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難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

テレビの字幕の遅れを考える

2009年04月06日 12時38分52秒 | 放送・通信
090402-220038TV.jpg090402-220316TV.jpgたまたま見ていたテレビで、昔の漫才師、タレントを紹介していた。

字幕放送の字幕が出ていたが、遅れに遅れて表示されていた。2、3分は遅れていただろう(実際はもっと短かったかもしれない)。前の漫才師の話の字幕が次の映像と音声にかぶっていた。

録画の字幕だったら、音声と同期するように調整されいただろう。この番組は今のタレントが昔の漫才を見てコメントする番組だったが、生放送の字幕だったのだろうか。それともぎりぎりで制作されたので字幕制作する余裕のないままオンエアーになったものか。事前制作する余裕のないときは、放送時に入力するので生放送と同じ形になる。

生放送の字幕はどうしても聞いてから入力するので遅れる。しかし、今回のようにこんなに遅れることは通常ない。

問題は、これをどう見るか。放送局は途中をはしょって字幕を出来るだけ追いつかせることもできただろうに、そうしなかったのはなぜか。早変わりする字幕だけ見ていれば字幕の範囲で分かるかもしれない。

省略すると、漫才師サイドから何故自分のだけカットしたのかとクレームが出るのを恐れたのか、それとも音声をそのまま字幕にしなければならないと思っていたのか。

字幕が必要な難聴者からは映像と音声が同期していることが望ましい。生放送の字幕だから遅れても良いのかというとそうではないだろう。字幕が遅れてはいけないのなら生放送の字幕放送は出来ないと言うのではなく、利用者の声を元に実現を図って欲しい。

映像と音声を遅らせて、字幕放送の字幕に同期する技術がある。2年前の視聴覚障害者向け番組のあり方を検討する研究会でこの技術がある放送事業者とシステムを開発したメーカーとで報告されたが、今の地デジ放送の放送設備を全て変えなければ対応できない、費用の負担ができないという他の事業者の意見もあり、日の目を見ていない。
実は、地デジの映像と音声はすでにアナログのより、数秒間遅れている。地デジで時報の放送は出来ない。

放送事業者は、ユーザーの立場で問題解決する視点が欲しい。


ラビット 記




難聴者の社会福祉の学習2年目 スクーリング

2009年04月05日 11時14分30秒 | 社会福祉の学習
090201-130428提出.jpg通信教育で受けていた介護福祉の1年目は年度末の試験と毎月のレポート提出で苦労したが、2年次に進級することが出来た。

2年次は、医学概論や障害福祉概論、介護概論、人間学など興味深い内容を学習出来るのは楽しみだ。

介護の実習を受ける為には、スクーリングの他に介護技術の講習を先に受けなければならず、勤務したままでは時間的に難しいと判断して、実習は来年に延ばした。国家資格試験の受験は2年後になる。

スクーリングは1年次は要約筆記の費用の負担を求めたが断られている。今年度も学校に要約筆記の負担を求めるが担当者に要望する文書を送るのではなく、校長宛に送ってみよう。
コミュニケーション支援、情報保障は講義を行う学校側が
保障する責任があるのは、当然だ。
交通機関のバリアフリー化は政府や自治体の補助を受けているにしても交通事業者の責任だ。その交通機関を視覚障害者や車いすの障害者が一日に何人利用するかでなく、いつでも利用できるようにすることに責任を負っている。
もし、通訳にかかる費用をその障害者の負担する受講料と比較でもしているなら、学校として受け入れる責任も必要性も理解していない。移動支援とコミュニケーション支援の違いも理解していない。
まして、社会福祉サービスを担う人材を養成する学校だ。差別があってはならない。
学校側はいつまでも責任を逃れられない。


ラビット 記




北朝鮮のミサイル!?!聴覚障害者は?

2009年04月04日 11時10分48秒 | 放送・通信
090328-230035.jpg朝からテレビは、ミサイル?ロケット報道だ。

先日のテレビでも解説していたが字幕放送はなかった。
防災無線で情報が提供されるが、聴覚障害者や難聴者にはきこえない。
どのように情報が伝えられるのか、政府や放送局はどう対応しようとしているのか見えない。

国家の一大事(とは思えないが)ですら、この有様では、地デジだの何だの言っても、聞こえない人は棄民なのか?


