興味が無い人間には、縁遠い地域なのですよね
私も行くとしても余市か岩内まで。
発電所見学で泊には行ったことがありますが、これは職業関連ですからねえ。
本当に行く必然性がないです。炭鉱町なら大体、博物館的なものがあるんですけどね。