まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

南天に感謝の言葉も小声にて

2021年01月16日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で概ね曇り、雨の降っている所があった。夕方からは、高気圧に覆われて晴れてきた。気温は5.5度から13.9度、湿度は94%から52%、風は1mから7mの西の風が一時は強かった。明日の17日のさぬき市地方は、湿った空気や寒気の影響で昼過ぎまで曇るが、夕方からは高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 107/68/79 36.4c-96% 62.6Kg 22.1c-38%-1016hPa 体調に変化はない。

 

 昨年の今日は香川医大付属病院のCCU(心臓病患者のみを収容し治療する施設(cardiac(またはcoronary) care unit。略称CCU)にいた。病状は好転して元気になった頃。

 

 でも、まだ自由に歩ける段階にはなかった。この頃から肺炎だ肺炎だ、新型の肺炎だとにわかにニュースになりだした頃。まだ、病院内でもマスクなしでも自由に移動することも可能だった。

 

 今日も天気がいいからと旧へんろ道探しの続きをやってみた。この頃から雨が降り出してきた。昔の前山村と奥山村の国ざかいの「額峠」に、この65丁石がある。現在のさぬき市前山とさぬき市多和の境目である。

 

 ここから川沿いに山肌に沿ってへんろ道が続いていた。お遍路さんが踏み固めてできた道である。

 

 今は護岸工事ができているのだが、昔は岩肌にしがみつくようにして歩いたものらしい。これが65丁石から63丁石まで続いている。そこからは現在の国道に着いたり離れたりしながら50丁石まで歩いたもの。それから先はわからない。

 

 話はずっと飛んで、38丁石から36丁石までも定かにはわからないが、この山肌のくぼんだところが昔の遍路道。旧国道の開削工事でへんろ道は削り取られてしまっている。

 

 36丁石から35丁石までは、このような山肌を登っていく。この右手も旧国道の開削工事で大きく削り取られている。

 

 ここは新国道の開削工事で山が削り取られている。その先に34丁石がある。

 

 で、34丁、33丁ときて、ここに出てくる。32丁、31丁は不明。で、昨日の30丁石に繋がってくる。

 

 今日の調査区館は赤の区間で、65丁石の額峠から30丁石のへんろ休憩所までの約3.8Km。そのうち、全く不明区間が緑色の50丁石の旧多和小学校前から38丁石の新国道377号線の地蔵堂前まで。このあたりは遍路道の痕跡すら残っていない。おそらく川沿いに歩いたものだと思われるが痕跡がない。

 

 それを今日も図面に落としてみた。この50丁から右側がわからない。

 

 今日は雨の中を歩いたもので身体が冷えた。そこであたたかい鍋焼きうどんにしてみた。

 

 今日の掲示板はこれ。「この花散らすも雨と風 この花咲かすも雨と風 雨と風とがなかりせば 花も散るまじ咲きもせじ」という与論小唄の歌詞らしい。雨と風によって、無残にも花は散るけれど、この雨と風がなかったら、花が開くのを見ることもないのである。花にしてみれば、なんと無情の雨か、憎い風かと怨(うら)みもしようが、またそのおかげで多くの人々から愛(め)でられ、誉(ほ)めそやされる、花として誇らしく咲くことができるのではないか、と受け取り方の妙味を唄った歌であろうか。ある人が吉野山にお花見に出かけた。あまりの花の見事さについつい見とれて道に迷い、途方に暮れて一夜の宿を求めてさまよううち、一軒の民家を見つけた。これ幸いと戸を叩くと、家の主人が細めに戸を開けて、「お気の毒ですが、お泊めするわけにはまいりません。前に旅人を泊めたところ、夜中にその旅人が強盗に居直って大変な被害を受けました。それ以来、この村では、どなたであれ一切他人を泊めないことに申し合わせをしました。まことにお気の毒ではございますが、外の軒下なら結構ですからお使いください。夜露ぐらいはしのげるでしょう。莚(むしろ)なら裏にございます」と、中に入れてくれない。夜は更けてくる。花冷えで四月とはいえ夜は寒い。その上ひもじさも加わって、何とも情けない気持ちで軒下でむしろをかぶったが、どうしても寝つかれない。このまま一晩過ごすしかあるまいと、ふと空を見上げると、折しも月がおぼろに夜桜の上にかかって何ともいえぬ風情である。この感動を忘れぬうちにと一首書きとどめた。「宿かさぬ  人のつらさを情けにて  おぼろ月夜の花の下臥(したぶし)」(もし家の中へ入れていただいて一夜の宿りをすれば、このおぼろ月夜の花の宴には会うことができなかったであろう。今の今まで、宿を貸してくれない人の心の薄情さを怨んでいたが、そのお蔭でこんな素晴らしい月と花との出逢いがあったのだと、むしろ家の主に感謝の気持ちで一杯になったのだよ)との、いわば転迷開悟の境地であろうか。何事によらず、マイナス指向は人を絶望の淵に誘(いざな)うが、プラス指向で前向きに、善知識に捉(とら)えていくならば、人は希望の丘に立つことができるのだという教えであろうか。花の命は短く「三日見ぬ間の桜かな」で愛惜(あいせき)のうちに花は散っていく。いや愛惜というのも人間のはからいで、花は無心に咲いて無心に散っていく。無始無終のいのちの中で、花は「永遠の今」を無心に精一杯燃焼させている。一瞬、一瞬に全生命を生き抜いている。咲くべくして咲き、散るべくして散り、しかも次代を背負うタネを結ぶべくして結んでいく。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


南天に後生後生の声が降る

2021年01月15日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は4.0度から13.9度、湿度は94%から64%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の16日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で午前中は概ね曇り、朝から昼前にかけて雨の降る所がある見込みらしい。午後は、次第に冬型の気圧配置となるため晴れるらしい。

 

 110/57/79 36.3c-99% 63.2Kg 19.4c-38%-1020hPa 体調に変化はない。

  

 今日は風もなくて暖かそうなので「現地に行こう」「現物に触ろう」ということで、大窪寺周辺の遍路道調査に出掛けてみた。

 

 今日は30丁石から1丁石までを調べてみた。この標識の「国境」は”くにざかい”と読んで”こっきょう”とは読まない。阿波と讃岐の国境近くにある標識である。

 

 こういう川沿いの道を歩いてきて、ここから先は川の中を右に行ったり左に行ったりして大窪寺に向かったところ。

 

 こういう川の中の水のない場所を選びながら大窪寺に向かったという。だから、途中で足を滑られてケガをしたり命を落とす遍路もいたという。そういう過酷な旅だったという。歩き疲れて足を滑られて落命したお遍路のお墓も多い場所の一つであったという。

 

 この杉木立の左は川である。これが昔の遍路道だという。特に歩きやすい場所で評判もいいへんろ道である。16丁石、15丁石があるところ。

 

 へんろ道にはこうした標識も設置されている。

 

 この八丁石というのは現在の国道377号線沿いに移転されている。大窪寺方面へは旧のへんろ道が続いている。

 

