武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

この日の歴史

2014年12月14日 | Weblog
県の阿部知事は今年は漢字では「絆」と答えていた。
今年は県下災害が連発し、納得の漢字だ。かたや清水寺では「税」と書いていた。

税ののぎ編は「稲」のこと。片方はとぎおとすとかとるの意味らしい。昔、農民から年貢と言ってお米出させた。これが税のもとだ。だいたい取り上げるのが税だ。

だいたいこの年貢に対して不満を持ち立ち上がるのは凶作の時だ。ふだんはかなりがまんをしてるけど。

頃は文政八年。西暦1825年。もうすぐ200年になる。この12月14日の白馬神城から一揆がおこった。この間地震の被害にあったところだ。この年も凶作だった。藩では年貢をゆるめたりするが米の買い占めなどあり・・・・南に行く者、北へ行く者・・・今日も雪だけど当時はもっと降っただろう。
なぜ12月14日か?どうも一揆の発案者の中に知識通がいて、赤穂浪士の討ち入りにあわせたのではないかとも言われている。

この頃は藩の力も弱くなって、そく鎮圧とはいかず・・・・4日くらい暴れていたが、捕まったものは入牢・・・永牢もあったが死罪はなかった。

この記録がしっかり残っているのはルポした諏訪藩の藩士がいたせいである。みんな赤いミノをつけていたので「あかみの騒動」と普段は呼ばれる。赤と言っても山ブドウの茎を裂いてミノの材料にしてあるので、それが酸化すると茶色っぽくなる。これを赤と呼んだのだろう。