春の便り 2006年03月25日 00時10分20秒 | つれづれ日録 ピンが来てなくてすいません。家の近所で見かけたフキノトウです。 #北海道 « 3月23・24日のギャラリーめぐり | トップ | 某日、旭屋書店にて »
3 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (ねむいヤナイ@北海道美術ネット) 2006-03-26 20:57:57 >unknownさん名前とタイトルが逆さですよ。>T.nakamuraさんこそ、いつもお疲れさまです。 筆者は、司馬遼太郎は「翔ぶが如く」ぐらいしか読んでないので、あまりよくわかりません。 それと、浮世絵への言及がこのブログで多いのは、単に好みの問題で、あまり江戸文明がどうとか、そういうことまでは視野に入れていませんでした。すいません。 返信する 春雨がふっています (T.nakamura) 2006-03-26 11:31:21 やないさん、何時もいつも、お疲れ様です。さて、日曜日の私の楽しみは、第一に、競馬予想です。中京第11レース「高松宮記念」GⅠにナケナシの資金を投入するつもりです。昨日の道新夕刊の3面にあるレース・データー表を切り抜き、ノートに貼り付け、眺めています。それと前後して、第二の楽しみが、日経新聞の20・21面の美術の欄、署名入り記事を丹念に読むことです。これがあるから、日経を購読しているようなものです。十数年になります。もちろん、道新を、八十過ぎの母が購読しています。一日遅れで、読んでいます。本日の署名入り記事のタイトルは、「清風の妙味・・・煎茶と文人画㊤」であって、文は河野孝です。江戸中期の画家、伊藤若冲(1716-1800)の画業が取り上げられています。その記事の中で、若冲の言葉が引用されているので、ちょっと、記しておきます。「今の画というものは、みな手本をもとに描くばかりで、いまだ物を描けたのを見たことがない。そして、技術によって売れることばかりを求めていて、技術以上に進むことができたものがない。自分が人と違っているのはこの点だけなのだ。」(相国寺の禅僧、大典の『藤景和が画の記』)司馬さんの『司馬遼太郎が考えたこと15』を読んでいて、これは私が無知であったのですが、、司馬さんが江戸期の文化の豊かさ(世界的水準において)を激賞していることと、その心がすこし烈しくねじれながら慨嘆へと推移し、明治期日本と江戸期日本の間にある、異常なる文化的断絶のあらあらしさに慨嘆されていることに、読んでいて、はじめて、気づきました。やないさんの国貞や北斎の浮世絵への著しい傾倒(過剰ともいえる)の真意が少しだけ理解できる糸口が見つかった。北斎は見に行く予定でいます。司馬さんという人の小説は実は一篇を除いて読んでいなくて、その意味では、いい読者ではありません。『街道をゆく』『この国のかたち』『風塵抄』『春灯雑記』『微光のなかの宇宙』『ある運命について』『アメリカ素描』、それとドナルド・キーンとの対談である『日本人と日本文化』『世界のなかの日本』、陳舜臣・金達寿との鼎談『歴史の交差路にて』etc.といったものにしか触手がはたらかない悪い癖があるものですので。小説は『空海の風景』一篇だけです。司馬さんを評する資格は全然ないのですが、遠くから眺めていても、彼が巨人であることはわかります。多分、明治期の夏目漱石の水準を昭和期において実現した国民的作家(知識人)であると推察しています。この人の読書量は測り知れない。安藤忠雄が設計した大阪の記念館、これはまだ見ていないのですが、彼の脳内世界を如実に反映しているであろう、膨大な書籍の大宇宙を想像するだけでも、この人の知識人としての包容力は測り知れない。比較してはいけないのだが、(これは小さな声で囁くことなのですが)、ノーベル賞をもらった大江さんも、カフカ賞をもらった村上春樹さんも、確かに、すぐれた知識人であるが、国民的大作家・大知識人の域には位置しないと思う。これは私の感じです。ま、司馬さんがなくなられて、十年、日本は大変なところにまで来ているのは間違いない。そのとき、ふと、司馬さんが存在していたなら、なんと評するのか、その肉声が聞けないことが残念でたまらない。 返信する shino (Unknown) 2006-03-25 20:28:29 もう雪のしたでほころぶ準備した緑色した春のマシュマロ 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