 で、三丁石まで戻って来た。二丁石は仁王門や大師堂建設のために、ミニ四国の石仏群の中に移転されている。

 

 そして最期の「一丁石」である。しかしのかかし、この一丁石も移転されたようで、山門に至る参道はすぐそこにある。あまりにも近いなぁと思うばかりである。でも、遍路道研究家の先生たちは、そのことに全く触れない。いつ、誰が建てたかというお話ばかりになる。

 

 この修行大師像は四国最大かと調べてみたが、そのような情報はなかった。これよりも大きな修行大師像がほかにもあるのだろうか。

 

 今日の大窪寺。おまいりの人がちらほらと。手水場の氷もほぼ溶けていた。

 

 で、調べてきた旧へんろ道と、その図上に移転される前の道しるべ石を推定で置いてみた。こうしてみると、通らなくなった旧へんろ道と同じような位置に、国道377号線沿いに丁石が移転されていることがわかる。あくまで推定である。遍路道も時代によって変わっているし、実際に測量をした訳でもないので。

 

 今日の掲示板はこれ。「「私は正しい」すべての争いの根は ここにある」というもの。最近、いろんな出来事に対して、多くの人が、自分は正しいと信じて、SNSやツィッターで発信をし、一生懸命に行動されてるのを目にする。もちろん、正しいと信じる気持ちはとても大切だし、それを否定するつもりは毛頭ないが、ただ、どんなにそれが本当に正しいことだったとしても、その正しいことを追求するために、あるいは、守るために、それと反することを悪と決めつけてしまったとき、その正しかったはずのことが、今度は逆に、悪というものに転じてしまうことだってあると思うのだ。そして、そのことの、とても怖いところは、その当事者の人たちは、そのことに、なかなか気づかないということ。気がついたときは、取り返しがつかない(と思えるような)状況になっていることが、少なくないのでは、と思えてならない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


寒椿逃げも隠れもせずに咲く

2021年01月14日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は3.0度から13.4度、三月中旬の気温だったとか。湿度は78%から58%、風は1mから2mの北西の風がわずかばかり。明日の15日のさぬき市地方は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 122/65/81 36.8c-98% 62.6Kg 19.1c-37%-1022hPa 体調に変化はない。肩こりは相変わらず。

 

 今朝も大霜の朝になった。日中は春のような日差しになると聞いている。

 

 この大窪寺周辺のみちしるべ石(丁石)の位置がおかしいとは前々から思っていた。昔の「一丁(109m)」ごとに立てられていた筈のみちしるべがでたらめになっている。

 

 この「丁石」というのは、昔の遍路道沿いに立っていた筈である。みんなが通る道筋に、「大窪寺まではあと何丁ですよ」と教えていたものだと聞いている。それに、遍路道が国指定になるというので、へんろ道の整備も行われている。

 

 一昨年だかに丁石を調べて歩いた記録を引っ張り出してみたが、このときには「へんろ道」は担当外で眼中になかったのだ。「大窪寺班」と同様に「遍路道班」という別のガイドグループがあるからだ。

 

 だとしたら、古い遍路道沿を探してみようと思い立った。で、Google Map とかを利用して基礎データを並べてみた。

 

 航空写真のデータも引き出しておいた。でも、どうにも落ち着かない。

 

 そこで、さぬき市図書館寒川分館に行ってみた。久しぶりにここに来た感じ。私の寄贈した本もきれいに整理して保管されていた。

 

 で、こういう本を借りてきた。もう何度も借りたことのある本である。前には石造物や記念碑、遍路墓や丁石の調査のためだったが、今度は、へんろ道そのものの勉強のためである。

 

 で、へんろ道の測量図をスキャナーで読み込んで印刷し、それをつないでみた。

 

 こうすれば、今の地形や道路がはっきりとわかる。その上に、昨日、調べてきた「旧へんろ道」を書き込もうと考えている。その旧へんろ道場に、移転されてしまったみちしるべ石の丁石を置いてみようとしているわけだ。いくらかの丁石は旧そのままの位置にあることがわかっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「できない理由を探すな」という元ヤクルトスワローズ監督だった真中満さんのことばから。昨日の民生委員の研修会の時、「できないできないと言わずに、できる方法を考えてください」と言われた。昔のお役所は「できません」「やれません」というのが役人だったような気がするが、最近は市役所も変わったものだと思いながらの作業だったが、行動しない人に見られる特徴の1つ。それが「できない理由探し」である。「お金がないからできない」「時間がないからできない」「人が足りないからできない」「タイミングが悪いからできない」あげくには「運がないからできない」とまで言い始めてしまう。行動しない人は、何かとできない理由を探し出し、行動できない自分を正当化させようとするもの。できない理由を探しているかぎり、いつまで経っても行動はできない。それでは物事が思うように進まなくなり、人生が停滞してしまう。だったら、できることから始めて見るのがいい。何からでもやってみればいい。そうすればどこかに突破口があるはずだ。できない理由を探すのではなく、できる方法を探すことが先決問題だ。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


蝋梅は光透かして手のひらに

2021年01月13日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は1.5度から10.2度、湿度は78%から56%、風は1mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の14日のさぬき市地方は、昼前までは気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎからは高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 100/53/79 36.5c-97% 61.7Kg 18.4c-37%-1018hPa 体調に変化はない。肩こりは相変わらずで耳が詰まる感じ。耳鼻科では耳掃除くらいなものだし、どこに相談すればいいものやら。

 

 今朝は霜で白くなっていたが、すぐにはかなく霜は消えた。

 

 昨年秋から話題になっている「大窪寺道」が国指定に追加されるという話だったが、これは「遍路道班」の担当だからだと気にもかけずにいたのだが、冬の間にここを一度歩いてみたいものだと資料集めにかかってみた。

 

 一応、養成講座の時にこの遍路道は歩いたことがある。基礎講座だった。それを昨年の秋に整備したというので気になっているところ。今日は概略を車で走ってみた。

 

 で、雪の大窪寺ものぞいてみた。相変わらず老人夫婦がお参りに来ているくらい。お遍路さんらしい姿は見かけない。

 

 手水場(ちょうずば)の氷はこんなもの。ここの寒さはこんなものじゃない。

 

 一昨年(2018)の2月には、こんなふうになっていた。

 

 もう、こうなると何が何だかわからなくなっている。ここはそれほどに冷えるのだ。

 

 納経所前の手水場もこの通り。老夫婦が手を洗おうとしてあきらめていた。大相撲の力水みたいにまねごとだけで済ませたみたい。

 

 明日が空き缶回収日だから、空き缶を潰して圧縮して回収場に運んでおいた。昨年の缶ビールの量とは格段の違いで少なくなった。やはり面倒だけれども圧縮したほうが良さそうだ。

 

 今日は民児協の定例会。まずはブロック別研修会ということでお勉強からスタートした。

 

 今日は市の危機管理室から、「災害に備える民生委員・児童委員活動に関する指針」ということで1時間の講義があった。

 

 その後、いつもの定例会になった。こちらはラバースタンプ会議。ハンコで押したようないつもの議題に話題になった。

 

