サンフランシスコの風さんから、便りが届いた。
聴覚障害の問題を多角的にとらえる場があるというのは、とてもうらやましい。
日本はまだ団体別分野別の集会、取り組みが中心だ。
我が国にも先進的に取り組まれている人はいるが、横の繋がりが弱いように思う。
オージオロジーの専門家も少なく、難聴児教育分野で発達したこと、高齢者施策の中でも、介護、徘かい問題優先で難聴問題は後回しにされてきたこと、成人難聴者団体の活動も啓発やコミュニケーション支援に集中せざるを得なかったことが一員だろう。
優れた取り組みや研究を実施するための条件が備えた環境も作りたい
ラビット 記
……………………………
その後お元気ですか。暑中お見舞い申し上げます、かな?それともまだうっとうしい梅雨の空?
7月2,3日と全米アジアン・デフ会議に参加してきました。この会議は同名のセルフヘルプ組織(NADC=National Asian Deaf Congress)が3年に一度行っているもので、今年は6月30日から7月4日までサンフランシスコのハイアットホテルで開かれました。
タイトルのとおり、これはアジア系アメリカ人、またはアジア諸国からの移民でデフ、つまり聾である人たちのための大会なのですが、白人でもアジアに関心の強い人、難聴者、健聴者でもアジアか聴覚障害に関心の高い人も参加していました。
わたしはこれまでHLAA(全米難聴者組織) 、ALDA(中途失聴者組織)などの大会に出てきましたが、アジアン・デフの大会が一番居心地よかったように感じました。もちろん姿形が似通ったアジア系が多かったことが一種の安心感をもたらしたこともありますが、この大会の参加者が非常にバラエティに富んでいたことが大きな理由です
。
老若男女あり、アジア系、白人、ラテン系、聾者、難聴者、中途失聴者、健聴者など、様々な背景をもつ人たちが集まっていました。難聴者で人工内耳をつけた人にも会いましたし、重度のデフでもはっきり話す人もいたし、日本からも参加者がいて、彼らは英語もアメリカ手話も完璧ではなかったと思いますが、こちらの人たちとよ
く交流をしていました。
午前、午後に2コマずつ、同時進行のワークショップが3つあり、アメリカでアジア人というマイノリティでありながら障害を持つことの意味を深く問うもの、障害者差別を人種問題に絡めつつ自分のうちにある差別意識を問うもの、聾の両親に生まれた健聴の子どもたちの心理問題を扱うパネルディスカッションなどを通して、突き詰
めれば、アジアという文化圏の美徳を再確認し結束を強めながら互いに切磋琢磨しあおう、という非常に肯定的な大会の基調が感じられました。
それにしてもすごいと思ったのはワークショップは全部で20近くはあったのですが、そのうち半数は博士号か修士号以上の持ち主で、アメリカの聾教育の裾野の広さを感じさせられました。
もちろん彼ら本人たちの並々ならぬ努力があったことは言うまでもありませんが。
わたしが参加したワークショップのひとつはシンディ・プルー博士の「聴覚障害者が学校や職場で成功するには」で、以前取り上げたセルフ・エスティーム(「健康的な自己イメージ」とわたしは訳しましたが、最近日本の友人が「自尊感情」という訳語を使っていました)をまさに取り上げた内容でした。
(2)につづく。
聴覚障害の問題を多角的にとらえる場があるというのは、とてもうらやましい。
日本はまだ団体別分野別の集会、取り組みが中心だ。
我が国にも先進的に取り組まれている人はいるが、横の繋がりが弱いように思う。
オージオロジーの専門家も少なく、難聴児教育分野で発達したこと、高齢者施策の中でも、介護、徘かい問題優先で難聴問題は後回しにされてきたこと、成人難聴者団体の活動も啓発やコミュニケーション支援に集中せざるを得なかったことが一員だろう。
優れた取り組みや研究を実施するための条件が備えた環境も作りたい
ラビット 記
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その後お元気ですか。暑中お見舞い申し上げます、かな?それともまだうっとうしい梅雨の空?
7月2,3日と全米アジアン・デフ会議に参加してきました。この会議は同名のセルフヘルプ組織(NADC=National Asian Deaf Congress)が3年に一度行っているもので、今年は6月30日から7月4日までサンフランシスコのハイアットホテルで開かれました。
タイトルのとおり、これはアジア系アメリカ人、またはアジア諸国からの移民でデフ、つまり聾である人たちのための大会なのですが、白人でもアジアに関心の強い人、難聴者、健聴者でもアジアか聴覚障害に関心の高い人も参加していました。
わたしはこれまでHLAA(全米難聴者組織) 、ALDA(中途失聴者組織)などの大会に出てきましたが、アジアン・デフの大会が一番居心地よかったように感じました。もちろん姿形が似通ったアジア系が多かったことが一種の安心感をもたらしたこともありますが、この大会の参加者が非常にバラエティに富んでいたことが大きな理由です
。
老若男女あり、アジア系、白人、ラテン系、聾者、難聴者、中途失聴者、健聴者など、様々な背景をもつ人たちが集まっていました。難聴者で人工内耳をつけた人にも会いましたし、重度のデフでもはっきり話す人もいたし、日本からも参加者がいて、彼らは英語もアメリカ手話も完璧ではなかったと思いますが、こちらの人たちとよ
く交流をしていました。
午前、午後に2コマずつ、同時進行のワークショップが3つあり、アメリカでアジア人というマイノリティでありながら障害を持つことの意味を深く問うもの、障害者差別を人種問題に絡めつつ自分のうちにある差別意識を問うもの、聾の両親に生まれた健聴の子どもたちの心理問題を扱うパネルディスカッションなどを通して、突き詰
めれば、アジアという文化圏の美徳を再確認し結束を強めながら互いに切磋琢磨しあおう、という非常に肯定的な大会の基調が感じられました。
それにしてもすごいと思ったのはワークショップは全部で20近くはあったのですが、そのうち半数は博士号か修士号以上の持ち主で、アメリカの聾教育の裾野の広さを感じさせられました。
もちろん彼ら本人たちの並々ならぬ努力があったことは言うまでもありませんが。
わたしが参加したワークショップのひとつはシンディ・プルー博士の「聴覚障害者が学校や職場で成功するには」で、以前取り上げたセルフ・エスティーム(「健康的な自己イメージ」とわたしは訳しましたが、最近日本の友人が「自尊感情」という訳語を使っていました)をまさに取り上げた内容でした。
(2)につづく。