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こんなところでテロがあるとも思えないが…(笑)。
筆者が音威子府村におもむいた7月6日、札幌の美術作家である藤本和彦さんがシンポジウムの客席に姿を見せていた。
(藤本さんは、アジアプリントアドベンチャーの出品作家ではない)
聞くと、藤本さんは、お父さんが国鉄職員だった関係で、少年時代の数年間を音威子府村で過ごしていたのだそうだ。
しかし、そのころの同級生の家族はほとんど残ってない-と寂しそうだった。
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かつての音威子府村は、国鉄のまちだった。
宗谷本線と天北線の分岐点であり、旭川と稚内のちょうど中間に位置する交通の要衝だった。
だが、国鉄の分割民営化にともない、天北線は廃止。国労組合員の多かった職員は、清算事業団へ追いやられたり、遠くに異動させられたりした。
藤本さんは、いまの小学校のところに立ち並んでいた国鉄官舎に住んでいたという。
小樽にたくさんあった2階建ての官舎ではなく、平屋のタイプであったそうだ。
現在の音威子府は、道内でただひとつ、人口が1000人を割り込んでいる自治体である。
東京中心の美術界の現状を憂え、道内最小の村から発信しよう-というアジアプリントアドベンチャーの志は高い。
ただ、市街地を一瞥したかぎりでは、音威子府の現状はさびしい。コンビニや食堂はあるが、人通りはほとんどない。おみやげを買おうと「道の駅」に行ったら、地元産品がようかんしかなく、選ぶ余地がなかった。(国鉄清算事業団の闘争団の開発した商品が手に入るかと期待したのだが)
たまたま扱っていない乾そばなどの特産もあるのだろうが…。
それよりも心が痛んだのは、第二の集落「咲来(さっくる)」地区の過疎化である。
メーンストリートには廃屋がならび、「常盤村農業協同組合支所」の札をかけた古い建物がなんとかもちこたえていた(常盤村が音威子府村に改称したのは1963年)。
唯一あたらしい建物は咲来小学校だったが、この学校は昨年に閉校している。山村留学を受け入れてなんとか存続してきたものの地元の入学者がゼロになったためである。
道内の地方町村の大半は過疎化が進むが、役場のある中心はともかく、町村内の第二、第三の集落は人口減が著しい。
咲来地区は国道からちょっと離れているので、現状を知らない人も多いだろう。
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筬島(おさしま)の橋から見た天塩川。
ゆるやかな流れは、見ていると心がなごむ。
大河の流れといい、北限のソバ畑のおおらかな眺めといい、人口や経済のことばでは語れない魅力がこの村にはあると思う。
わたしたち都会人はどうやったらこういう村を応援していけるだろうか、と考える。
以下、ことし音威子府を訪れ「アジアプリントアドベンチャー」を見た際のエントリへのリンク。
これで、音威子府関係のエントリはおしまいです。
■音威子府・駅のある風景
■音威子府村点描
■公開シンポジウム
■池田緑さんによるマスクイベント
■エコミュージアムおさしまセンター(BIKKYアトリエ3モア)
■おといねっぷ美術工芸高校
■彫刻の館
■音威子府村公民館
■天塩川温泉ギャラリー