 とくに話題になるような問題もない。私が一年間の会計報告をしたくらいなものだ。

 

 ま、定例会だから集まるみたいなことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「今日は私に残された人生の最初の日である」というアメリカの格言から。映画「アメリカン・ビューティー」でも使われた言葉で、米国の薬物中毒患者救済機関の設立者、チャールズ・ディードリッヒの言葉だという。人は常に死に向かって生きていて、人生の残りは減っていく一方で増えることは決してない。それでも、その残りいくばくか、自分自身には知る術のない残りの時間だったとしても、今日という日がそのスタートなのだ。どれくらいあるのかわからないと嘆くよりも、今日からすべてが新しい始まるんだと思える言葉である。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


望むことまた一つ増え春の風

2021年01月12日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、低気圧や寒気の影響で概ね曇っていたが、午後からは晴れ間も出てきた。朝方はみぞれだった。気温は1度から7.8度、湿度は92%から60%、風は1mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の13日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇る見込み。

 

 血圧113/54、脈拍79、体温36.2度、酸素濃度99%、体重62.6Kg、室温17.1度、湿度36%、気圧1016hPa、意識やや清明、尿量普通。

 

 今日は奥方が”早出”だということで、懐中電灯を持って寝て、夜中に何度も起きては雪が降らないかを心配していたようだったが、今朝はみぞれになったし、午前中は雨になっていた。

 

 今日は連休明けということで、先日の「山の神さん」のお賽銭を、自治会会計に入金するためにJAさんにやってきた。昔の「農協さん」である。

 

 農協さんのこうした場所は、少し前には農家の人たちの集会場みたいになっていて、情報交換や井戸端会議をやっていたものだが、近年はそういう人たちも減って、さらに感染症対策もあってか、人影はまばら。

 

 で、お賽銭の「252円」を入金して通帳記載してもらった。わずか252円だけれども、地域の公金だからきちんと処理しておかねばならぬ。なんとなくむなしさとかわびしさは感じるけれど。

 

 で、今日は久々の歯医者さんである。歯茎が腫れて食事を食べることができなくなって三ヶ月あまり。奥方がやいのやいのと言うし、さすがに我慢できなくなって予約の電話を入れたのだった。

 

 私的には、パソコンやプラモデル造りがこたえているのだろうから、やがて落ち着くはずだしとのんきに構えていたし、耳が詰まるのも肩こりのせいだと落ち着いていたのだが、いくらしても肩こりは治まらないし、歯茎の腫れも引いてはくれない。

 

 で、奥方がやかましく言うものだからと、歯医者さんにやってきたというわけだ。歯医者さんに来ても、歯医者さんが肩こりを治してくれる訳でもあるまいし・・と来たのだが、それは餅屋は餅屋で、入れ歯を調整して痛み無くものを食べられるようになった。さすがやなぁと感心した。でも、それで肩こりが治った訳ではない。

 

 で、さすが歯医者さんだなぁと思ったのは、新しく入れ歯を作り直すというのである。この前には、「もう、私の命は永くないですから、このままでいいです」とお断りしたのだが、「命の尽きるまで、おいしく食事をしたほうがいいでしょう」と言うのだからたまらない。仕方なく型をとってもらった。ここでお断りしたら、またしても奥方に叱られる・・・。

 

 で、帰ってきたら14時を過ぎていた。これから昼食を食べるのもなんだかなぁということで、今日は朝昼抜きになった。ダイエットとかの問題ではなくして単に邪魔くさくなっただけの話である。

 

 で、自治会の会計帳簿や、私の会計帳簿の整理なんぞをしていたら、ピンポーンとドアホンのチャイムがなった。

 

 例の横浜の皆川さんが買ったという、「高山みなこ」さん推薦の本が届いた。内容はともかく、この帯にある「江戸東京における勝海舟の史跡を徹底網羅!!」を「さぬき市大窪寺における弘法大師空海の史跡を徹底網羅!!」。「もしあの世とあの世を往復できるタイムマシンがあるなら、私はこの本を持って弘法大師空海に会いに行きたい。」と。「弘法大師空海とあかの他人の木村暁光が推薦する」などと・・・(笑)。

 

 今日の掲示板はこれ。「何もしないで怒られるより何かして怒られたほうがいい。批判を恐れて無難に過ごすよりも挑戦して怒られたほうがずっといい」という十二代目市川團十郎さんの言葉からである。いい子になりたがる自分と、いい子をやめたがる自分がいて、確実に言えることは、いい子な自分なんて超つまらないということだ。そんなことは誰もが感じていることで、本当は誰もがもっと「自分らしく」生きたいと思っている。しかしのかかし、何かが「自分を出す」ことに恐怖を覚える。その元凶は何か。それが「恐れ」だ。他人にどう思われるのかを恐れる気持ちと、自分にはそんなことはできっこないと感じる不安だ。「他人の視線」を恐れる気持ちと、「自分には無理だ」と最初から諦めてしまう気持ちが邪魔をして、無難な道を選ぶように自らを動かそうとする。結果、いつまでも「自分を出す」こととは無縁の人生を送り続けることになり、死ぬ間際になって「自分の人生は何だったのだろうか」などと反省し悔やんだところで、もう、どうにもならないのだ。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


冬戯れてまばたきもせぬ仁王かな

2021年01月11日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は0度から7度、湿度は72%から62%、風は3mから1mの西北西の風が少しばかり。明日の12日のさぬき市地方は、低気圧や寒気の影響で曇り、明け方は雪が降る見込みらしい。

 

 113/65/79 36.1c-99% 62.6Kg 17.7c-35%-1028hPa 体調に変化はない。

 

 今日は奥方がお休みだもので、私も7時過ぎまで寝てしまっていた。隣の部屋で寝ているものを物音を立てて起こすのもかわいそうだしと、じっと我慢で寝ていたものだった。

 

 相変わらずのデスクワーク。バイタルサインは日本語で「生命(vital)の兆候(sign)」と訳され、人間の生命活動における重要な指標である。医療福祉の現場においては「バイタル」と略されることもある。主に「呼吸」「体温」「血圧」「脈拍」の4項目を基本とするが、救急医療現場や集中治療室などではさらに「意識レベル」「尿量」の2つを含めた6項目をバイタルサインと称することもある。

 

 最近は体重も落ち着いてきていて、特に問題はない。

 

 でも、こんなことばかりやっていると、ますます肩こりがひどくなってきて耳が詰まってしまうようで気分が悪い。でも、夏場には同じようなことをやっていてもなんともなかったのに・・・。

 

 そこで気分転換にドライブに出た。国道377号を西に進んでいるところ。間もなく東かがわ市五名からさぬき市多和兼割に抜けるところ。

 

 で、付いたところは大窪寺。これは「手水場(ちょうずば)」で手や口を洗うところだが、ここには「こころを洗え」と書いてある。

 

 ここは毎年、この時期になると、こんな風になる。

 

 境内もうっすらと雪化粧。さすがにお遍路さんの姿はない。

 

