まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

若葉冷え 知って安堵の 咳をする

2018年05月08日 | またまた・・やっちゃった・・。

 東かがわ市地方の8日は、南海上の低気圧や前線の影響で、雨が降っていた。気温は16度から18度、湿度は77%から92%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の9日は、気圧の谷や前線の影響で未明まで雨が降るが、高気圧に覆われてくるため昼頃から次第に晴れるらしい。

 

 最近、痴呆症が進んでいるのではないのだろうが、物忘れが多くなった。昨日は全く、気にしていなかったのだが、昨夜になって預金通帳が見えないことに気が付いた。

 

 ものがなくなったとか見えなくなった・・・と気が付いた時点から、急に不安になって大慌てで探すことってあると思うのだ。なければないでもいいのだけれど、「ない」と思うだけで不安になってしまう。

 

 さらに、免許証とかキャッシュカードとかもろもろの証明書とかカード類もない・・・。病室を探しても探す場所はわずかしかない。内緒で停めてある車の中を調べても目的物はない。

 

 これは、先日の島の家のどこかに置き忘れたほかはない・・・。今日は前山出勤の日だが、それどころではない。一応、おへんろ交流サロンに顔出しをして、頼まれていた名札の名簿を預かって、一目散に丸亀港を目指して走った。

 

 8時半に病院を出て、9時過ぎに前山に着いて、折り返して1時間半の工程を走って、丸亀港には10時半。11時10分の高速艇に乗る。まぁ、余裕の工程である。

 

 病院を出て、途中で荷物を開けることはない。島の家までは一直線。ここでしかリュックザックは開かない。ところが室内を見回しても、それらしきものはない。

 

 あれこれと探していると、この座布団の下に私の帽子と白い袋が見える。これだこれだ、これだ・・・。

 

 私の手提げ袋である。この中には貴重品があれこれと・・・。

 

 私の当面の全財産の入った預金通帳も発見。おもわず、やれやれ・・・。あの日はたくさんの人に出会ったし、たくさんの人ともすれ違ったし。でも、座布団の下に隠れていたなら大丈夫。

 

 12時50分発のフェリーボート、しわく丸に乗って帰還。やれやれ・・という気分で東かがわ市の県立病院まで向かう。

 

 丸亀港には13時半。そこから2時間だから15時半には病院到着。

 

 途中、おなじみの銀行に立ち寄って通帳記載。今夜は安心して眠れるだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「眠れない夜をなげく者は多いが 目覚めた朝に感謝する者は少ない」という、町内の善楽寺さんところの掲示板のことばから。毎日、多くのいのちが理由もなく、傷つけられ、奪われ、失われていくことを、新聞やテレビを通して、私たちは知っている。しかし、その苦しみ・悲しみに、 どれだけ自らに肉迫するほどのリアリティーを感じ、こころを震わせているだろうか。薄情なようだが、少なくとも、私はそんなこころは持ち合わせてはいない。私にあるのは「無関心」であって、それはどこまでいっても自らの「痛み」とはならない。そこに立ちはだかり、自他を隔てる、三人称・二人称・一人称という見えない壁を 感じずにはいられない。朝がまたやって来た。この朝を迎えた人間には、今日という一日を、精一杯生き抜く責任があるように思う。そうでなければ、この星のどこかで、朝を迎えることができなった人に対して申し訳ないではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


ツイッター

<script type="text/javascript" src="//platform.twitter.com/widgets.js"></script>