(13日未明、大量に追記しました)
苫小牧で最も西にある小学校「樽前小学校」の校舎の内外で開かれているグループ展。
近くのアトリエで制作活動に携わり、自作ギャラリーで「樽前arty」を主催している藤沢レオさんによると、樽前小の校庭などを会場に借りたことはあるが、校舎内を活用したのは初めてとのこと。
廃校跡のアトリエなどは時々発表に利用されることがあるが、現役校舎が会場になっている美術展は珍しい。
夏休み中だから子どもたちはいないものの、実際に使われている机や教室から、彼(女)らの存在感を間接的に感じ取ることができ、展示作品と微妙に交響しあっている。それを体感するだけでも、行ってみる価値がある展覧会だと思う。
なお、校舎外は、ジェームズ ジャック、長澤裕子、藤沢レオ、熊澤桂子の4氏。
ほかは、教室や体育館が展示場である。
熊澤さんは外にも中にも展示している。
話題になっているのが、寡作で知られる坂東史樹さんが、2006~07年に道立近代美術館で開かれた「ビューティフル・ドリーマー」以来となる新作「真昼の星々-樽前小学校体育館での記憶-」を出品していること。
ネタバレになるから詳しく書かないほうがいいのかな。モノクロのピンホール写真作品という、彼にとっては珍しい(「ビューティフル・ドリーマー」でも使っていたそうだが)手法であり、同時に、さりげなくサイトスペシフィックでもある。
そして、平面の大きさとしては、彼の作品にしては大きいのであるが、「ささやかに夜の夢を具現化したような」という、彼の作品に過去用いられてきた形容は、今回もあてはまりそうな感じである。新境地にして、底の部分では以前のを引き継いでいるというか。
おなじく体育館を展示スペースとしているのが、富田俊明さん。
「灰と頬:真鍮絵皿」と題したインスタレーションである。
体育館ステージの上に長机が置かれ、大小の真鍮の皿が手前に12個、反対サイドに11個、ならべられている。そして、いすが双方に6脚ずつ置かれている。
これが片側だけだったら、まるでレオナルドの「最後の晩餐」なのだが、2列に向かい合っているので、そういう雰囲気はない。
そして、テーブルの上は金色に光る皿と、シートだけで、料理はもちろんナイフやフォークなども見当たらない。
皿には、海外の子どもが描いたとおぼしき絵や英文が刻まれている。「ピザが好き。魚は大嫌い」などと書かれていて、魚が気の毒に感じられる。
海外で行ったワークショップの産物かなにかなのだろうか。どういう情景なのかはわからない。ただ、「子どもの気配」を伝えるという意味では、会場となっている校舎も同じといえるのかもしれない。
富田さんは東京藝大大学院を修了し、各地で発表やアーティスト・イン・レジデンスなどを行っている方のようである。また、道教大の釧路校と岩見沢校の講師でもある。
略歴を拝見すると、富良野市図書館のプロジェクトを昨年行っているのが目を引く。2001年の横浜トリエンナーレにも出品していて、筆者が見たかどうかを確かめたかったのだが、いまはできない。
ひさしぶり、といえば、原井憲二さんも、2007年に、いまや伝説のオルタナティブスペースである「micro.」内部のほぼすべてを青く塗った鮮烈なインスタレーションで道内初出場を果たして以降、久々の登場ではないか。
今回の「床の窓」は、昔新聞の写真製版に用いられていた網点印刷の技法を応用して、ドットの大きさで明暗を表現したもの。近づくと、大小の点が並んでいるだけにしか見えないが、離れて見ると、大木の像が浮かび上がってくる。
藤本和彦さんは教室をいっぱいに活用したインスタレーション「端緒と前兆」。
教室が植物にのみこまれていく前触れの光景なんだろうか。
唯一廊下に展示している前澤良彰さんは写真家だが、美術畑の人との展覧会も積極的に取り組んでいる。
今回の出品作「1968年6月のイメージ「記憶」」は、題だけをみると、学生運動かなにかがモチーフみたいに思われる。しかし、実際には、カラー4、モノクロ9の写真13枚には、サイロ、階段、雨にぬれた窓、水たまりなどがややアンダー気味にとらえられており、非常に静謐な印象を与える。