 納経所前の手水場もご覧の通り。

 

 これは水掛地蔵の水場であるが、ここには「宝暦十辰年十月」と刻まれているが、江戸時代中期の寄進になるもの。このあたりでは古い方の石造物である。

 

 納経所の正面に、こんな「歌」があった。「八十(やそ)あまり 寺をめぐりて大窪寺 このまま大師に帰依しまつらむ」詠み人は「覚次」であろうか。”お大師さんに帰依しまつる”から「南無大師遍照金剛」とお唱えするんだなぁと眺めていたが、では、お大師さんは何に帰依していたのだろうかと、ふと、考えた。空海さんが「南無大師遍照金剛」と称えた筈はない。

 

 この忍者のような指をしているのが「大日如来」である。真言宗系のお仏壇の中央におまつりされている如来さんである。宇宙全体を象徴しているほとけさまらしい。空海さんが、この大日如来に帰依していたかというと、そうでもない。

 

 実は、大日如来の先生が「阿弥陀如来」であって、空海さんは、この阿弥陀如来に帰依していたのである。それだから、先日の「空海の こころのうちに咲く花は みだよりほかに知る人はなし」という歌が詠まれているのである。自力修行ができる人は大日如来に任せ、自力修行ができない人は阿弥陀如来にお任せしたらしい。そういう説もあるらしい。

 

 この石仏群は、納経所から大師堂に向かう山側にある「ミニ四国霊場」の本尊仏で、裏山にあったものが大師堂建設の時に、ここに移されたものだが、その中に一つだけ異質なものが混じっている。これが「二丁石」と呼ばれる「みちしるべ」の石仏である。「大窪寺まであと二丁(218m)ですよ」という石仏である。どういう経緯で、ここに運ばれてきたものだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「踏まれても根強くしのべ福寿草 やがて花咲く春は来るなり」というもの。誰の歌かは不詳で、道歌だとされている。他人の無礼や侮辱に対して、すぐに怒りを爆発させて己を忘れるのは、小丈夫(しょうじょうぶ)の成せる技である。小丈夫の前途には、決して花咲く春はない。”踏まれも踏まれても、耐え忍んで待っていると、やがてには花も咲く春が来るのだよ”というているのである。また、歌自体にも様々なバリエーションが見受けられる。
(例)踏まれても根強く生きよ道芝のやがて花咲く春も来るらん
   踏まれても根強くしのべ道芝のやがて花咲く春もくるらん
   踏まれても根強く生きよ道芝のやがて花咲く春もくるらん
   踏まるとも根強く生きる道草のやがて花咲く春も来るらん
   踏まれても根強く忍べ道芝のやがて花咲く春は来ぬべし     etc

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


優しさをそのままにして寒椿

2021年01月10日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、寒気や湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は0度から5度、湿度は78%から52%、風は7mから2mの西の風が少しばかり。夜遅くは雪の降る所がある見込みらしい。明日の11日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、朝晩は雪の降る所がある見込み。

 

 114/63/89 36.1c-98% 61.6Kg 12.3c-33%-1024hPa 体調に変化はない。最近、なぜか体重が減っているが心配はしていない。相変わらず肩こりは治らない。

 

 今日は自治会集落の「出事(でごと)」で、山の神さんのおまつり日である。猟師や木樵、炭焼きなどの山民にとっての山の神は、自分たちの仕事の場である山を守護する神として大切にしてきたし、煮炊きをするためのたきぎやを取るための山の神でもあった。

 

 このあたりの林業においては、オオヤマツミが林業神としての山の神として崇められている。かつての式や決め事としては山の神の祭日には入山を忌み、伐採を始める前には木を1本切り倒して伐り株に酒や塩を供え、山の神に無事を祈る。時代や場所にもよるが、伐採を「サキヤマ」、祈りの式を「ヤマハジメ」といった。ここには、拝殿があったらしいが雪のために倒壊して以来、再建はされていない。

 

 みんなが落葉を掃き集めてさっぱりとしている間に、私は本殿と脇殿に注連縄を張り替え、紙垂(しで)を取り付けておく。御幣も本殿内にお納めした。

 

 注連縄石にも注連縄を張り、のぼりを立てる。これを、朝の7時半から初めて8時過ぎに終わる。

 

 この集落では、「1月12日」には山林での作業を一切行わない林業者の慣習が残っていて、森林組合などではこの日に祈願祭や忘年会、新年会を催すなど、祭の日の名残りが見られたが、近年は、それに近い日曜日に例祭を行っている。

 

 山の神は女神であり、恐ろしいものの代表的存在であったことから、中世以降、口やかましい妻の呼称の一つとして「山の神」が用いられるようになったという話を先輩から聞いた。

 

 戦後の昭和40年代になると、台所改善や電化、プロパンガス化が進んで、山からの木材の調達がいらなくなると、こうした木小屋や木納屋というものも姿を消したし、山林の荒廃も進んでまつたけの産地も消滅した。私たちの「山の神」神事も姿を大きく変えて、今は、掃除をするだけになってしまった。

 

 帰宅後は相も変わらずにデスクワーク。1月分、2月分のカレンダーの記入や予定の策定、

  

 2020年の家計簿整理などをやっていたが、どこかで計算式を間違えているらしくて、収入と支出の数値が合わない・・・。

 

 いろいろと形式を代えて集計し直すのだが、どうにも計算が合わない・・・。ま、計算通りには行かないのが人生だと開き直っておこうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「有漏(うろ)路より無漏(むろ)路へ帰る一休み 雨降らば降れ 風吹かば吹け」という一休禅師の言葉から。「有漏路」とは、迷いと煩悩(ぼんのう)に満ちた現世のこと。「無漏路」とは雑念のない悟りの世界、つまり極楽のことである。歌の意味を解釈すれば、「現世で過ごす時間など、あの世から来てあの世へ帰るまでの一休みの時間でしかない。だったら、雨が降ろうが、風が吹こうが大したことではない」この歌を聞いた師匠から、彼は「一休」という名をもらったと伝えられている。この一休禅師。悟りを開いたのは28歳のときだった。それまで、いくら修行に励んでも、どうしても悟りにたどりつけなかった。ところが・・・、28歳のある晩のこと。1羽のカラスの鳴き声を聞いた瞬間、悟りを開くことができたというのだった。ホンマウソか知らんけど・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


冬晴れて隣の町に誘われる

2021年01月09日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は、強い冬型の気圧配置となっているため山沿いを中心に曇り、雪の降っている所があった。気温は-1.0度から2.9度、湿度は74%から58%、風は3mから8mの西の風が一時は強かった。明日の10日のさぬき市地方は、引き続き冬型の気圧配置となるため、概ね曇り、明け方まで雪の降る所があるらしい。

 

 118/61/78 36.3c-99% 63.4Kg 16.8c-37%-1017hPa 体調に変化はない。相変わらず肩こりと思われる耳の変調や歯茎の腫れは治まらない。

 

