(承前)
映画監督の展示を文学館で行うことにどういう意味があるのだろう。
筆者はとても懐かしく、興味深く見たが、小津の監督したフィルムを20本以上スクリーンで見ている筆者の感覚が万人に当てはまるかどうかよくわからない。
本の表紙や、自筆原稿用紙をいくら眺めても、作品を読まないことには、その文学者のことは理解できないだろうが、それ以上に、映画のポスターや半券をにらんだところで、その監督について知見を深めることはほとんど期待できまい。そして、滋味深いホームドラマの作り手を「映像詩人」と形容した理由は、やはりわからなかった。
ただ、カタいことを言わなければ、見ていて楽しい展示であった。
1931年(昭和6年)の「松竹座ニュース」は、小津の「東京の合唱」を紹介しているが、この小さなチラシの保存状態の良さには驚く。
30年の同ニュースには「その夜の妻」が取り上げられているが、同じ号に「キートンの結婚話」が掲載され、映画史を実感させる。
戦後になると、ポスターはカラーになり、サイズも大きくなっていく。
「東京物語」のポスターや資料には「今年のベストワン確実!」と印刷され、この映画史に燦然と輝く名画を送り出した松竹の自信のほどがうかがえる(ただし、会場には記載はないが、この年のキネマ旬報ベストテンで「東京物語」は2位であった。同時代の評論家の評価はあてにならないというべきか、あるいは、価値観は時代とともに移り変わるためなのか)。
展示されている資料はほとんど個人のコレクションで、これには脱帽であった。
小津は声高に反戦を主張したり、社会問題を告発したりする映画は撮らなかった。
一部の左派系評論家からは、娘を嫁に出す男の話など、似たようなものばかり作っていると批判され、プチブル的(小市民的)な作風とみなされていた。
一方で、年表を見た人は分かったと思うが、戦意高揚の作品や、いかにも時流に乗った国策映画も完成させてはいない(着手したものはあるようだが)。
昭和初期にマルクスボーイで、その後転向して戦争遂行と八紘一宇を叫び、戦後はまた「民主派」になった知識人や芸術家がたくさんいたことを思えば、筆者は、この小津の姿勢は実に一貫しており立派だと思う。
小津は戦場や兵士は描かない代わりに、「風の中の牝雞」で、夫の復員前に、子の医療費を捻出するために一度だけ春をひさいだ女を主人公に据え、「東京物語」では原節子の夫が戦争から帰ってこないという設定にした。
最後の作品「秋刀魚の味」で、スナックで軍艦マーチが流れる場面は有名である。
戦争は、一見目立たないかたちではあるが、小津の作品世界に大きな影を落としているのだ。
なお、これは会場に明記してほしかったが、小津の監督作品54本のうち、18本はフィルムがまったく現存しない。
「大学は出たけれど」のように、本来70分ほどなのに、十数分のバージョンしか残っていない作品もある(しかし、ちゃんとストーリーがつながって鑑賞できるのがおもしろいというか不思議である)。
世界的な巨匠なのに、残念だと思う。
もうひとつ。
従来、小津のスタッフをめぐる言説は、その多くがカメラの厚田雄春に集中しており、もうひとりの要である脚本の野田高梧については語られることが実に少なかったと感じる。
野田は函館出身なので、今回の展示で少しはスポットが当てられているのではと期待していたが、そこも物足りなく、個人的に残念だった。
2023年6月24日(土)~8月20日(日)午前9時半~午後5時
道立文学館(札幌市中央区中島公園)
・地下鉄南北線「中島公園駅」3番出入り口から約450メートル、徒歩5分
・同「幌平橋駅」から約500メートル、徒歩6分
・市電「中島公園通」から約650メートル、徒歩8分
映画監督の展示を文学館で行うことにどういう意味があるのだろう。
筆者はとても懐かしく、興味深く見たが、小津の監督したフィルムを20本以上スクリーンで見ている筆者の感覚が万人に当てはまるかどうかよくわからない。
本の表紙や、自筆原稿用紙をいくら眺めても、作品を読まないことには、その文学者のことは理解できないだろうが、それ以上に、映画のポスターや半券をにらんだところで、その監督について知見を深めることはほとんど期待できまい。そして、滋味深いホームドラマの作り手を「映像詩人」と形容した理由は、やはりわからなかった。
ただ、カタいことを言わなければ、見ていて楽しい展示であった。
1931年(昭和6年)の「松竹座ニュース」は、小津の「東京の合唱」を紹介しているが、この小さなチラシの保存状態の良さには驚く。
30年の同ニュースには「その夜の妻」が取り上げられているが、同じ号に「キートンの結婚話」が掲載され、映画史を実感させる。
戦後になると、ポスターはカラーになり、サイズも大きくなっていく。
「東京物語」のポスターや資料には「今年のベストワン確実!」と印刷され、この映画史に燦然と輝く名画を送り出した松竹の自信のほどがうかがえる(ただし、会場には記載はないが、この年のキネマ旬報ベストテンで「東京物語」は2位であった。同時代の評論家の評価はあてにならないというべきか、あるいは、価値観は時代とともに移り変わるためなのか)。
展示されている資料はほとんど個人のコレクションで、これには脱帽であった。
小津は声高に反戦を主張したり、社会問題を告発したりする映画は撮らなかった。
一部の左派系評論家からは、娘を嫁に出す男の話など、似たようなものばかり作っていると批判され、プチブル的(小市民的)な作風とみなされていた。
一方で、年表を見た人は分かったと思うが、戦意高揚の作品や、いかにも時流に乗った国策映画も完成させてはいない(着手したものはあるようだが)。
昭和初期にマルクスボーイで、その後転向して戦争遂行と八紘一宇を叫び、戦後はまた「民主派」になった知識人や芸術家がたくさんいたことを思えば、筆者は、この小津の姿勢は実に一貫しており立派だと思う。
小津は戦場や兵士は描かない代わりに、「風の中の牝雞」で、夫の復員前に、子の医療費を捻出するために一度だけ春をひさいだ女を主人公に据え、「東京物語」では原節子の夫が戦争から帰ってこないという設定にした。
最後の作品「秋刀魚の味」で、スナックで軍艦マーチが流れる場面は有名である。
戦争は、一見目立たないかたちではあるが、小津の作品世界に大きな影を落としているのだ。
なお、これは会場に明記してほしかったが、小津の監督作品54本のうち、18本はフィルムがまったく現存しない。
「大学は出たけれど」のように、本来70分ほどなのに、十数分のバージョンしか残っていない作品もある(しかし、ちゃんとストーリーがつながって鑑賞できるのがおもしろいというか不思議である)。
世界的な巨匠なのに、残念だと思う。
もうひとつ。
従来、小津のスタッフをめぐる言説は、その多くがカメラの厚田雄春に集中しており、もうひとりの要である脚本の野田高梧については語られることが実に少なかったと感じる。
野田は函館出身なので、今回の展示で少しはスポットが当てられているのではと期待していたが、そこも物足りなく、個人的に残念だった。
2023年6月24日(土)~8月20日(日)午前9時半~午後5時
道立文学館(札幌市中央区中島公園)
・地下鉄南北線「中島公園駅」3番出入り口から約450メートル、徒歩5分
・同「幌平橋駅」から約500メートル、徒歩6分
・市電「中島公園通」から約650メートル、徒歩8分
(この項続く)