武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

漱石のたまいて・・・

2011年11月07日 | Weblog

写真は「十ヶせぎ」と呼ばれている。ここ安曇野では欠くことのできない風物だ。
先人が開いてくれた水路で、ここは豊穣な米作の里となった。しかしその田んぼも最近は豆やそばの畑が増え、荒らしているのもある。時代だ。今は来春のお植えまで水路の水もゆったり流れている。
ゆったりと言えばバンコクの水が引かず大変らしい。日本のような山国だとドンドン海に流れ込むが・・・・・平坦な国はそうもいかない。

日本には「水に流す」と言う「ことざわ」がある。今までことはチャラにして・・・・と言うことだが、バンコクあたりでは生まれないことわざだ。
日本には水に関する「ことわざ」も多い。「我田引水」とか「水かけ論争」とか、100以上あると言う。
ことわざではないが・・・・水でひとこと。
夏目漱石の「草枕」に出てくる「情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくこの世は住みにくい」・・・・棹さすと言うのは、水の流れに棹をさしスムーズに流れることだ。漱石は情で動けば、世間一般と同じになってしまう・・・ということだ。
これは高給の文学者の考えで世間一般では、水に流したり水に乗っていかないと暮らせない。

なおまだケチをつけると漱石の時代の教員の初任給は8円。
漱石が松山に赴任した時月給80円。その時の校長より多かったとか。当時そばが一銭八厘だった。これは値段年表で調べました。・・・・床屋は8銭。最後はカルチャーの文化祭の版画の分です。