武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

塩の道挿話・・・鳥追い

2008年01月11日 | Weblog
正月15日の早朝は「鳥追い」である。
わたしの子どもの頃には、すでに消えていた。たまたま叔父が来て「昔はなああ、
こうやったんだ」とやることになった。
夜であったけど、こっぱ(雪かき)をたたいて歌を歌った。(歌は画面)
これが終わると、おかゆが用意されており子どもたちは、餅を入れてもらって食べ、その時のはしは「せえのはし」と呼ばれ、ものつくりに使った胡桃の木で、食べた後はとっておいて、春になると田んぼや畑の隅にたてて「もぐら除け」にしたそうだ。

塩の道挿話・・・味噌炊き

2008年01月10日 | Weblog
雪がとけて外の仕事がはじまる前に「味噌炊き」が始まる。日も縁起のいい日を選んだりする。今はほとんど消えてしまったが、大事な年中行事だろう。だいたい共同作業であった。一軒だと不経済なのと、大勢集まってにぎやかにやるのが楽しみだったのだろうか。機械が入る前は、炊いた大豆を足でつぶしたという。これが大変だったそうだ。
わたしの小学生の頃は機械を購入して大豆をつぶしていた。この時の香ばしいにおいは、今も忘れられないし、炊いた大豆はおいしかったものだ。

それをお盆に彫ってあるが、塗装の部分が光って見難いかもしれない。

塩の道挿話・・・青木湖の伝説

2008年01月09日 | Weblog
仁科三湖と呼ばれ一番北の湖です。
冬になれば水位が下がるのも、発電所などによる水利用よる。
ここは伝説のある湖である。この湖の主は赤牛だという。それは、ある百姓の家の赤牛が美しい子牛を産んだ。しばらくして東岸の百姓にもらわれていったので、子牛は母親恋しく泣きつづけた。それを聞いた赤牛は、恋しさあまって湖を泳いで渡ろうとして力尽きたという話である。
別に、武田信玄がこの湖に遊んだ時、かわいがっていた牛二頭のうち一頭を失った。その時、信玄はこの湖の主になれと唱えたと。

塩の道挿話・・・正月だるま 

2008年01月08日 | Weblog
これは穂高神社の正月風景です。だるまも売られている。
ここ二、三日、去年のだるまが「どんどん焼き」で燃やされている。
「どんどんやき」は「おんべ」とか「せいのかみ」「道陸神笑い」「さんくろう」とか、呼ばれ方は土地によってまちまちである。
北の方では「まつわらい」と呼んでいて、年男・年女がお金をまくのが楽しみであった。ただ雪が多いので探すのが大変だし、紙にくるんで投げるのでよけい見難かった。春になって雪がとけると、お金が出てきたりした。ラッキー。

昔は、こどもの行事には「大人の手出し・口出し御法度」の確認があって、こどもは公認された中で責任もって時を過ごしていましたが、戦後非行が多くなって、非行のきっかけ・火事の危険とかすっかり大人ペースになってきています。

塩の道挿話・・・・北越雪譜

2008年01月07日 | Weblog
江戸時代に書かれた本の題名である。作者は「鈴木牧之」という。

「年毎に丈余の雪を視ば何の楽しき事かあらん。・・・」という一節がある。
当時の雪国の様子をいろいろな角度から書いている。特にところどころに入るスケッチがおもしろい。雪の結晶や生活の様子が描かれていて興味深いが、長期間の豪雪の生活の苦しいことは昔も今も変わりない。

よだかの星・・宮澤賢治

2008年01月06日 | Weblog
「よだか」という鳥を見たことはない。
図鑑を参考にするしかないが、枯葉の中で、ほとんど地面に同化している姿である。
木にとまることがないせいか、足のつめは4本とも前に向いていて一本はひげを整えるために長いそうだ。地面でくらす鶏と違う点だと思ったが。そういえば鶏も放し飼いすると高い枝に登って寝ているから、もともと地面で生活してする鳥でないかもしれない。

中央市場

2008年01月05日 | Weblog
ブタペスト市の中央市場の入り口風景である。ここを入ると日本の学校の体育館が5,6個、それ以上かもしれない規模の市場である。野菜、果物とかセラミとかソーセージとか肉関係のものなど豊富にあった。観光客や買い物客がごってがえしていた。
地下に降りてみたら、わりと空いていて魚や漬物や古本屋があった。魚は海がないのでなまずとか鯉など水槽にぎゅうづめされていた。漬物らしいものを買って食べた。なんの野菜かわからないがピクルス風だった。
次の日は日曜日で休みということだった。年中休みがないとか、24時間営業とか、どこかの国と考え方が違うようだ。

庭の梅

2008年01月04日 | Weblog
ラジオ深夜便の鳥海昭子さんの句に

  澄みわたる正月五日庭の梅凛々としてひとつひらきぬ

うちの梅はそんな気配ありませんが・・・・・
器の柄に梅らしきもの入れて、バックは杉の板を使って木目を出してみました。

嫁が君

2008年01月03日 | Weblog
「嫁が君」とは正月の季語であり、この句は正月の句である。「嫁が君」とは方言でねずみのことだそうだ。
養蚕が盛んな頃はねずみは大敵で、蚕まで食い荒らされる。そこで猫が登場してバランスがとれるわけだが、人間も「ねずみ、ねずみ」と言ってると、本当にねずみが顔だしそうだので、こっそり「嫁が君」とねずみのことを呼んだ。そこからきたらしい。そう金田一先生の本に書いてあった。

あの其角にも「あくる夜のほのかにうれし嫁が君」という句もあった。

風の又三郎・・・・野分

2008年01月02日 | Weblog
吹き飛ばす石は浅間の野分かな   芭蕉

この時代の「野分」は台風をさしていて、現在の「野分」とちがうという。
少し、宮澤賢治の作品をと思い暮れからいじってました。又三郎とか校舎とか入れようとしたのですがうまくいかず、いっぺんの風景でなにかを感じとれるような創りにしてみました。

又三郎がいなくなって、木枯らしが草原に吹き始めました・・・・・