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(承前)
道立近代美術館が開いた「北海道美術50」と、あわせて出版された同題の書籍(中西出版)について、前項で50人の人選について述べました。
しかし、ほんとうに言いたいことはまだあるのです。
一部、これまでにも書いてきたことと重複しますが、あらためて北海道の美術史について考えたいと思います。
以下、
1) 「北海道美術」の範囲とは
2) 分野の問題
3) 収蔵庫とインスタレーション
の3部にわけて論じていきます。
1) 「北海道美術」の範囲とは
素朴に考えると「北海道美術」とは、北海道内で発表された作品か、北海道ゆかり、あるいは北海道を拠点とする作り手による作品のいずれかではないかと思います。
したがって、道内で生まれた人が道内のギャラリーや美術館で展示した作品であれば、「北海道美術」の範囲に入ることは、疑問の余地はありません。
ただし、生まれは道内でも、首都圏や海外を拠点とした人は大勢います。
「原爆の図」で名高い丸木俊は空知管内妹背牛町出身ですし、ドクメンタ参加などで欧洲での知名度が高い川俣正は三笠出身ですが、「北海道美術50」には選ばれていませんし、そもそも道内の公立美術館が展示したことがないと思われます。
ほかにも写実系の有名画家として、諏訪敦は室蘭出身ですし、野田弘志は伊達にアトリエを有しますが、今回は入っていません。
今回もっとも違和感を抱くのは絹谷幸二《日月燦々北海道》が選ばれていることです。
絹谷幸二は独立美術の大御所ですが、奈良生まれであり、道内に住んだことは一度もありません。
《日月燦々北海道》はたしかに北海道をモチーフとしています。しかしそれがオーケーなら、東山魁夷だって森山大道だって北海道美術のカテゴリーに含めてかまわなくなってしまいます。
2) 分野の問題
今回の50人を見ると、絵画(日本画、洋画、版画)が圧倒的に多く、彫刻・立体造形が6人、工芸4人(陶芸2、金工1、ガラス1)、グラフィックデザイン1人、フロッタージュによる平面1人、写真を用いた現代アート2人という内訳になっています。
これは、じつは前項で触れた学芸員の顔ぶれとも関係しないこともないのですが、書道や(いわゆる)写真がここには入っていません。
現在の渡島管内松前町出身で「近代詩文書」という分野を創始した金子鷗亭(鷗は、鴎の正字)、同分野でいまや日本を代表する書家のひとりといわれる中野北溟は、函館美術館には所蔵されていそうですが、道立近代美術館には収蔵されていないのでしょう。
写真も同様で、たとえば深瀬昌久や前田真三、水越武、嶋田忠、清水武男といった名前がすぐに思い浮かびますが、そもそも道立の美術館はどこまでコレクションしているのかわかりません。もっとさかのぼって、横山松三郎や田本研造も、日本の写真史に名を刻む人ですが…。
明治時代、「書は芸術なりや」をめぐって大論争があったことはよく知られていますが、美術の境界をどこに設定するかは、なかなか一筋縄ではいかない問題といえます。とはいえ、いつまでも書などを除外しておいていいとも思えません。
3) 収蔵庫とインスタレーション
もう一つ。
「北海道美術50」のうち、岡部昌生《YUBARI MATRIX 1992-1995 より》はインスタレーションともいえますが、この分野も、1970年代以降道内で数多く発表されてきたわりには、今回の展覧会ではほとんど黙殺されているのが気になります。
ブログの読者の皆さんはご存じでしょうが、インスタレーションとは、会場の空間全体を使って一時的に設置されるもので、架設芸術とも訳されます。
道内でも伊藤隆介、池田緑、艾沢詳子、野又圭司、楢原武正、板東史樹、柿崎熙、半谷学ら、ほかにも取り組んでいる作家は少なくありません。少ないどころか、全国の美術シーンにもまして道内では、野外美術展がさかんに制作、発表が行われているといってもいいでしょう。
しかし「北海道美術50」で取り上げられていない理由は、道立近代美術館が所蔵していないことが大きな理由でしょう。そして、その背景として、インスタレーションはかさばるため狭い収蔵庫にコレクションしづらいという理由があると推察します。
とはいえ、収蔵庫の狭さとか非本来的な言い訳がいつまでも通用するとも思われないので(そういう言い訳をしているという事実はないのですが)、そろそろなんとかしてほしいところです。
あと、作品としての写真とは別に、記録写真の収蔵・収集はどうなっているんでしょうか。
考えてみれば、具体の村上三郎の紙破りパフォーマンスにせよ、ハイレッドセンターの首都圏清掃計画にせよ、関根伸夫の「位相―大地」にせよ、日本の戦後美術史なんて、記録写真抜きには成り立たない(作品そのものだけでは、片手落ちもいいとこですよね)のは、とっくの前にわかっていることなので、当然、道立近代美術館も保存に取り組んでいることと思いますし、この本の続編には、当然そのあたりが加味されるものと期待されます。