 富山の1m越えの大雪に比べれば讃岐の雪はかわいいものだ。南国四国の讃岐にだって雪は一応は降るのだ。でも、大窪寺あたりでの積雪はそれよりももっと多いはず。さすがにノーマルタイヤでは出掛ける勇気はない。

 

 今日の香川県の天気予報である。でも、-2.7度くらいにはなったんだろうか。畑のタンクの氷はたたいてもびくともしなかった。

 

 奥方はものともせずに出掛けて行ったが、県道まで出れば雪などはない。それにしても、ようやくに雪が降ったのか・・と思うことだった。確かに地球の温暖化というものが実感できるような気がした。

 

 で、毎日のバイタルサインの記帳。血圧、脈拍、体温、酸素飽和度、体重、気圧、室内温度、室内湿度などを測定して記入する。BMIは自動計算。

 

 こちらが日々管理表。血圧、脈拍、体温、酸素濃度、体重と、その日の体調、天候にその日の出来事、やったことなどを記入する。この二種類を担当の内科ドクターに提出する。これで私の体調や生活が丸わかりになる。

 

 こちらが10年日記。縦軸が年月日、横軸が西暦年になっている。黄色い部分は入院中。横軸を見れば、昨年の今日は何をやっていたか、三年前の今日は何をやっていたかがわかる仕組みである。

 

 これが明日の天気予報。明日は少し暖かくなりそう。明日の7時半から集落の山の神神社の例祭日。参道や境内の落葉を掃き掃除して、注連縄を張り、御幣をお供えして、一礼二拍手一礼しておしまい。

 

 今日のお昼は天ぷらうどん。富山県の氷見うどん細麺をゆがいて、昨日の残りの牡蠣フライや天ぷらを載せただけのもの。別にダイエットをやってる訳ではないが、最近はそんなに多くは食べられない。

 

 お昼からは少しばかりのお散歩。庄松さんは若い頃におかみそりを受けた時、ご門主さまの赤い衣を引っ張って叱られたそうだが、この時に法名はもらわなかったのだろうか。のちに、「釋 正真」という法名を頂いたことになっている。この「正真(しょうしん)」は「しょうま」と読めるということになっているが、最初の法名は何だったんだろうかなぁと思うばかりである。

 

 ここは、今の勝覚寺の前身の小砂坊があった所と聞いているのだが、調べてみてもそのような証拠はない。坂西(徳島県)城主であった「赤澤信濃守」が中富川の合戦において討ち死にした後、赤澤信濃守の一子、正本法師が菩提を弔うため、大坂天満興正寺で得度し、天正年間に丹生の小砂に勝覚寺を開基した・・・と寺歴にはある。

 

 これは江戸時代の讃岐国名勝圖絵にある勝覚寺である。小砂坊から三本松村(現:東かがわ市三本松)に移転してきたときには大きなお寺になっていたことがわかる。

 

 庄松さんと縁のあった方々で話し合い、みんなで一緒に庄松さんのお墓を作ろうということになった。そして友人の一人が庄松さんのもとへ行き、
「庄松さんや、あなたがいのちを終えた時に、みんなで立派なお墓を作ろうということになったから安心しておくれ」と言うと、庄松さんは、「石の下には居らぬぞ」と返事をしたという。それなのに、なんでお墓があるのかと大勢の人が不審に思うのだが、これは「報恩感謝」の石碑だということになっている。

 

 今日の掲示板も新年らしくはないが、これ。「老いてこそ人生 ていねいに生きる ゆっくり生きる やわらかく生きる」というもの。その後に「尊いものを仰ぐ 美しいものに感動」の言葉・・・。つながっているのだろうか・・・。 調べて行くと、「老いてこそ人生 ていねいに生きる ゆっくり生きる やわらかく生きる 仏さまにまかせて  ありがとうございます もったいない おかげさま 」と言う言葉もあった。でも、最近は「やわらかく生きる」ができない私でもある。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


誰も来ず外出自粛の黄水仙

2021年01月08日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は、強い冬型の気圧配置となっているが、概ね晴れていた。気温は-1.5度から1.2度、湿度は76%から54%、風は7mから4mの西の風が一時は強かった。明日の9日のさぬき市地方は、強い冬型の気圧配置や気圧の谷の影響で概ね曇り、朝まで雪の降る所がある見込み。

 

 113/63/77 36.2c-95% 62.4Kg 21.2c-36%-1017hPa 体調に変化はない。四国でも氷点下になって降雪の怖れがある・・・とかと言うていたのに、雪の「ゆ」の字もなくて冬晴れの朝になった。遠くに見える山並みにも雪なんぞない。

 

 ただ、気温は低いようで分厚い氷が見えたが、それで喜ぶようなお年頃でもない。肺炎にはなりたくないので屋外に出ようとも思わない。

 

 2011年の冬だったかに、NHKのラジオカー「80ちゃん号」の公開放送がさぬき市前山であった。それをたまたま見ていて、さぬき市の観光ガイドのことを知った。「観光ガイドもいいかなぁ」と思ったものだった。

 

 その二年後の2013年の夏から、観光ガイドの養成講座を受講した。六ヶ月で七回の講義があって、全課程を受講して観光ガイドになった。

 

 この観光ガイドはさぬき市の「上がり三ヶ寺」と言われる「志度寺」「長尾寺」「大窪寺」をメインに観光ガイドするものだった。

 

 で、ガイドデビューしたのが、2014年の11月3日。大窪寺のガイドからだった。このときのテーマが「知られざる大窪寺」だった。内容は全く覚えていない。でも、このことから大窪寺ガイドに深く関わることになる。

 

 この人が私の先生みたいなものだった。だから、私たちも、このようなスタイルでガイドしている。

 

 これが江戸時代の大窪寺らしい。詳しい年代はわからない。屋根が茅葺きの建物が書かれている。

 

 これも江戸時代の者だと思われるが二天門という山門が見えない。こちらが古いものだろうか。二天門は元禄時代のものだとされているから山門がないのが不思議だ。

 

 これも江戸時代後期の讃岐国名勝圖絵にある大窪寺だが、今の大窪寺の原型が見てとれる。

 

 これが現在の大窪寺の建物図である。手洗いの位置がまだ古いままになっている。こういう昔の大窪寺や古い資料を探しながら、「知られざる大窪寺」を探しているのである。

 

 ということで、今日は表紙とか、

 

 まえがき、あとがき、奥書などを作っていた。ここにきて、ようやく冊子の形ができあがってきた。ニュースでは「1都3県緊急事態宣言」の話題ばかりで、外出自粛が強い口調で語られている。あれにあやかったわけではないが、今日も一日「ステイホーム」。ますます肩こりがひどくなって首が回らなくなってきたし、歯茎の腫れもひどくなっている。歯医者の予約はしたけれど、歯医者さんが肩こりを治してくれる訳でもないだろうし。

 

