大人のユーザーからみると、CIで聞こえる状況(人工内耳による音声コミュニケーションレベル)はまちまちです。もちろん、失聴歴も含めた個人因子や環境因子の影響がまちまちです。
なので、大人の世界では街頭や居酒屋、テレビがついている部屋では人工内耳での聞き取りが困難なので、静かな環境を探したり、磁気ループシステムの活用を図っています。
うるさいところでは耳を傾けたり、手を添えることは、眩しい時に目を光源から遮ろうとして、カーテンを閉めたり影のところに移動するのと同じくらい自然なことです。
難聴者は聞こえが常に明瞭でない環境で生活したり、仕事をしていますので、とてもストレスを感じています。
先週、ノルウェーのベルゲンで開催された国際難聴者会議では、そうしたストレスが身体の緊張に現れるので適度の運動によりリラックスすることの大切さが強調されていました。
医師や親の方は聞こえているので、その聞き取りの環境がいかに厳しいものかという認識が得にくいものです。オートリアにある人工内耳メーカーの広報担当者ですら、私たち難聴者が道路や強い雨の音で聞きにくい環境にあるということを忘れて話し続けていました。こちらのレストラン、カフェはとても暗く、相手の顔が見えないので難聴者、CIユーザーには暮らしにくい街と感じました。
補聴援助システムの活用や文字や手話による聴覚補償について、子供の頃から追求しないのか、家庭でも学校と同じように親もFMシステムを使ったり、テレビに送信機を接続したり、していらっしゃいますでしょうか。
子供の騒音下の聞き取り能力の向上も、静音下での聞こえの蓄積があってこそ、発達するのではないでしょうか。
あっ今のは自分の人工内耳をした子供が聞こえていないと親が気付いた時に不憫に思ってしまうのは言いにくいのですが、差別意識です。
親のそうした優位性を子供は敏感に感じとっています。子どもは聞こえているふりをすることで親の優位性を打ち消そうとします。あるいは、親の期待に応えるために聞こえる子供を演じます。
子供の精神的ストレスは相当強く、吐き気をもよおしたり、頭痛を訴えたりします。中には、自慰行為に走ったりします。
こうしたことを医師や親がもっと理解して欲しいと思う。
ラビット 記