道立近代美術館が開いた「北海道美術50」と、あわせて出版された同題の書籍(中西出版)について、前項で50人の人選について述べました。
しかし、ほんとうに言いたいことはまだあるのです。
一部、これまでにも書いてきたことと重複しますが、あらためて北海道の美術史について考えたいと思います。
以下、
1) 「北海道美術」の範囲とは
2) 分野の問題
3) 収蔵庫とインスタレーション
の3部にわけて論じていきます。
1) 「北海道美術」の範囲とは
素朴に考えると「北海道美術」とは、北海道内で発表された作品か、北海道ゆかり、あるいは北海道を拠点とする作り手による作品のいずれかではないかと思います。
したがって、道内で生まれた人が道内のギャラリーや美術館で展示した作品であれば、「北海道美術」の範囲に入ることは、疑問の余地はありません。
ただし、生まれは道内でも、首都圏や海外を拠点とした人は大勢います。
「原爆の図」で名高い丸木俊は空知管内妹背牛町出身ですし、ドクメンタ参加などで欧洲での知名度が高い川俣正は三笠出身ですが、「北海道美術50」には選ばれていませんし、そもそも道内の公立美術館が展示したことがないと思われます。
ほかにも写実系の有名画家として、諏訪敦は室蘭出身ですし、野田弘志は伊達にアトリエを有しますが、今回は入っていません。
今回もっとも違和感を抱くのは絹谷幸二《日月燦々北海道》が選ばれていることです。
絹谷幸二は独立美術の大御所ですが、奈良生まれであり、道内に住んだことは一度もありません。
《日月燦々北海道》はたしかに北海道をモチーフとしています。しかしそれがオーケーなら、東山魁夷だって森山大道だって北海道美術のカテゴリーに含めてかまわなくなってしまいます。
2) 分野の問題
今回の50人を見ると、絵画(日本画、洋画、版画)が圧倒的に多く、彫刻・立体造形が6人、工芸4人(陶芸2、金工1、ガラス1)、グラフィックデザイン1人、フロッタージュによる平面1人、写真を用いた現代アート2人という内訳になっています。
これは、じつは前項で触れた学芸員の顔ぶれとも関係しないこともないのですが、書道や(いわゆる)写真がここには入っていません。
現在の渡島管内松前町出身で「近代詩文書」という分野を創始した金子鷗亭(鷗は、鴎の正字)、同分野でいまや日本を代表する書家のひとりといわれる中野北溟は、函館美術館には所蔵されていそうですが、道立近代美術館には収蔵されていないのでしょう。
写真も同様で、たとえば深瀬昌久や前田真三、水越武、嶋田忠、清水武男といった名前がすぐに思い浮かびますが、そもそも道立の美術館はどこまでコレクションしているのかわかりません。もっとさかのぼって、横山松三郎や田本研造も、日本の写真史に名を刻む人ですが…。
明治時代、「書は芸術なりや」をめぐって大論争があったことはよく知られていますが、美術の境界をどこに設定するかは、なかなか一筋縄ではいかない問題といえます。とはいえ、いつまでも書などを除外しておいていいとも思えません。
3) 収蔵庫とインスタレーション
もう一つ。
「北海道美術50」のうち、岡部昌生《YUBARI MATRIX 1992-1995 より》はインスタレーションともいえますが、この分野も、1970年代以降道内で数多く発表されてきたわりには、今回の展覧会ではほとんど黙殺されているのが気になります。
ブログの読者の皆さんはご存じでしょうが、インスタレーションとは、会場の空間全体を使って一時的に設置されるもので、架設芸術とも訳されます。
道内でも伊藤隆介、池田緑、艾沢詳子、野又圭司、楢原武正、板東史樹、柿崎熙、半谷学ら、ほかにも取り組んでいる作家は少なくありません。少ないどころか、全国の美術シーンにもまして道内では、野外美術展がさかんに制作、発表が行われているといってもいいでしょう。
しかし「北海道美術50」で取り上げられていない理由は、道立近代美術館が所蔵していないことが大きな理由でしょう。そして、その背景として、インスタレーションはかさばるため狭い収蔵庫にコレクションしづらいという理由があると推察します。
とはいえ、収蔵庫の狭さとか非本来的な言い訳がいつまでも通用するとも思われないので(そういう言い訳をしているという事実はないのですが)、そろそろなんとかしてほしいところです。
あと、作品としての写真とは別に、記録写真の収蔵・収集はどうなっているんでしょうか。
考えてみれば、具体の村上三郎の紙破りパフォーマンスにせよ、ハイレッドセンターの首都圏清掃計画にせよ、関根伸夫の「位相―大地」にせよ、日本の戦後美術史なんて、記録写真抜きには成り立たない(作品そのものだけでは、片手落ちもいいとこですよね)のは、とっくの前にわかっていることなので、当然、道立近代美術館も保存に取り組んでいることと思いますし、この本の続編には、当然そのあたりが加味されるものと期待されます。
(この項続く)