 今日の掲示板はこれ。「「寒いね」と話しかければ「寒いね」とこたえる人のいるあたたかさ」という俵万智さんの短歌である。人生、それなりに長い年月を生きていると、どうでもいいことに有り難さを感じたり、当たり前のことに優しさを感じたり、求めてもいなかったことに恋焦がれたりするものである。寒い時に、「寒いね。」って同意してくれる人がいることって、とても素敵なことだし、有り難いことだとおもう。どんなささいなことでも、同意して、共感して、肯定してくれる人がそばにいるっていうのは、ありがたいことなぁと思う今日、このごろである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


粉雪の舞う枯れ草に遊ぶ猿

2021年01月07日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で雪や雨が降っていた。気温は3.5度からマイナス1.8度、湿度は74%から58%、風は2mから10mの西の風が一時は強かった。昼過ぎからは曇りとなる見込みで、夜のはじめ頃まで風雪や大雪、高波に注意するよう呼びかけている。明日の8日のさぬき市地方は、引き続き強い冬型の気圧配置となるため、概ね曇るらしい。

 

 111/58/78 36.3c-97% 63.4Kg 21.8c-39%-1014hPa 体調に変化はない。

 

 昨年の今日、香川医大付属病院のICUからCCUという個室に移った日。生死の境をさまよって、ようやくに「生存」できるということで、この部屋に移ってきた。ここで、三年前にお世話になった「ビーバーみずほ」という看護師が出迎えてくれた時には驚いた。私の人生には「まさか」が多すぎると思った日。

 

 当時は、このような化け物みたいな機械が両腕、鼻、耳、胸、首に接続されていて人造人間みたいなものだった。あれから一年が過ぎたのか・・・。

 

 それはさておき、先日に調べた大窪寺の忠魂塔のことなどを、「あなたの知らない大窪寺:あ、そうだったんな、お大師さん」というシリーズに書き加える作業をやっていた。

 

 それとか、天台宗の慈鎮和尚が高野山の空海さんに会いに行って、即身仏になられた空海さんに出会えた感激を詠んだ「ありがたや 高野の山の岩かげに 大師は今もおはしまします」という歌の紹介などもやっておいた。

 

 時間が来たので、JAさんへ行ってきて、自治会会計の通帳記載をやってきた。これを元にして年度総会用の資料を作っておくのだが、

 

 古い自治会資料の決算報告書は難しい。関数があちらこちらに埋め込まれているので、どこからどの数字が飛んでくるのか混乱してしまう。

 

 そこで、昨年の決算報告書をスキャナーで読み込んだのだが、なかなかにこれがクロスワードパズルみたいで、修正しながら整理をしたのだが、なかなかに進まない。あっさりと、最初から自分流の決算報告書を作ったほうが早かったかしらん・・・。

 

 でも、小さなことからコツコツと。できることからボチボチと。

 

 こういうことをしていたら、いつまでたっても肩こりがなおらない。だから耳が聞こえなくなるのも、歯茎が腫れるのも治らない・・・。

 

 夕方に少しばかり雪がちらついたけれど、チラついたというだけ。奥方が心配して「わたし、帰れるの?」と何度も電話してくるが、少しも心配はない。明日の朝が問題だけれど、明日は奥方はお休みらしいから安心だ。

 

 今日の掲示板はこれ。。「先のことは誰にも分からない でも、今できることを即実行・継続 これが将来を開く」というもの。先のことは誰にも分からないもの。だから、今できることを即実行し、継続する。それはそれでいいことなんだけれども、それが将来を開くかどうかは・・・。一昨年から昨年に掛けての入院で、エンディングノートを書かされて提出をしたが、それをさらにまとめた自分なりの「人生計画」を済ませた。遺書も書いた。固定資産台帳も作った。やりたい研究もほとんどやりつくした。先のことは誰にも分からないのだから、今年一年の計というものも思いつかない。だからこそ、今できることを即実行するしかない。今できることを精一杯やるしかない。そんな年頭所感である。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


二つ三つ山を隠して春の雨

2021年01月06日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置となるため曇っていた。午後からはときおり陽の光がこぼれていたがやがて雨になった。気温は5.5度から9.0度、湿度は74%から56%、風は3mから6mの西の風が少しばかり。明日の7日のさぬき市地方は、冬型の気圧配置となるため曇り、朝は雪が降る見込み。

 

 121/61/78 36.3c-95% 63.2Kg 22.0c-40%-1020hPa 体調に変化はない。依然として肩こりからか右耳が詰まっている感じと歯茎が腫れていて食事が辛い。

 

 肩こりだからパソコン作業をやめたら楽になるのだろうと思いつつ、2020年の会計処理。表題は2020年度にはなっているのに、この帳簿は2020年分会計帳簿である。

 

 こちらは銀行口座の会計帳簿。ここから引き出されたカード出金分はブラックスボックスになっているので、そちらは、「ウキウキ家計簿」で管理しているので、その帳簿と付き合わせて総合会計帳簿に整理する。

 

 それはさておき、今日は高松市内にある「香川県立ミュージアム」に出掛けてみた。我が家からは45分から1時間ほどの距離になる。

 

 今回の高松展では、重要無形文化財保持者(人間国宝)の作品42点をはじめ、受賞作品及び四国在住作家の入選作品など計200点を展示している。このうち、香川在住作家の作品が15点ある。展示点数は200点(内訳:陶芸37点、染織15点、漆芸80点、金工17点、木竹工18点、人形9点、諸工芸24点)である。 

 

 これが、日本工芸会総裁賞を受けた「乾漆平文蒔絵漆箱(かんしつひょうもんまきえうるしばこ)」の「氷壁」という須藤靖典さんの作品。吹雪で叩き付けられ岩壁に積もった雪が氷へと変化する、厳冬の静寂な夜が表現されている。

 

 時節柄か、入館者はぽつりぽつり。入館者には「マスク着用・せきエチケット遵守・アルコール消毒云々・・」の注意書きが渡される。(画像はネットから)

 

 これが東京都知事賞の「真珠光彩壺(しんじゅこうさいつぼ)」で中田博士さんの作品。螺旋状の曲線を描いて上昇していく稜線が口部分に集中して張りのある球状が微妙で心ひかれる。凛とした白磁色がその魅力をより強め、さらに細い線条に輝いている部分がある。単純なのになぜか見つめてしまった。

 

 これはNHK会長賞の「紙胎皺矢羽根文箱(したいしぼやばねもんはこ)」で人見祥永さんの作品。素材は京都黒谷の和紙で、木型に漆で貼り重ねた素地の上に、しわ寄せてから切ったパーツを矢羽根形に貼り合わせてある。東南アジア産の玉虫の翅を貼った青緑色に輝く帯と夜光貝の白い線が、凹凸のある和紙の面を引き締めている。

 

 こちらは、文部科学大臣賞を受けた「久留米絣着物(くるめかすりきもの)」の「光芒(こうぼう)」という松枝哲哉さんの作品である。藍のように深い暗闇の中に、夜空の星空に似た光がほとばしるような作品。白い木綿糸を括り、藍の濃淡で染めた糸を織り上げることで初めて現れる景色には、引き込まれるような深みがあった。

 

 今回の人形にはこころ惹かれる作品は見られなかった。

 

