武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

初夢

2008年01月21日 | Weblog
もう二月になろうとしておりますが・・・・
初夢は正月2日の晩にみる夢のこと。紙に「ナカキヨノ・・・」と書いて舟をたたんで枕の下に入れてねる。うしろから読んでも同じになっている。
「一富士、二鷹、三茄子「」とも書いたという。
いい夢だったらとっておいて、悪い夢なら川に流すのだと。

わたくしは今年初夢をみたかどうか思い出せない。

かて飯

2008年01月20日 | Weblog
今は大町市に合併して大町市八坂というが、まだ村だった頃。学校のそば畑で描いたものを版画にしたものです。
坂が多くて田んぼが少ないから、昔からそばは大事な食料であったのだろう。今はそれでお客さんを呼んでいる。
村の文化祭には「そば食い競争」などやっており、生徒が勝手に私の名前で申し込み、やむなく出場した。何枚食べたか忘れたが、そばが固まってしまい、それに水をかけて食べさせられた。味合うこともない苦痛の競技だった。

どこでも明治以前は米が主流であったが、用水路など作られておらず収穫も少なく、そば・ひえ・あわ・きびなどを混ぜた「かて飯」が主流だったのだ。

塩の道挿話・・・米三升炊きの猫

2008年01月19日 | Weblog
横川の集落に残る民話。横川とは数件の集落であったが、今はもう誰も住んでいない。私の小さい頃は、冬期分校があった。雨飾山のふもとで峠を越えると新潟である。

「昔、横川で一軒の家が絶えた。そこに飼われていた猫がどこかへ消えた。一年たって隣の家にあらわれ、一升飯を食べた。二年目は2升。三年目は3升食べた。・・・その猫が雪道を迷った人を助ける。そんな話です。」

豆本でせまっています。4×4版です。

雪嶺

2008年01月18日 | Weblog
山はいつも変わらない。
ここのてっぺんが海だとか。長い長い悠久の時間がピンとこない。
下が常念、上が鹿島槍。最近いよいよぴりりとひきしまってる。
常念は高校の時燕から縦走して登った。鹿島も高校の時登ったが、それ以後は大谷原からと、爺経由で引率して集団登山した。といっても山へ行ってない人はどこだかわからないと思うが、たまには山頂もいいものだ。冬を除けば。白馬岳の登ったのが4年前で、あれから2000メートル上に行ったことがない。
最近じょじょに平地の動植物が人にひきずられ、上に上にあがっているというのが気がかり。

塩の道挿話・・・狩猟

2008年01月17日 | Weblog
「うさぎ」のことを書いたので、ついでに「狩猟」のこと。
私の中学の時の先生は散弾銃で狩猟をしていた。雪の校庭で撃たしてもらい弾を探したりしたことがある。肩への衝撃の感触は忘れない。
冬は雪で「肉」は狩猟にかかっていた。冬になると仕事もないので鉄砲もって山に行く大人衆がいた。「うさぎ」が「山鳥」が獲物で、大体うさぎの足跡を追ってだひとりで行くようだった。
熊はどこへ逃げるかわからないし向かってくるので、ねらう時は集団狩猟である。が、危険がともなうのでめったにしないようだった。
こどもは鉄砲のないので、わなをかけた。それは又後日。

まめ本・・小正月・・成人式

2008年01月16日 | Weblog
普通のまめ本というものより、やや大きめ。
昨日は15日。一昔は成人の日であった。
あれる成人式も報道がなければ静かなものだ。かなり前、勤務先で夏のお盆の成人式に出席した。女性が短い浴衣でおいでなすったり、男性がボードにのっていらしゃった。まあ、あばれるよりはいいのか・・・とか思っていた。外での記念写真が200人程がなかなか並ばないので、炎天下、にこにこしながらムカムカしていた。
ある村の担任した子どもたちが二十歳になり、成人式に呼ばれた。例年、講師を呼んで講演会をすることになっていたが、適当な人いないから、しゃべってくれと教育長(高校の同級生)にいわれにわか講演をした。成人者13名。来賓は村長はじめ20名くらい、汗をかいた思い出の成人式。
・・・・・・成人式二題でした。

うさぎ追いしかのやま・・・・

2008年01月15日 | Weblog
これは端板のラワン材を皿にしたものです。
四季のない土地で育った木材は年輪もないし、春夏秋冬の中で育ってないので塗料もよく吸う。
うさぎの追い子をやってる図であるが、このことで思い出すのは、一度撃たれたうさぎが木の根元に逃げ込んだのを追って、穴からひきずりだそうとした。その時、負傷していたうさぎだが、私を足をけりあげ、逃げる。こちらも必死で押さえ込もうとするが手に負えない。結局逃げられたが、その後鉄砲で撃たれお陀仏。生きるための、あの動き、キックなど野生のすごさを感じた。家で飼っていた「あんごら」など野生消失うさぎだ。自然世界に生きる動物のすごさが印象的で、いまだに思い出す。

十五少年漂流記

2008年01月14日 | Weblog
この物語を立体的にしようと二度ほど挑戦したのですが、うまくいかず・・・・
また新規ではじめました。いっきにいくと二の舞になるので、休み休み、ながめながめということで、みどりの部分を刷ったところまでです。
この物語の原題はたしか「2年間の休暇」といいました。14人の少年とひとりの黒人少年が船ごと流され、物語が展開するのですが・・・テレビなどない時代には、ワクワク感を読む少年少女に与えたことは、まちがいないと思う物語と思います。
少年たちが大統領を選ぶ時、黒人少年に選挙権が与えらていない場面があります。
これについて作者の人権感度を論評する記事もありました。

塩の道挿話・・・・まゆだま

2008年01月13日 | Weblog
正月14日の夕方になると、まゆ玉つくりがはじまる。米の粉でまゆのかたちや野菜のかたちや財布のかたちなど作った。それを「みずき」という木にさす。地方によって木はまちまちのようだ。
紅など使って、色がついたものが飾られるときれいなものだ。今とちがい家の中の彩が少ないから華やかな気持ちになったものだ。もともと、蚕のまゆのよい出来を祈ったものだから、養蚕が盛んになってから始まった行事だ。

これが終わると、次は「鳥追い」になるという順番。

鳥追い・・・2

2008年01月12日 | Weblog
[鳥追い歌]は土地、土地によっておもしろい。もう実際には歌われていないが、これを取材し記録して残してくれた先人の力は大きい。民芸もそうだが、人々の生活に焦点をあてたものは刻々と身体に刻まれて重いものだという気がする。

「苗代のすまっこに 鳥一羽ござる 追っても立たず たたいても立たず 立たずの鳥は田の神、田の神」とか
「西から東へ立つ鳥はおんどり、めんどり十三羽 羽が十六 目がひとつ 二つに割って・・・」
とか「一にこ 二にこ 三にこ 五葉松柳 柳のうらに 鳥や三羽とまって追っても立たぬ・・・」とか。