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(承前)
このエントリが、下書きの段階で一時アップされていたみたいです。
失礼しました。
さて。長文です。
「就職氷河期とアーティスト」
のエントリで、最近の30代はなかなか社会的な成熟をしないという意味のことを書いたが、別に筆者はそのこと自体をけしからんと思っているわけではない。
もちろん、個々には
「あんた、そんなことやってたって、才能ないし、芽が出るはずないんだから、さっさとまともな職業についた方がいいよ」
と助言したくなるアーティストの卵もいるよ、ホントのこと言うと。
でも、そんなこと、面と向かって言うわけない。
残酷だし、それ以上に、将来の事なんて誰にもわからないからだ。
「こんなヘタな絵」
と馬鹿にしていたら、そのヘタさが受けてブレークするかもしれない。
バルザックは19世紀フランスを代表する小説家である。
彼が若いころ、物書きになりたいと親に直訴した。
甘い両親は、当時の偉い詩人に自作を見せ、お墨付きをもらったら、好きにしても良い-という条件を出した。
バルザック青年が勢い込んで書いた詩劇「クロムウエル」を読んだ偉い詩人氏は、青年の両親にあてて
「残念ながら息子さんには文学の才能はないようです」
と書いたという。
真に革命的な作家というのは同時代の凡庸な頭脳には理解されない-というテーゼを地でいくような逸話である。
ま、それはさておき、そもそも筆者が、世間的にまっとうな仕事につかずフラフラしてることや、仕事に専心せずに創作をやってみたりすることを、否定するわけがないのじゃ!
日本人の生き方というのは、トコロテン式というか、エスカレーター式というか、大学を出てすぐに就職し、その職場(会社や官公庁など)で定年まで懸命に働くというモデルを良しとしてきたようなところがある。よく新聞にも、叙勲の季節になると載ってますよね、「この道ひと筋ン十年」とか。
筆者も、一見そういう生き方をしているように見えるかもしれない。安定した月給をもらっておきながら、その一方で、頑張ってるみなさんの個展をパパッと見て偉そうなことをつづるのは、上から目線みたいで、すごく気がひけるのである。
とはいえ、いまさらこんなことを書くのもヘンだけど、自分では、このブログを毎日更新しており、まっとうな標準的サラリーマン的な生き方をしているとはあまり言いがたいと思っているのだ。
さっきも書いたけれど、日本人は「一意専心」「この道ひと筋」が好きだ。
でも、自分は、「二足のわらじ」とか「いくつもの顔を持つ」という生き方がもっと認められてもいいんじゃないかと考えている。「この道ひと筋」がダメっていうんじゃなくて。
日本の硬直した人事制度・職業のあり方では、とくに中高年になってからの転職がむつかしい。これでは、激変する世界の経済についていけない。
もっと自由な働き方が認められないと、日本の社会も経済も行き詰まるばかりだろう。
だから、自分も週3日は新聞社で働いて、のこりはアートブロガーだったりしたらいいと思うし(もちろん収入は半分近くカット。それでも、いまの日本社会では甘い考えでしかないけどね)、札幌の30代諸氏も、週3、4日(あるいは半年)は正社員でばりばり働いて、あとの日はアーティスト-みたいな生き方が認められた方が、ぜったいに面白いと思う。
「プロは専心してなんぼ」
みたいな人からは反発くらいそうだけどね。
だけど
「新卒一括採用、あとは定年まで人生を会社にささげろ、それができないやつは時給の安いバイトで年金も払えず貧乏してろ」
みたいな選択肢しかない(ちょっと極端な二分法かもしらんが)のって、どうなんだろう。
またまた上から目線になってしまうようで恐縮だけど、若い皆さんにはがんばってほしい。
20代から30歳過ぎぐらいまではアルバイトもあるけれど、35歳を過ぎると減り、40代以降は転職も困難になるのが現状だ。そして、年金をちゃんと払っておかないと、60代以降は相当生活が厳しくなる。
そうなった時点で、なんとかしてくれと行政に泣きついても遅い。いや、ほんとに困り果てたら泣きついたほうがいいのだが、それはそれとして、好きなことをやって老後に貧困に沈んでもそれは自業自得でしかないわけで。
30代になっても定職を持たず世界のアーティスト・イン・レジデンスを渡り歩くなどして食いつないでいるアーティストはけっこういる。それでも、例えば川俣正さんなら、最終的には東京藝大やパリの美大に招かれ、食べていくことができるようになるわけだが、そこまで才能や実績もない人は、そのままのたれ死にするかもしれない。
(逆に言えば、あの川俣さんですら、アートで食べていくまでは大変だったわけだし、それはセザンヌも同様だ。彼の父親が裕福でなかったらセザンヌは途中で筆を折っていたかもしれない)
くれぐれも生活設計をしっかりお願いします。って、余計なお世話かもしれないけどさ。
おまけ。
バルザックの小説でおすすめは「ゴリオ爺さん」(岩波文庫など)。彼の人間観察眼は、すごいです。
このエントリが、下書きの段階で一時アップされていたみたいです。
失礼しました。
さて。長文です。
「就職氷河期とアーティスト」
のエントリで、最近の30代はなかなか社会的な成熟をしないという意味のことを書いたが、別に筆者はそのこと自体をけしからんと思っているわけではない。
もちろん、個々には
「あんた、そんなことやってたって、才能ないし、芽が出るはずないんだから、さっさとまともな職業についた方がいいよ」
と助言したくなるアーティストの卵もいるよ、ホントのこと言うと。
でも、そんなこと、面と向かって言うわけない。
残酷だし、それ以上に、将来の事なんて誰にもわからないからだ。
「こんなヘタな絵」
と馬鹿にしていたら、そのヘタさが受けてブレークするかもしれない。
バルザックは19世紀フランスを代表する小説家である。
彼が若いころ、物書きになりたいと親に直訴した。
甘い両親は、当時の偉い詩人に自作を見せ、お墨付きをもらったら、好きにしても良い-という条件を出した。
バルザック青年が勢い込んで書いた詩劇「クロムウエル」を読んだ偉い詩人氏は、青年の両親にあてて
「残念ながら息子さんには文学の才能はないようです」
と書いたという。
真に革命的な作家というのは同時代の凡庸な頭脳には理解されない-というテーゼを地でいくような逸話である。
ま、それはさておき、そもそも筆者が、世間的にまっとうな仕事につかずフラフラしてることや、仕事に専心せずに創作をやってみたりすることを、否定するわけがないのじゃ!
