朝の間に・・・いろんな墓地を訪ね歩いたが・・・、それらしいお墓は見つからなかった。そこで、自治会長さんが貸してくれた、塩飽史談会の内部資料の、幕府海軍草創期における塩飽水夫・・・を読んでは筆写した・・・。これが実に疲れる作業だった・・・。ページ数では20ページ余りの冊子だが、全てを鉛筆で写し取るというのは・・・実に腕が疲れる仕事だった・・・。
昼食後・・・、魚釣りに来ていた弟の「よっくん」が・・・、「暇やからお墓探しに行こう・・・」というので・・、「なんだかなぁ・・」と思いながら出かけた。
まずは立石の神光寺裏の・・・水主(かこ)小頭の曽根仁作のお墓。ここは・・過去に何回も調べに来たのだが分からないままだった・・。それをよっくんは・・・たちどころに見つけてくれた・・。
その後、茂浦という集落の山手にある正福寺裏山にある墓地で、、、平田源次郎のお墓を探したが、ほどなく・・・「あにき、これやで・・・」という。
「まさか・・・」と思った。自治会長さんと、あれほど探しても分からなかったお墓なのに・・・、いとも簡単に見つけてしまったのだから・・・。
平田源次郎は・・・水主だった。帆を張ったりたたんだり、ロープを締めたり緩めたりする水兵であった・・。法名は「観空禅定門」亡くなった日付などは刻まれていない・・。
あと一人・・・、森寅吉・・・のお墓もここにあるはずだけれど・・・、冬至のこの日は・・・日中が一番に短い日であった。すぐに暗くなって行く竹やぶの中で、二人は・・・残念な思いを胸にしながら墓地を出た・・・。
その夜・・・。横瀬さんがやってきて、筆写を終えた塩飽水夫の資料をお返ししたら、まっさらな・・・幕府海軍草創期における塩飽水夫・・・という、資料そのものを差し出した・・・。<ああ、私のまる2日の努力は一体・・・なんだったのだ・・・>
昼食後・・・、魚釣りに来ていた弟の「よっくん」が・・・、「暇やからお墓探しに行こう・・・」というので・・、「なんだかなぁ・・」と思いながら出かけた。
まずは立石の神光寺裏の・・・水主(かこ)小頭の曽根仁作のお墓。ここは・・過去に何回も調べに来たのだが分からないままだった・・。それをよっくんは・・・たちどころに見つけてくれた・・。
その後、茂浦という集落の山手にある正福寺裏山にある墓地で、、、平田源次郎のお墓を探したが、ほどなく・・・「あにき、これやで・・・」という。
「まさか・・・」と思った。自治会長さんと、あれほど探しても分からなかったお墓なのに・・・、いとも簡単に見つけてしまったのだから・・・。
平田源次郎は・・・水主だった。帆を張ったりたたんだり、ロープを締めたり緩めたりする水兵であった・・。法名は「観空禅定門」亡くなった日付などは刻まれていない・・。
あと一人・・・、森寅吉・・・のお墓もここにあるはずだけれど・・・、冬至のこの日は・・・日中が一番に短い日であった。すぐに暗くなって行く竹やぶの中で、二人は・・・残念な思いを胸にしながら墓地を出た・・・。
その夜・・・。横瀬さんがやってきて、筆写を終えた塩飽水夫の資料をお返ししたら、まっさらな・・・幕府海軍草創期における塩飽水夫・・・という、資料そのものを差し出した・・・。<ああ、私のまる2日の努力は一体・・・なんだったのだ・・・>