◎ 他力本願とは・・・・政治家の国会答弁などで「他力本願ではだめだ」などと発言し、これに対して誤った言葉つかいだと、本願寺教団が指摘するということが、過去に何度もありました。
ご承知のように、これは「他力本願」は「他人まかせ」だという誤解した解釈です。「広辞苑」にもまず第一に「他力本願」は「阿弥陀如来の本願」と述べ、最後に「転じて、もっぱら他人の力をあてにすること」とあります。親鸞聖人がいわれる「他力」とは、阿弥陀如来の力です。「人」ではなく、「仏」の力です。そして、「本願」は、「大いなる仏さまの願い」、なかでも「至心信楽の願」・ししんしんぎょうのがんといわれる「第十八願」です。
また、親鸞聖人は、「他力とは義(はからい)なきを義とす」といわれています。 私のはからいの入らないのが他力という意味ですから、他人の力をあてにするというはからいは、本来の他力の意味とは異なるのは、いうまでもありません。
つまり、あてにならない人間の力ではなく、どんなにおろかな人間でも救ってくださる仏さまのお力が、「他力本願」なのです。
野々村智剣著 きみょうむりょうじゅにょらい「正信偈もの知り帳」より
善然寺門信徒会日帰り旅行について・・・・・
10月22日 水曜日 今年は 網代の浄立寺さまへ参拝後 伊豆の修善寺方面へ行くことになりました。
善然寺 8時出発 夕方6時着の予定
後日 お彼岸のご案内と一緒に皆さまへご案内を出しますが ブログのよもやまばなしで先行案内
虹の郷 伊豆ワイナリーを見物の予定です。お一人でもご家族づれでも どしどしご参加ください。
めったにお参りできないお寺さんへお参りできますのが 何よりのお楽しみ
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また、親鸞聖人は、「他力とは義(はからい)なきを義とす」といわれています。 私のはからいの入らないのが他力という意味ですから、他人の力をあてにするというはからいは、本来の他力の意味とは異なるのは、いうまでもありません。
つまり、あてにならない人間の力ではなく、どんなにおろかな人間でも救ってくださる仏さまのお力が、「他力本願」なのです。
野々村智剣著 きみょうむりょうじゅにょらい「正信偈もの知り帳」より
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