ラビット 記




永年勤続30年の難聴者の思い(3)

2009年04月04日 09時28分58秒 | 就労
090403-131608.jpg090403-131638.jpg3年前に異動になったのを機に、会社の会議に要約筆記を付けてもらうように要望した。これまでも何度か要望していたが担当者と日常的なコミュニケーションをしなければならなくなったので「決死」だった。認められなければ社長と差し違える覚悟だった。

毎週の課のミーティングに要約筆記が付くようになって、仕事の中身も流れも理解できるようになっていった。会議の内容が分かると普段の業務もコミュニケーションが楽になった。
人工内耳を付けて、ほぼ1年。職場には花粉症のマスクをした人が多いが、言っていることが分かるようになった。昨日も電車に乗り合わせた後輩の子育ての話が出来た。
上司の言い方にかちんと来るのも声で機嫌が悪いことが分かるようになって、ああ何かストレスがたまっているな、何かすぐ支援しようと思えるようになった。


このことから二つのことを学んだ。一つは聴覚でも文字でも、手話でも、普段の言語活動により人は思考し、成長する。だからコミュニケーション支援や聴覚補償は重要ということ。
もう一つは、難聴者が社会の中で生きていくためには、より高い自己実現を目指すには、難聴であることに自信を持つ必要がある。そのための考え方や必要なコミュニケーション技術や生活技術を学ぶ必要があること。
(続く)


ラビット 記






永年勤続30年の難聴者の思い(2)

2009年04月04日 01時06分41秒 | 就労
090402-125648.jpg090403-084029.jpg4月1日の表彰の時に、難聴の自分へのコミュニケーションの配慮を受けたことのお礼と農業・自然の恵みに連なる仕事をしている誇りを持てたことを御礼の挨拶で述べた。話す時間が短いのでこれで精一杯だった。

しかし、協会の会報にこのことを書こうとして、いろいろ考えてみると、仕事に関わる記憶が薄いことに気が付いた。
会社の20年史には、皆営業で顧客の開拓に苦労したとか、制度が変わって大変だったとか、誰々と朝まで飲み交わしたというようなことが書いてある。
しかし、同僚や上司との会話が全く記憶にない。会社の仕事の幾つかは覚えていても、体系的な知識がほとんどない。人脈や人柄、噂という情報が全くない。
これでは、透明人間だ。存在しなかったのと同じではないか。

入社する少し前に難聴者団体に入会したので、難聴者運動との関わりも30年になる。こちらの方は、聞こえの補償とコミュニケーション保障をしていて、誰がいつこういうことを言ったということを覚えている、何年にこういうことをしたということを覚えている。この違いは何か。
(続く)


ラビット 記




永年勤続30年の難聴者の思い

2009年04月03日 08時28分34秒 | 就労
090402-130715.jpg090402-130729.jpg一昨日の4月1日、勤務先で永年勤続の表彰を受けた。

皆の前でどう挨拶をしようか考えていたが、なかなかスタンスが決まらなかった。

30年前入社してから、社名は3度変わった。配属先は3回だけ変わったが一番長いのは工場勤務だった。23年間は工場で、3年前からが今の職場になる。
入社の時から、難聴であることはずーっとついて回った。就職試験、面接の時から、補聴器をどうするか、難聴であることをどう説明するか、悩んだ。会社には行った頃は今よりも聞こえていたが、それでも立ち話でも分からないことが多かった。

まだ工場勤務時代、仕事が終わって、上司に昏々と飲み屋で「諭され」たことがあり、同席していた夫人から「もう良いじゃない」と言われて解放されたが、何を言われたのかいまだに分からないままだ。

会議で聞こえないので手話通訳を何度も依頼したが、「今は会社の経営が厳しい」との一言で断られた。一回は障害のある子供を持つ上司の時、もう1回は会社役員の説得に抗して退職する際に残った有給休暇を消化した反骨な上司の時だった。そうした上司であっても、難聴者の会議に参加するための費用の支出を経営陣に説得するには至らなかったということだ。
それでも、ようやく手話通訳が付いたが異動でまた会議に通訳がいなくなってしまった。

仕事に関する情報は会議や日常の会話から入るが、会社が取引停止になる事故を起こした際も何が起きたのか分からずに数ヶ月が過ぎた。あとで分かってもショックも感じないくらいだった。

3年前、機会やコンピュータが相手ではないスタッフと仕事をする立場になって、「決死」の思いで要約筆記の派遣を求めた。
幸い理解のある上司のおかげで、要約筆記が毎週の会議に付くことになった。ももなく3年になるが会議の内容が分かることで仕事への意欲も責任が出てきた。

30年の勤務のうち最後の3年間が本当の勤務のような思いだ。
(続く)


ラビット 記