小林麻美さんの作品は題がわからなかったが、100号とおぼしき絵画の大作1点。プールサイドとおぼしき場面の群像画だが、顔がはっきりとは描かれていないので、ふしぎな感じ。
熊澤さん、暗くした室内に「幻影にんじん」「蛍草」などのインスタレーションを展示。
続いて屋外。
ジャックさんはワークショップ「Storied Landscape 物語られた風景」を実施した模様で、その様子を撮った写真が看板に貼られていた。
彼は昨年秋、札幌彫刻美術館でひらかれた「プラスワン」にも参加している。
続いて長澤裕子さん「フウミャク」。
「フウミャク」は「風脈」だろうか。
同じ大きさの板状のものが、きのこ園(小学校にそんな施設があるんだ!)内の地面に、規則的に排列されている。
学校の敷地内にあるカシワ林の中にあるのが藤沢レオさん「<知ル>」。
小道を進んでいくが、作品は見当たらない。
表示板の前に着くと、とつぜん、すでに自分が作品に取り囲まれていることに気づくのだ。
枝や幹に取り付けられた、金属製の短い筒状の物体。正面から見ると、底面はピンク色に見える。
気づかないうちに、おびただしいピンク色の目玉というか、銃眼に、包囲されていたわけだ。思わず、ぞっとする。
筆者は150~200個は数えたが、藤沢さんによると「その倍はある」らしい。
作品は、わたしが知覚したと同時に存在することを始めたのでは決してなくて、それ以前から存在したのだろう。
では「知覚する」とはどういうことなのか。
いろいろなことを考えさせられる作品だった。
熊澤さんの屋外作品はひとつだけ離れて、校門の附近の草むらに設置されていた。
ガラス製の「氷渦草」は、高さのまちまちな、ワラビのような草。
非常にさりげない設置で、人工だろうが自然だろうがどうでもいいことのように感じられるたたずまいだと思う。
このさりげなさが魅力なんだと思った。
2001年8月6日(土)~14日(日)10am~5pm
苫小牧市立樽前小学校(苫小牧市樽前102)
■予告記事
■現地への行き方
苫小牧で最も西にある小学校「樽前小学校」の校舎の内外で開かれているグループ展。
近くのアトリエで制作活動に携わり、自作ギャラリーで「樽前arty」を主催している藤沢レオさんによると、樽前小の校庭などを会場に借りたことはあるが、校舎内を活用したのは初めてとのこと。
廃校跡のアトリエなどは時々発表に利用されることがあるが、現役校舎が会場になっている美術展は珍しい。
夏休み中だから子どもたちはいないものの、実際に使われている机や教室から、彼(女)らの存在感を間接的に感じ取ることができ、展示作品と微妙に交響しあっている。それを体感するだけでも、行ってみる価値がある展覧会だと思う。
なお、校舎外は、ジェームズ ジャック、長澤裕子、藤沢レオ、熊澤桂子の4氏。
ほかは、教室や体育館が展示場である。
熊澤さんは外にも中にも展示している。
話題になっているのが、寡作で知られる坂東史樹さんが、2006~07年に道立近代美術館で開かれた「ビューティフル・ドリーマー」以来となる新作「真昼の星々-樽前小学校体育館での記憶-」を出品していること。
ネタバレになるから詳しく書かないほうがいいのかな。モノクロのピンホール写真作品という、彼にとっては珍しい(「ビューティフル・ドリーマー」でも使っていたそうだが)手法であり、同時に、さりげなくサイトスペシフィックでもある。
そして、平面の大きさとしては、彼の作品にしては大きいのであるが、「ささやかに夜の夢を具現化したような」という、彼の作品に過去用いられてきた形容は、今回もあてはまりそうな感じである。新境地にして、底の部分では以前のを引き継いでいるというか。
おなじく体育館を展示スペースとしているのが、富田俊明さん。
「灰と頬:真鍮絵皿」と題したインスタレーションである。
体育館ステージの上に長机が置かれ、大小の真鍮の皿が手前に12個、反対サイドに11個、ならべられている。そして、いすが双方に6脚ずつ置かれている。
