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美術評論家の時代は終わったか

2011年05月10日 21時52分08秒 | つれづれ日録
 大手新聞の中には、文化面を朝刊に移したところもあるが、北海道新聞の場合は基本的に夕刊。朝刊文化面は週1度、月曜しかない。
 その朝刊文化面に「ウエーブ」というコラム欄があって、建築や音楽(といっても大半が「クラシック音楽」だが)の話題を交代でとりあげている。美術を担当しているのは、わかりやすい評を書くことでは定評のある村田真さんである。道外のアートの話題を過不足なく伝える、北海道新聞にあっては唯一の貴重な欄だ。
 5月9日の「ウエーブ美術」では、相次ぐ美術評論家の逝去をとりあげていた。少し長くなるが、冒頭部分を引用する。

 震災をめぐる膨大な記事の陰に隠れてしまったが、この3月から4月にかけて美術評論家が相次いで亡くなった。中原佑介(79歳)、瀬木慎一(80歳)、鷹見明彦(55歳)、多木浩二(82歳)の各氏だ。

 ひと世代若い鷹見氏を除けばいずれも1950年代から半世紀以上にわたり批評活動を続け、戦後日本の現代美術を支えてきた評論家たちだが、彼らの死は一時代の終わりを告げるだけでなく、美術批評そのものの終焉しゅうえんを予告しているように思えてならない。とりわけその感を強くするのが中原佑介氏だ。

 同年代の針生一郎(昨年5月没、84歳)、東野芳明(2005年没、75歳)とともに美術評論の御三家と呼ばれた中原氏は、批評活動だけでなく展覧会企画や美術教育にも尽力し、京都精華大学学長、兵庫県立美術館館長、国際美術評論家連盟会長などを歴任、日本の美術界に多大な影響を与えた。さっぽろ国際現代版画ビエンナーレ展(1991~2000年)の審査員を務めたということで、北海道でも交流を持った方がいるかもしれない。

 なかでも語り草になっているのが、70年に彼がコミッショナーを務めた東京ビエンナーレ「人間と物質」展。(以下略)


 もちろん村田さんは、美術批評の終わりを歓迎しているのではない。その逆だ。
 文章の後半では
「もはや美術批評の衰退をだれにも止めることはできないが、だからといって人間の本源的な行為であるアートの理論づけが必要なくなったということにはならないだろう。」
とし、中原氏の選集(全12巻)が現代企画室から出版されることや、横浜のアートスペースであるBankARTで彼の研究会が始まることなどを紹介している。


 村田さんが振り返っているとおり、1970年代までの「美術手帖」誌などには長文の批評がよく掲載されていた。
 同誌は、年を追うごとにテキストの分量がどんどん減ってきていて、評論家の活躍の舞台も狭まっている。最近さすがにちょっと恢復しているようであるが。

 また村田さんは、アートマーケットの拡大にともない、大衆の人気が評論家の言説を駆逐した-という事情も指摘している。

 彼は挙げていないが、1980年代以降、世界の美術シーンで評論家よりも力を持つようになってきたのは、美術展を組織するキュレーターである。
 大型国際美術展では、誰が出品するかというよりも、キュレーターが誰かということの方が話題に上るようになってきた。

 素朴に考えれば、美術展を組織する側のほうが、美術展がつくられてしまってからどうこう言う立場よりも強いのは、自然なことのように思われる。


 北海道内の事情について言えば、この冬札幌芸術の森美術館で開かれた「札幌・昭和30年代」展の際に、もはや民間の美術評論家の出る幕がなくなりつつあることを述べたので、下記のリンク先を参照していただきたい。


 ところで、美術評論が衰える背景には、美術の大衆化のほかに、もうひとつ大きな時代潮流があるように思う。
 長くなってきたので項を改めて記したい

 
 
※関連しそうなエントリへのリンク

多木浩二氏(評論家)が死去

中原佑介さん死去について書くのを忘れていた

北海道に美術評論家は必要か 「さっぽろ・昭和30年代」展に思うこと

美術評論家・針生一郎さん死去

JAHODA Vol.1 あるいは、アートはどこにあるか


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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
美術評論の未来 (根保孝栄石塚邦男)
2011-05-16 01:44:28
 美術評論の衰退は、権威の失墜という時代の当然の帰結でもあり、マネジメント優先の帰結でもありましょう。
 何よりも美術館の学芸員の質の向上によって、専門の美術評論家の出番がなくなってきたことに一方の原因があるように思います。
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根保孝栄石塚邦男さん、こんにちは (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2011-05-16 22:26:42
かつて美術評論家が果たしていた役割の相当部分を、美術館学芸員が担っていることは確かだと思います。
そもそも学芸員がこんなにたくさんいませんでしたから。
ただ、評論家と学芸員の有する権能が異なるのも確かです。
世間が欲しているのは、価値付けまで面倒見てくれる人ではなく、客観的に解説してくれる人なのでしょう。
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美術評論の未来 (根保孝栄石塚邦男)
2011-07-29 14:36:21
学芸員は公平をむねとしますから、突っ込んだ美術批評はできないでしょう。やはり、癖のある美術評論は必要でしょうね。雑誌社おかかえの評論家のように誉め言葉を並べる学芸員のコメントには、玄人鑑賞者は満足しないでしょう。
私も20年ぶりに美術批評の場へ戻ろうと思いますのは、学芸員の月並み解説にうんざりしているからです。
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Unknown (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2011-07-30 00:08:28
う~ん、玄人鑑賞者が評論家を必要とするかというモンダイが残るような気もしますが…。
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玄人鑑賞家 (根保孝栄石塚邦男)
2011-07-30 10:41:27
玄人鑑賞家に「そういう観方もあったのか」というものを提示するのが、昔から評論家の仕事でした。ところが、いつのまにか、素人あいての解説者になってしまったのが、美術評論家でした。つまり学芸員と変らぬしごとしかしなくなっていたのが評論家でした。無名の画家を拾い上げる眼力こそ、評論家の最大の仕事であるはずが、説明者に成り下がったあげく、時代に見限られ、学芸員にその席を譲らざるを得なかったのです。私の時代認識です。
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根保孝栄石塚邦男さん、こんにちは (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2011-07-31 12:52:42
なるほど、わかりました。

単純に、学芸員が30年前に比べると増えて、評論家の出番がなくなったという面はあると思います。
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若手評論家の台頭を (根保孝栄石塚邦男)
2011-08-24 00:47:13
美術館の学芸員の官僚的な企画のあり方が問題でしょう。パターンにはまった打ち出し方は酷いものです。才能ある新人の発掘などできないでしょう。画廊経営者や画商も儲け優先に走ってばかりで、暗澹たるものです。
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Unknown (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2011-08-25 09:51:08
美術館の企画については館やキュレーターにより力量の差があると思います。
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