日本人の生き方というのは、トコロテン式というか、エスカレーター式というか、大学を出てすぐに就職し、その職場(会社や官公庁など)で定年まで懸命に働くというモデルを良しとしてきたようなところがある。よく新聞にも、叙勲の季節になると載ってますよね、「この道ひと筋ン十年」とか。
筆者も、一見そういう生き方をしているように見えるかもしれない。安定した月給をもらっておきながら、その一方で、頑張ってるみなさんの個展をパパッと見て偉そうなことをつづるのは、上から目線みたいで、すごく気がひけるのである。
とはいえ、いまさらこんなことを書くのもヘンだけど、自分では、このブログを毎日更新しており、まっとうな標準的サラリーマン的な生き方をしているとはあまり言いがたいと思っているのだ。
さっきも書いたけれど、日本人は「一意専心」「この道ひと筋」が好きだ。
でも、自分は、「二足のわらじ」とか「いくつもの顔を持つ」という生き方がもっと認められてもいいんじゃないかと考えている。「この道ひと筋」がダメっていうんじゃなくて。
日本の硬直した人事制度・職業のあり方では、とくに中高年になってからの転職がむつかしい。これでは、激変する世界の経済についていけない。
もっと自由な働き方が認められないと、日本の社会も経済も行き詰まるばかりだろう。
だから、自分も週3日は新聞社で働いて、のこりはアートブロガーだったりしたらいいと思うし(もちろん収入は半分近くカット。それでも、いまの日本社会では甘い考えでしかないけどね)、札幌の30代諸氏も、週3、4日(あるいは半年)は正社員でばりばり働いて、あとの日はアーティスト-みたいな生き方が認められた方が、ぜったいに面白いと思う。
「プロは専心してなんぼ」
みたいな人からは反発くらいそうだけどね。
だけど
「新卒一括採用、あとは定年まで人生を会社にささげろ、それができないやつは時給の安いバイトで年金も払えず貧乏してろ」
みたいな選択肢しかない(ちょっと極端な二分法かもしらんが)のって、どうなんだろう。
またまた上から目線になってしまうようで恐縮だけど、若い皆さんにはがんばってほしい。
20代から30歳過ぎぐらいまではアルバイトもあるけれど、35歳を過ぎると減り、40代以降は転職も困難になるのが現状だ。そして、年金をちゃんと払っておかないと、60代以降は相当生活が厳しくなる。
そうなった時点で、なんとかしてくれと行政に泣きついても遅い。いや、ほんとに困り果てたら泣きついたほうがいいのだが、それはそれとして、好きなことをやって老後に貧困に沈んでもそれは自業自得でしかないわけで。
30代になっても定職を持たず世界のアーティスト・イン・レジデンスを渡り歩くなどして食いつないでいるアーティストはけっこういる。それでも、例えば川俣正さんなら、最終的には東京藝大やパリの美大に招かれ、食べていくことができるようになるわけだが、そこまで才能や実績もない人は、そのままのたれ死にするかもしれない。
(逆に言えば、あの川俣さんですら、アートで食べていくまでは大変だったわけだし、それはセザンヌも同様だ。彼の父親が裕福でなかったらセザンヌは途中で筆を折っていたかもしれない)
くれぐれも生活設計をしっかりお願いします。って、余計なお世話かもしれないけどさ。
おまけ。
バルザックの小説でおすすめは「ゴリオ爺さん」(岩波文庫など)。彼の人間観察眼は、すごいです。
そうだ社会保険事務所に書類提出しとかなきゃ。。。。50近くなると厳しいというよりはちょっと若い人がうらやましというか、無茶してみたくなる。