あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

脱原発への大きな一歩

2011-05-10 | 日記
浜岡原発の停止が決まった。
素直に喜んでいいのだと思う。
ボクの実家は静岡にある。浜岡からの距離は50kmぐらいだろうか。
ニュージーランドにいながら、一番気がかりだったことがこれだ。
父親は何十年も浜岡原発に反対をしていたが、これで一つ肩の荷が下りたことだろう。

物事の動きの方向を変えるのにはエネルギーが必要だ。
自転車である方向に進んでいる事を想像して欲しい。
あるところで反対方向に行かなければならないことに気が付いた。
その方法は二通りある。
一つはブレーキをかけ自転車を完全に停止させ、反転して走り始める。
もう一つは弧を描きながら徐徐に方向を変え、反対方向へ進む。
どちらがエネルギーの無駄がないかはちょっと考えればすぐに分かる。
弧が大きければブレーキをかけなくても惰性である程度の方向は変えられる。
原発推進派が言うのは前者である。
「原発を止めれば江戸時代の生活に戻らなければいけなくなる。だから原発は必要だ」
彼らには徐徐に方向を変えていくという考えはない。
今進んでいる方向へ猪突猛進。とにかくひたすらまっすぐ、加速しながら進んでいく。
その先にあるのは破滅だ。
これに対して原発反対派が望んでいることは急停止である。
仮に全てが止まればどうなるか?大混乱である。
自転車を止めて反対向きに走り出すのにエネルギーが必要なように、混乱を落ち着かせ平静を保つのにもエネルギーは要る。
混乱はない、もしくは出来るだけ少ないのが望ましい。
脱原発とは今あるエネルギーを使いながら、大きく弧を描きつつ向きを変えていくものだ。
今まで原発に反対だった人も、脱原発を唱えるようになっていくのではないだろうか。ボクがそうであるように。

脱原発に対し反対意見もある。
反対意見おおいに結構。
君の立場で言えば君は正しく、僕の立場で言えば僕は正しいのだから。
財界はじめ経済に関わっている人は反対するだろう。
経団連の会長が首相を強く非難した、というニュースがあった。
当然のことだろう。
経済というものの本質が、常に成長をし続けなければいけないものなのだ。
大量生産大量消費、どんどん作れどんどん使え、足りなくなったらもっと作れ。物でも電気でも。
古くなった物はドンドン捨てろ。使える物でも捨てて新しい物に買い変えろ。
安全性?経済の発展には多少の犠牲は止むを得ない。金で解決しろ。
そんなことより止まるな、進め、競争をしろ。
なんか猪突猛進の原発推進派と似てるところがある。
ともあれこれが経済というものだろう。
今まではそれでもよかった。
文明の進化には経済や合理主義や競争は必要だ。
だが時代は変わろうとしている。
そのターニングポイントが今だ。

脱原発の言葉の裏にはこれからのエネルギーをどうするのかという課題がついて回る。
新しいエネルギーの開発もそうだが、限りあるエネルギーをどのように使うか、ということだ。
そしてエネルギーだけではなく、物を消費するとはどういうことか、という質問へ続いていく。
個人の生活のスタイルも当然変わっていく。
今あるものをありがたく使い、ムダにしない。
自分を見つめ自分にできることをする。
大量生産大量消費の経済とはかけ離れていくことになるだろう。
浪費をしながらの脱原発はありえない。

今、日本という大きな船は大きく舵をきったところだ。
船に乗っていると、その時は分からないが後ろを振り返ると軌跡が見える。
舵をきって方向を変えた時には軌跡が弧となって見える。
舵を切り始めた時に見えないものも、時が経つに連れ見えてくるのだ。
大切なのはこのまま舵を切り続ける事。
そして時間はかかるかも知れないが、いつかは今とは別の方向へ向かって進むこと。
その時に軌跡を見て思うだろう。
『いろいろあったけど、まあこうなって良かったなあ』
それが脱原発だと思う。

コメント (2)
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