まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

白梅の咲いて重荷を降ろす朝

2021年01月21日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、夜は気圧の谷や湿った空気の影響で次第に曇るらしい。気温は0度から10.9度、湿度は96%から72%、風は1mから2mの東南東の風が少しばかり。明日の22日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、日中は雨が降る見込み。

 

 血圧118/61、脈拍79、体温36.4度、酸素濃度98%、体重62.8Kg、室温17.6度、湿度38%、気圧1028hPa、意識やや清明、尿量やや少なめ。体調に変化はない。

 

 近年は霜の朝も珍しくなったし、吉永小百合の「寒い朝」みたいに「北風ふきぬく寒い朝も~・・」という北風も木枯らしも少なくなったような気がする。

 

 ということで、出掛ける気にもならないので、医療費控除の手続きをやってみた。

 

 でも、10月あたりからの肩こりがいまだに治まらず、右手が特に動かない。だから、何度も元の画面に戻って前に進まない。

 

 何度も何度もやり直しながら、送信完了になった。でも、これをスマホでやったら腕が全く動かなくなってしまうかも・・・と思った。

 

 で、気分転換に歴史民俗資料館に寄ってみた。歴史はまったくわからないが、民俗学には興味がある。ここには、このような生活用具、民俗資料などが雑然と並べられている。

 

 これは、飯篭(いかき)というもので、夏は炊いた飯が腐りやすいため、お櫃(ひつ)を使わず、竹製の飯籠(めしかご)に入れて、井戸の上や軒下など涼しい所に吊るしたもの。もう、「イカキ」という言葉も死語になった。

 

 このスポーツの道具みたいなものは「打ち上げ」というもので、大きな鍋でゆがいたおうどんなどをすくって取り出す道具だった。これも姿を消してしまった道具になった。

 

 これは陶器製の湯たんぽである。金属回収などで金属がなくなると、こうした陶器製の湯たんぽになった。湯たんぽは今もプラスチック製になって遺っている。

 

 これは「足こたつ」というもので、中に炭火を入れて暖を取った。戦後は「電気足温器」や「電気スリッパ」に姿を変えた。

 

これは「船こたつ」とか「安全こたつ」とか呼ばれたもの。縦横自由自在に動かしても、中の火種袋は動かないというもの。「自在こたつ」とも呼ばれたことも。

 

 これは「竿ばかり」というもので重さを量るもの。

 このようにして、分銅の位置を動かせて、竿に刻まれた目盛りで主さを知ったもの。私が子どもの頃は、みんなこれで重さを量っていた。でも小学校には「体重計」が置いてあった。

 

 そんな「竿ばかり」も使われなくなって久しい。だから、我が家の囲炉裏の自在鉤には、この竿秤を流用している。このフックに鉄瓶や鍋をかけるのである。

 

 また、長い竿秤は散歩用のステッキにも使っている。

 

 お昼からは、さぬき市の図書館に行ってきた。この前に借りた本を返却しておいた。

 

 で、今度は「長尾町史」という本を借りてきた。平成の大合併前の「大川郡長尾町」の「町史」である。明日からはお天気が下り坂になるそうな。これでじっくりと大窪寺に関するお話などを調べてみようと思っている。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生に回り道はあっても 近道はない」というもの。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。京都の永観堂さんのことばかも。人生の目的地がどこか・・という疑問もあるけれど、遠回りして気づくならば、それも悪くないし、遠回りするからこそ、気づくことだってあるように思う。「歳をとりすぎた!」「チャンスを逃した!」「今からでは遅い!」「もう手遅れだ!」と言うのは簡単だが、まずは一歩踏み出せば、見える世界が変わるもの。遠回りは、幸せへの近道なのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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