まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

曼殊沙華 恥ずかしいほどの 赤である

2018年09月21日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。気温は21.9度から27.9度、湿度は96%から78%。風は1mから3mの西北西の風が少しばかり・明日の22日は、前線が四国地方を通過する影響で、明け方は雨が降る見込み。午後は高気圧に覆われてくるため晴れるらしい。

 

 今日も湿度79%のせいか、体が重い。体重も67.1Kgとやや重め・・・。それに昨夜から今朝がたにかけてトイレに8回も行ったせいか眠たくてたまらない。私の体なのに、私がコントロールできなくなっている。「制御不能」状態。

 

 町内にある自然公園。1978年、昭和53年の開園だから、もう、40年にもなるからあちらこちらが古びたり壊れたりしている。なかなかにメンテナンスもできていないような公園。

 

 この時期になると、「白い曼殊沙華があるわ、わぁ~珍しい・・」とか、「あれ、黄色い彼岸花がある。突然変異じゃないのか・・」とか、「わぁ。ピンクの彼岸花なんて珍しいじゃないの・・」と大騒ぎする人が増えてくる。

 

 「わぁ・・。ピンクの彼岸花・・・!!」と大はしゃぎするが、これは彼岸花でも曼殊沙華でもない。これは、「ナツズイセン(夏水仙)」というもの。8月に咲くから時期的にも彼岸花ではない。学名: Lycoris squamigera)は、ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草である。 和名は、葉がスイセンに似ていて、花が夏に咲くことから。また、花期に葉がないことから、俗にハダカユリ(裸百合)とも呼ばれる。

 

 「わっ!オレンジの彼岸花・・」と驚く人も多い。これも彼岸花でも曼殊沙華でもない。これは、「キツネノカミソリ」というもの。学名は「リコリス・サンギネア」。キツネノカミソリは本州から九州に生育するヒガンバナ科の植物である。彼岸花と同様に、花が咲くときには葉がない。早春からスイセンに似た葉を展開し、夏草が茂るころには葉が枯れる。その後に花茎を形成し、花を咲かせる。キツネノカミソリはお盆ころに花を咲かせ、なにやらご先祖様と因縁のある植物である。

 

 これは「オオキツネノカミソリ」分類上は、キツネノカミソリの変種とされている。和名の由来は、葉の形を剃刀に見立て、花の色を狐に見立てたものである。ヒガンバナと同じように、花の咲くころには葉はなく、茎が伸びて花だけが咲く。属名の Lycoris はギリシャ神話の海の女神「リコリス(Lycoris)」の名からきている。花の美しさを称えて名づけられた。種小名の sanguinea は「血のように赤い」という意味である。変種名の kiushiana は「九州の」という意味である。

 

 キツネがあればタヌキもある。これは「タヌキノカミソリ」というもの。学名は「リコリス・インカルナタ」。タヌキノカミソリは、中国原産で、 湖北省から雲南省にかけて分布する鱗茎を有する多年草である。8月上~中旬に6~9花をつける長さ40~50㎝の花茎を伸ばす。淡いピンク色の花被片に、濃いピンクの縦ラインが入っている。 花の咲くころには葉は枯れている。面白い名前だが、狐の剃刀(キツネノカミソリ) を意識したネーミングと思われる。

 

 「わぁぁ・・。黄色いまんじゃしゃげ・・・」と驚く方が多い。。これも彼岸花でも曼殊沙華でもない。これは、「ショウキズイセン(鍾馗水仙)」というもの。学名は「リコリス・トラウビー」。10月上旬頃、彼岸花にちょっと遅れて、彼岸花によく似た、黄色いすっきりした花が咲く。(9月から咲くこともある)。花びらはちょっと「しわしわ」で、ぶ厚く幅が広い。 花から伸びるおしべの向きは、花の中央から一方向にまとまって伸びる。

 

 これは、「シロバナマンジュシャゲ」。学名は「リコリス・アルビフローラ」。白花のヒガンバナ(彼岸花)で、ヒガンバナとショウキズイセン(鍾馗水仙)の自然交雑種といわれている。ヒガンバナほど花びらが強く反り返らず、花びらの縁のしわも少なめで、ショウキズイセンは黄色の花でヒガンバナは赤色の花なのに、その交雑種のシロバナマンジュシャゲは白色の花というのが不思議なことである。

 

 「わぁ~、赤い曼殊沙華・・」と驚きはしないか。一般に言う「彼岸花」である。学名は「リコリス・ラジアータ」。仏教で伝説上の天の花。サンスクリット語 majūṣakaの音写。純白で,見る者の悪業を払うといわれ,天人が雨のように降らすという。日本ではヒガンバナと呼ばれ鮮紅色の花を咲かす。

 

 今日の掲示板はこれ。「境遇や環境を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる」という、渡辺和子さんの著書、「置かれた場所で咲きなさい」の中からのことばである。「こんなはずじゃなかった」と思ったこと。あなたは、今日まで生きてきて何回あっただろうか。受験に失敗し不本意な進学をしたこと。目標を持ち、仕事をしていても会社に馴染めない自分。結婚し幸せになれると思ったが、理想とは違う現実。人生は嬉しいことも嫌なこともある。山あり谷ありだ。しかし、人は闇の中で、もがき苦しんでいるとき、自分も周りも見えなくなる。辛く悲しい気持ちは、脳を、身体をすべてを麻痺させる。今回紹介する本は、渡辺和子著「置かれた場所で咲きなさい」というエッセイ集。著者はシスターであり、岡山市にあるノートルダム清心学園の理事長だった。聖書の教えなどを交え、生き方や人生の在り方を説いたこの本は、悩める人々の心の支えになった。160万部のベストセラーである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。



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