 最近、坂出市あたりから「マイ甲冑を作ろう」という運動があって、ロビーに、県下の中学生が作った「マイ甲冑」が展示されていた。戦う甲冑の形を借りたお絵かきみたいな漫画チックな甲冑が並んでいた。

 

 今日の掲示板はこれ。「生かさるる いのち尊し けさの春」という、町内の善楽寺にあったもので「中村久子」さんの句である。中村久子さんは、1897年、飛騨の高山で誕生し、三歳のとき突発性脱疽に罹り、両手両足を無くされた。中村さんは、その障がいの事実を真正面に引き受けて、人権意識が未成熟で障がい者への差別の厳しい、生きていくのも非常に困難な時代を、女性として、母として、そして何よりも一人の人間として72年の生涯を生き抜かれた。晩年詠まれた「手足なき身にしあれども生かさるる今のいのちはたふとかりけり」に、自己の「身の事実」を機縁として、真実の世界に目覚めていくという、中村さんの心の軌跡が窺える。 春は、全ての「いのち」をはぐくみ、育てる自然の営みの尊さをひとしお輝かせて見せてくれる。中村さんは、その中に生をうけ、生かされている自らに気づかされ、その事実によろこばれたことと思われた。目覚めるたびに今朝も生きているとの確認は、生かされていることの体感であり、実感であったのであろう。その体感が苦難の中を精一杯生きる力となったものと思われる。「今日のことば(句)」は、新しい春を迎え、あらためて人間の存在の真実を考えさせてくれるものであろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


蝋梅を切れば小雨で山煙る

2021年01月05日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇りとなっていた。気温は3度から11.1度、湿度は82%から56%、風は1mから4mの北西の風が少しばかり。明日の6日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 116/59/77 36.4c-99% 63.8Kg 20.2c-39%-1028hPa 体調には変化がないが、肩こりからか食事がうまく食べられない。

 

 今日は小寒。小寒は二十四節気のひとつで、寒さが厳しくなる頃。小寒には、寒中や寒稽古など、おなじみのことばがたくさんあるが、小寒の初日を「寒の入り(かんのいり)」といい、小寒と大寒のおよそ30日間(1月5日頃から2月2日頃まで)は「寒」「寒中」「寒の内」と呼ばれる最も寒さの厳しい時期。この時期に寒さをいたわる手紙が「寒中見舞い」である。

 

 さて、今年の讃岐の初詣の様子だが、分散参詣だとか幸先参りとかで大幅に人手は減少したみたいだが、香川県東部の与田寺や白鳥神社は少し減った程度みたい。田ノ口薬師が半分か。

 

 さて、この日曜日の10日に、この集落にある「山の神神社」の春の例祭になるらしい。で、私たちの班が当番になるので、御幣としめ縄を作らないといけない。ま、毎回、私しかできないので、私のお仕事になっている。まずは、御幣から始めるが、今年は障子紙を使ってみた。それを型紙に合せて切る。

 

 それを順繰りに折っていくと、御幣の形になる。これは基本型。神社によって御幣の形もさまざまらしい。

 

 秋の例祭のご神体の御幣に合せて竹を切りそろえる。

 

 それに、切っておいた御幣の紙を挟み込むと御幣になる。

 

 御幣の切り方で、「紙垂(しで)」で、紙垂とは、注連縄や玉串、祓串、御幣などにつけて垂らす、特殊な断ち方をして折った紙である。単に垂とも書いて、四手とも書く。 文献での紙垂の例として、古事記の天の岩戸伝承のなかで書かれている、岩戸の前で賢木の枝に下げた「白丹寸手(しらにきて)」「青丹寸手(あをにきて)」がその初出と言われているらしい。知らんけど。

 

 御幣や紙垂ができたら、山の神さんところに行って、古いしめ縄を外してくる。これが物差しになる。これと同じ長さのしめ縄を作るのである。

 

 こうして、持って帰った古いしめ縄。本殿用が1.5m、脇殿用が1m、注連縄柱用が4mの3本。合計6.5mの縄をなうことから始める。

 

 今日は寒いので室内での作業になった。リビングにブルーシートを敷いての作業になった。

 

 この「縄をなう」と言う作業ができる人がいなくなった。その需要がなくなったこともあるが、私は子どもの頃から自分用のわら草履を作らされたから、どうにかこうにか縄がなえる。その後すぐに、なわない機械が普及したし、安いロープも買えるようになったし。

 

 で、3時間ほどで3本の縄ができた。

 

 これに「さがり」という、七本、五本、三本のわらしべを結ぶので七五三縄(しめなわ)と呼ぶ。さらに、当日に、この間に「紙垂」を結ぶと完成する。今回は早めにしめ縄の準備ができた。これで一安心だ。いつも、わらがない、時間がない、あれがない、これがないとバタバタするのだけれど、今回はすんなりと終わった。

 

 今日の掲示板はこれ。「耐えてこそ つぼみふくらむ 梅の花」というもの。いつもの町内にある善楽寺さんの掲示板から。さて、この意味は、“寒さに耐えて 咲く梅は美しい。人間も苦労が多いほど 美しい花を 咲かせることができる。”という意味だろうか。作者は調べたけど判らなかった。昨年末にはこの冬は暖冬だなんて気象予報士が自信ありげに口を揃えていたが、ようやくに”寒の入り”に恥じない気温になってきている。ネットで調べると万葉集で萩についで多く出てくるのが梅で、合計すると119首もあるそうだ。この「耐えてこそ 蕾ふくらむ 梅の花」は、「梅ちゃん先生」の梅子の名前の由来であったが、梅の花は辛い時期に耐えて幸せを迎える象徴的な花なのかも知れない。ふと見ると他の木々も春の準備を始めているようだし、梅の花も紅梅も、少しずつだが花びらが開いているように見える。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


松飾り片付けているはや四日

2021年01月04日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は3度から10.1度、湿度は76%から62%、風は1mから3mの西南西の風が少しばかり。明日の5日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇る見込み。

 

 121/63/79 36.2c-96% 63.4Kg  18.1c-48%-1030hPa 体調に変化はないが、肩こりからか右耳が詰まっているようで気分が悪い。

 

 さて、三が日も終わったので玄関飾りや松飾りなどを片付けてしまった。

 

 植木に差してあった飾り物もみんな撤去した。

 

 それらはまとめて紙袋に入れて物置に片付けた。

 

 玄関飾りのコマやカルタやメンコなども片付けた。

 

 玄関飾りも片付けて、牛の置物だけにしておいた。いつまでも正月気分ではいたくないのだ。

 

 で、いつもの大窪寺にやってきた。ここに来ても私はお参りなどはしない。軽く一礼してご挨拶のみ。阿弥陀一仏信仰だからほかの仏さんに御用はないという意味。

 

 で、ずっと気になっていた、この写真。大窪寺の写真らしいが、こんな風景が見当たらないのだ。で、このお坊さんが誰で、いつ頃の写真なのかも分からない。ただ、「大窪寺」らしいというだけだ。

 

