予告通りに、カブール空港付近で大規模な自爆テロ発生。可哀そうに急遽派遣された米兵や、国を捨てて生き延びようとするアフガニスタン人の多くが犠牲者になった。
二回目に駐在していた1990年代のロンドンは、アイルランドの過激組織IRA(アイルランド共和軍)による爆弾テロが頻繁に起きていた。実際に起きた事件もさることながら、虚実入り乱れた爆弾予告は日常茶飯事。実際に巻き込まれて重傷を負った知り合いもいる。当時働いていた金融街シティもその標的にされ、爆発によって職場から至近距離にあった高層ビル一棟が壊滅的な損傷を受けたことも(1992年4月10日)。そのビルには日系の金融機関も入居していた。
今でもそうかもしれないが、当時のロンドンのオフィスの窓は爆風を受けた時に可能な限りその衝撃を和らげるために内側に押し込まれるような構造になっていた。そのため、窓際は危険なので、デスクは窓から一定の距離をあけて設置されていた。この、自動車を使った爆発(IRAが好んだ方式)でも、自分が働いていたビルでも窓ガラスは壊れなかったものの内側にへこんでいたくらい強力。しかし、その後の自爆テロではさらに多くの犠牲者が出ているから、今になって思えばまだ小規模だったと言えるかもしれない。それに、IRA の場合、自爆テロのようなものはなかったように思う。
爆発が起きた瞬間、一時軍隊に在籍していたという同僚が、これは間違いなく爆弾だ、と言ったのを覚えている。自分にはそれがガス爆発なのか、あるいは何かが衝突したものなのかは分からなかったが、彼によれば爆弾による爆風あるいは衝撃というのは他とは違う一種独特なものだと。
警察による非常線が張られ、一時は止まっていた地下鉄が動き出すまでの埃の舞う中心街は、その9年後のニューヨーク同時多発テロの予告編だったように思える。
テロはその時は衝撃が大きいが、次のテロが発生すればすぐに忘れ去られてしまう。日本では実感が湧かないが世界はいまだにテロの脅威の下にある。