名前とタイトルが逆さですよ。
>T.nakamuraさん
こそ、いつもお疲れさまです。
筆者は、司馬遼太郎は「翔ぶが如く」ぐらいしか読んでないので、あまりよくわかりません。
それと、浮世絵への言及がこのブログで多いのは、単に好みの問題で、あまり江戸文明がどうとか、そういうことまでは視野に入れていませんでした。すいません。
さて、日曜日の私の楽しみは、第一に、競馬予想です。中京第11レース「高松宮記念」GⅠにナケナシの資金を投入するつもりです。昨日の道新夕刊の3面にあるレース・データー表を切り抜き、ノートに貼り付け、眺めています。
それと前後して、第二の楽しみが、日経新聞の20・21面の美術の欄、署名入り記事を丹念に読むことです。これがあるから、日経を購読しているようなものです。十数年になります。もちろん、道新を、八十過ぎの母が購読しています。一日遅れで、読んでいます。
本日の署名入り記事のタイトルは、「清風の妙味・・・煎茶と文人画㊤」であって、文は河野孝です。
江戸中期の画家、伊藤若冲(1716-1800)の画業が取り上げられています。その記事の中で、若冲の言葉が引用されているので、ちょっと、記しておきます。
「今の画というものは、みな手本をもとに描くばかりで、いまだ物を描けたのを見たことがない。そして、技術によって売れることばかりを求めていて、技術以上に進むことができたものがない。自分が人と違っているのはこの点だけなのだ。」(相国寺の禅僧、大典の『藤景和が画の記』)
司馬さんの『司馬遼太郎が考えたこと15』を読んでいて、これは私が無知であったのですが、、司馬さんが江戸期の文化の豊かさ(世界的水準において)を激賞していることと、その心がすこし烈しくねじれながら慨嘆へと推移し、明治期日本と江戸期日本の間にある、異常なる文化的断絶のあらあらしさに慨嘆されていることに、読んでいて、はじめて、気づきました。
やないさんの国貞や北斎の浮世絵への著しい傾倒(過剰ともいえる)の真意が少しだけ理解できる糸口が見つかった。
北斎は見に行く予定でいます。
司馬さんという人の小説は実は一篇を除いて読んでいなくて、その意味では、いい読者ではありません。『街道をゆく』『この国のかたち』『風塵抄』『春灯雑記』『微光のなかの宇宙』『ある運命について』『アメリカ素描』、それとドナルド・キーンとの対談である『日本人と日本文化』『世界のなかの日本』、陳舜臣・金達寿との鼎談『歴史の交差路にて』etc.といったものにしか触手がはたらかない悪い癖があるものですので。
小説は『空海の風景』一篇だけです。
司馬さんを評する資格は全然ないのですが、遠くから眺めていても、彼が巨人であることはわかります。多分、明治期の夏目漱石の水準を昭和期において実現した国民的作家(知識人)であると推察しています。この人の読書量は測り知れない。
安藤忠雄が設計した大阪の記念館、これはまだ見ていないのですが、彼の脳内世界を如実に反映しているであろう、膨大な書籍の大宇宙を想像するだけでも、この人の知識人としての包容力は測り知れない。
比較してはいけないのだが、(これは小さな声で囁くことなのですが)、ノーベル賞をもらった大江さんも、カフカ賞をもらった村上春樹さんも、確かに、すぐれた知識人であるが、国民的大作家・大知識人の域には位置しないと思う。これは私の感じです。
ま、司馬さんがなくなられて、十年、日本は大変なところにまで来ているのは間違いない。そのとき、ふと、司馬さんが存在していたなら、なんと評するのか、その肉声が聞けないことが残念でたまらない。
緑色した春のマシュマロ