遠くに住む学生時代の友人から、コロナが収まり4年ぶりに帰郷するので会いたいというメールが来た。ついては、彼とは大学時代からの共通の友人二人にも会いたいので、夕食のアレンジをしてくれないか、という。普通に考えればいささか図々しい申し出だが、大学の4年間、暇なときには声を掛け合って何度も飲み歩いた友人たちだからまあお互い様、という感じで引き受けた。本来ならもう一人、こういう席には必ず顔を出す、いわば5人目の友人がいたのだが4年ほど前に肺炎で他界してしまったので、今回は4人でということになる。
こちらから声をかける二人、一人は大学で英米文化の講座を受け持っていて3年ほど前に退職し今は趣味のテニスと家庭菜園を楽しんでいる元教授、もう一人は都心に事務所を構えている弁護士。こちらの方は依然現役で民事・刑事の多くの事案をかかえ、自分も個人的な用件で(相続の際やいくつかの契約書のことなど)付き合いがある。ただ、彼のところは昔から、自由気ままが一番、ということで、事務員一人だけを雇っている小さな事務所だ。
この二人に声をかけた(というか、メールを送ってみた)ところ、コロナ禍からの反動か、弁護士の方は多忙を極めており、申し出のあった日は先約があり残念ながら参加できない、という返事。
元大学教授からは早速に参加の回答。その返事の中に最近凝っている家庭菜園の話があり、次いで、本棚で学生時代に出版された詩集が出てきて懐かしく読み返した、とあった。その詩集は、今度来る友人が中心になって出版したいわば同人誌だ。かすかな記憶だが、どうしても分量が足りないので詩でも随筆でも書いてくれないかと頼まれ「何か」書いたことがある。この同人誌、どこかにあるかもしれないと思い本棚をひっくり返してみたが見つからない。そのうえ一体自分は何を書いたか、全く思い出せない。そして、元教授から「君の詩も面白かった記憶があるよ」と一言。
ところで件の大学教授は、英文学を専攻することにしたのは、大学の教養課程(学部を決める前の一年半ほどを過ごす課程)の時代に西脇順三郎が好きになって、それで文学部に進学することにしたと。彼の高校時代の知人が、彼は高校時代英語の成績が抜群に良かったという話を聞いていたので、英文学を専攻するのはその時から決めていたのだと思っていたので意外だった。
詩の才能などは全くなく、したがって自分の書いたものが人の目に触れることなどありえないはずだったが、その時は断り切れずに何か書いたらしい。もっともこの元教授の友人は博覧強記ではあるものそれを鼻にかけることはなく、また、どちらかと言えば繊細な神経の持ち主だから次回の夕食の席でこちらが困惑するような、この詩の話をするほど無粋な男とも思えないのが救いだが・・・。