 境内をウロウロと歩いていて、「あ、これかぁ・・・」と思った。灯籠の位置が狭くなっているから感覚がわからなかったのかも。この「忠魂塔」の裏手に回ってみた。

 

 すると、「維時(これとき)昭和十三年五月建之(けんのう)」と刻んである。その下に、「大窪寺第六十三世 住職恵旭 後住密純」とあった。このことから、上の古い写真は昭和十三年五月のもので、右が住職の恵旭師で、左が後住の密純師だとわかった。

 

 大窪寺の文学碑はあらかた調べた積もりだったが、こんなところにも歌が刻まれていた。「空海の こころのうちに咲く花は みだよりほかに知る人はなし」と刻まれている。ま、空海さんが阿弥陀信仰だったという話は聞いているが、こんなにはっきりと刻まれているとは・・・と驚いた。ま、これは空海さんが詠んだ歌でないことは明白だが、東寺の御詠歌の一つにもなっている。

 

 こちらには、「ありがたや 高野の山の岩かげに 大師は今におはしまします」という歌で、これは天台宗総本山、比叡山延暦寺座主であられた慈鎮和尚の作である。弘法大師の教えが、真言宗のみならず、宗派を超えたものであった事がうかがえる歌であるという。

 

 帰ってからは、今度の日曜日に集落内の「山の神宮」のしめ縄造りを頼まれているので、その準備。まだ、稲穂が付いたまんまだから、これを一本ずつ指で扱(しご)いて稲粒を払い落としていく。これがまた、七面倒くさい仕事なのだ。そうこうしていたら日が暮れる。

 

 今日の掲示板はこれ。「死ぬるものと 誰も思はず 花の春」という正岡子規の俳句である。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板から。この句は、明治25年の「寒山落木」という俳句集に収められたもの。まだ、25歳で、帝国大学国文科を退学した頃のものらしい。まだ病気は発症しておらず、それこそ新聞社に入社して意気盛んな頃だったから、「死ぬるもの」とは正岡子規も思ってみない頃だったのだろう。でも、新年を迎えるたびに、老いはひたひたと忍び寄ってきている。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


客帰りはや正月も過ぎにけり

2021年01月03日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷の影響で夕方からは曇るらしい。気温は4.8度から9度、湿度は74%から58%、風は2mから6mの西の風が一時は強かった。明日の4日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 血圧121/69、脈拍78、体温36.2度、酸素濃度96%、体重64.2Kg、室温17.4度、湿度41%、気圧1027hPa、意識やや清明、尿量やや少なめ。

 

 弟たちも娘家族も朝早々に帰っていって、私ら夫婦がぽつんと残る。

 

 

 ということで、「和尚、ガッツだぜ!」ということで、「おしょうがっつ だぜ!」という、これまたお寒いおやじギャグ。

 

 こういうのもあった。「和尚、渇!」。さぶぅぅぅ・・・・。

 

 お正月の終わった我が家は、元通りに戻しておく。いつまでもお正月をひきずりたくはないのだ。

 

 外しておいたふすまを元通りにし、

 

 元通りの和室に戻しておいた。

 

 リビングにも掃除機をかけて、

 

 リビングも元どおりになった。

 

 いつもなら、正月三日はここに来ていた。東かがわ市にある「白鳥(しろとり)神社」であるが、初詣ではない。

 

 ここでは、毎年、こうした奉納新年弓道大会というものが行われている。

 

 私も少し前までは、神社の境内で弓道をやっていたことがある。それで、最近の弓道はどんなんかなぁということで、のぞきに言っていたのだが、今年は風もあるし、感染症のこともあるし・・ということでやめにした。

 

 しかしのかかし、こうした若者たちの鍛錬の成果を見るのも楽しみなものだった。

 

 彼らは高校生くらいなものだと思うのだが、案外と、これが的中しない。そんな、もどかしさで、10分かそこいらで帰ってくるのだったが、今年はどんなだっただろうか。

 

 今日のお昼は年明けうどん。昨日は少し食べ過ぎた感じだから、あっさりとおうどんにして、それだけになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「「もし」という ことばのうつろ人生は あなたに一度 わたしに一度」という俵万智さんの歌から。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。「サラダ記念日」で一世を風靡した俵万智さんの第二歌集。「かぜのてのひら」の、この歌集の一番の特徴は俵さんが4年間教師として勤め、そして退職した橋本高校での短歌にあるように思える。「はなむけの言葉を生徒に求められ「出会い」と書けり別れてぞゆく」。第一歌集の大ヒットによって思いもかけぬ人生の転機を迎えた歌人の戸惑いと、それでも自然な「変化」の中で生きてゆこうとする人生のドラマの記録がここにあるような気がする。「「もし」という言葉のうつろ人生はあなたに一度わたしに一度」歌人とは「詠う者」のこと。であるならば、ここにある短歌は俵万智さんの人生そのものなのであろう。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


あきらめもほどほどがよいお正月

2021年01月02日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて、概ね晴れていた。気温は4度から8度、湿度は72%から50%、風は2mから4mの西の風が少しばかり。明日の3日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込み。

 

 血圧119/58、脈拍79、体温36.7度、酸素濃度96%、体重63.6Kg、室温19.1度、湿度39%、気圧1024hPa、意識やや清明、尿量やや少なめ。

 

 さぬきのお雑煮。あん入り丸餅白味噌仕立て。娘家族とともにの朝食になった。奥方は「お赤飯」を蒸していて、水分量を間違ったとかで、お赤飯にはならなかった。今年二番目の大失敗。どうしたことだろうか。

 

 それが終わると、新年会の準備。我が家が二人、娘家族が三人、それに下の弟夫婦二人の計7人になった。だから、フィジカル・ディスタンスを考えてゆったり目に席を並べた。

 

 先付けはかずのこ、ごまめ、たつくりに自然薯。あっさりとしたものになった。昨年は、私が入院したためにひっそりとやったらしいが、一昨年には20人近くが集まったもの。今年は「新しい生活様式」のためか、簡素なものになった。

 

 とはいえ、メインディッシュは少しばかり張り込んだ様子。

 

 こういう感じで、7人の「お正月礼」という新年会。これが12時ごろから始まって、延々と18時くらいまで。途中、真ん中の弟も参加してくれて8人になった。

 

 やがてには、日本酒や焼酎も並んだが、すっかりとからっぽになっていた。

 

 あとは、恒例のカラオケタイム。飲んで歌ってまた食べて・・・。

 

 宴は21時まで続いて、きりがないので、そこで終わることにした。しかしのかかし、よく食べて、よく飲んだものだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「道 歩くから道になる 歩かなければ草が生える」という、相田みつをさんの言葉から。道は歩いてこその道である。歩き続けていれば道になる。歩かなくなったら草が生えて山になる。今日の新年会も「道」である。続けていくから「縁」がつながり、我が家への道ができる。これをやめてしまったら、縁は薄れ、我が家への道は途絶えてしまう。人もまた、歩き続けていればこその人生である。歩みをとめてしまったら、心の中に草が生えて目の前が見えなくなって道に迷い、人生に迷い、闇に迷うことだろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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