これが片側だけだったら、まるでレオナルドの「最後の晩餐」なのだが、2列に向かい合っているので、そういう雰囲気はない。
そして、テーブルの上は金色に光る皿と、シートだけで、料理はもちろんナイフやフォークなども見当たらない。
皿には、海外の子どもが描いたとおぼしき絵や英文が刻まれている。「ピザが好き。魚は大嫌い」などと書かれていて、魚が気の毒に感じられる。
海外で行ったワークショップの産物かなにかなのだろうか。どういう情景なのかはわからない。ただ、「子どもの気配」を伝えるという意味では、会場となっている校舎も同じといえるのかもしれない。
富田さんは東京藝大大学院を修了し、各地で発表やアーティスト・イン・レジデンスなどを行っている方のようである。また、道教大の釧路校と岩見沢校の講師でもある。
略歴を拝見すると、富良野市図書館のプロジェクトを昨年行っているのが目を引く。2001年の横浜トリエンナーレにも出品していて、筆者が見たかどうかを確かめたかったのだが、いまはできない。
ひさしぶり、といえば、原井憲二さんも、2007年に、いまや伝説のオルタナティブスペースである「micro.」内部のほぼすべてを青く塗った鮮烈なインスタレーションで道内初出場を果たして以降、久々の登場ではないか。
今回の「床の窓」は、昔新聞の写真製版に用いられていた網点印刷の技法を応用して、ドットの大きさで明暗を表現したもの。近づくと、大小の点が並んでいるだけにしか見えないが、離れて見ると、大木の像が浮かび上がってくる。
藤本和彦さんは教室をいっぱいに活用したインスタレーション「端緒と前兆」。
教室が植物にのみこまれていく前触れの光景なんだろうか。
唯一廊下に展示している前澤良彰さんは写真家だが、美術畑の人との展覧会も積極的に取り組んでいる。
今回の出品作「1968年6月のイメージ「記憶」」は、題だけをみると、学生運動かなにかがモチーフみたいに思われる。しかし、実際には、カラー4、モノクロ9の写真13枚には、サイロ、階段、雨にぬれた窓、水たまりなどがややアンダー気味にとらえられており、非常に静謐な印象を与える。
小林麻美さんの作品は題がわからなかったが、100号とおぼしき絵画の大作1点。プールサイドとおぼしき場面の群像画だが、顔がはっきりとは描かれていないので、ふしぎな感じ。
熊澤さん、暗くした室内に「幻影にんじん」「蛍草」などのインスタレーションを展示。
続いて屋外。
ジャックさんはワークショップ「Storied Landscape 物語られた風景」を実施した模様で、その様子を撮った写真が看板に貼られていた。
彼は昨年秋、札幌彫刻美術館でひらかれた「プラスワン」にも参加している。
続いて長澤裕子さん「フウミャク」。
「フウミャク」は「風脈」だろうか。
同じ大きさの板状のものが、きのこ園(小学校にそんな施設があるんだ!)内の地面に、規則的に排列されている。
学校の敷地内にあるカシワ林の中にあるのが藤沢レオさん「<知ル>」。
小道を進んでいくが、作品は見当たらない。
表示板の前に着くと、とつぜん、すでに自分が作品に取り囲まれていることに気づくのだ。
枝や幹に取り付けられた、金属製の短い筒状の物体。正面から見ると、底面はピンク色に見える。
気づかないうちに、おびただしいピンク色の目玉というか、銃眼に、包囲されていたわけだ。思わず、ぞっとする。
筆者は150~200個は数えたが、藤沢さんによると「その倍はある」らしい。
作品は、わたしが知覚したと同時に存在することを始めたのでは決してなくて、それ以前から存在したのだろう。
では「知覚する」とはどういうことなのか。
いろいろなことを考えさせられる作品だった。
熊澤さんの屋外作品はひとつだけ離れて、校門の附近の草むらに設置されていた。
ガラス製の「氷渦草」は、高さのまちまちな、ワラビのような草。
非常にさりげない設置で、人工だろうが自然だろうがどうでもいいことのように感じられるたたずまいだと思う。
このさりげなさが魅力なんだと思った。
2001年8月6日(土)~14日(日)10am~5pm
苫小牧市立樽前小学校(苫小牧市樽前102)
■予告記事
■現地への行き方