あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

チキンライス

2011-11-02 | 
うちはかなり美味い物を食う家だと思う。
美味いものと言ってもいろいろあるが、贅沢な食材を金に任せて買い揃えるわけではない。
自分に手の届く範囲で、手間をかけ旨い物を作る。
そして旬の物を食べる。旬のものは安くて美味くて、その物が持つエネルギーも高い。
たまに冷蔵庫に残っている食材でとんでもなく美味い物ができてしまうこともある。
単純なボクは「うお~、オレって天才!」などと叫びながら、自分の作った物を喜んで食う。
自分で作って自分で幸せになれるボクは、とことん幸せ者だ。
このようにアドリブで出来たものは、時間が経てば何を作ったかさえ忘れてしまう。
旨かったという思いは残っているが、「はて、あの時は何を作ったっけなあ」と、はかない陽炎のごとく。
その場で消えてしまうという点では音楽と同じで料理もライブなのだ。
だが1日3回、1年で1095回の食事の中で勝ち残り、記憶にとどまり定番レシピとなる料理もある。
最近の我が家のヒットはチキンライスである。
チキンライスと言ってもアジア風のチキンライスである。
え~、チキンライス?と思われるかもしれない。
たかがチキンライス、されどチキンライス。
これはシンプルなだけに奥が深い。
適当につくればそれなりだし、技法を凝らして作れば究極のご馳走にもなる。
ブログ1回分の話にもなりうるボリューム、とくとご覧あれ。



まず鳥である。
鳥は近くの肉屋で丸ごと買う。
そこにはオーガニックの鳥なども売っているが、値段が倍もする。
なので普通の鳥をまるごと。丸で買うと安いのだ。
それを捌いて骨と身に分ける。
ボクも最初は見よう見まねでやっていたが、回数をこなすうちに鶏の体の仕組みも分かり、うまく捌けるようになってきた。
余った皮はパリパリに焼き油を落とし皮せんべい。味付けは塩のみ。
骨は大鍋でスープを取る。丁寧に灰汁を取りながらスープが透明になるまで煮出す。スープで一緒に煮出すものは生姜とネギ。分量は適当。
このスープをチキンライスに使うのだが、余ったスープは何にでも使える。
中華風スープも良し。野菜を入れて煮込みカレーにしても良し。インスタントラーメンだってこれで作れば美味い。
スープを取ったガラにくっついている肉は、きれいにとっておけばこれでチャーハンができるし、マヨネーズであえても良い。
骨のすぐそばについている肉は魚でも肉でも鳥でも美味い、というのは美味しんぼの山岡司郎も言っている。
皮や軟骨は小さく刻んで鶏の餌に。
全く無駄が無く、しかも美味い。手間は多少かかるが、こういったことは人間が生きるための仕事である。
正しいシステムというものは、全ての面で上手くいくようにできている。



骨を外した身はタレを塗りオーブンで焼く。焼きすぎるとパサパサするので注意。
焼きあがった鳥から出る汁だって無駄にはしない。焼いた鳥を切り、その上に汁をかける。
米はタイ産のジャスミンライス。女房が色々試した結果、これが一番この料理に合うそうだ。
鍋に油を熱し、にんにくのみじん切りをどっさり炒める。
そこにお米を入れ軽く炒め、水の代わりに骨で取ったスープを入れる。
ネギと針生姜、塩とダークソイソース(中国の醤油)を入れてご飯を炊く。
家では普段から炊飯器を使わず土鍋でご飯を炊く。
炊飯器は確かに楽だが鍋で炊いた方が美味い。
慣れれば鍋でも問題なく炊ける。
このチキンライスをやる時は大きめの鍋にお米5~7合ぐらいで作る。
熱々のチキンライスも美味いが、残ったご飯で作るチャーハンもこれまた美味いからである。
パラっとしたジャスミンライスはチャーハンをやってもべたべたしない。
炊き上がったご飯に焼いた鳥を乗せソースをかける。
ソースは2種類。女房殿が開発したオリジナルソースだ。
一つはタイ風。ナンプラー、レモン汁、塩、おろし生姜、みじん切りネギ。上からコリアンダーを好みでふりかける。生の唐辛子なんかあったらなお良し。
もう一つは中華風。ダークソイソース、スイートチリソースを鶏ガラスープでのばす。
どちらで食べても美味い。
一皿でタイ料理と中華料理が両方味わえる。
焼いた鶏から出た汁がさらっとしたジャスミンライスにしみこむ。
ソースの程よい塩加減。
焼きすぎない鶏の食感。
コリアンダーの香り。
全てがバランスよく調和する。
これは旨いぞ。
人間は美味い物を食べると幸せになる。幸せは常にここにある。
ここでもハッピーバイブレーションだ。



全ての物を無駄なく残さず最後まで美味しく食べること。
これが生きていた物への供養である。
死んでしまった鳥に感謝し、タイで作られたお米に感謝し、生姜、ニンニク、コリアンダーなどの野菜たちに感謝。
それらの生の上で僕達は生きる。
そこに有る物を使い、その物の旨みを最大に引き出す。和食の真髄だ。
変に厳しくストイックにする必要はない。
無駄にせずに美味い美味いと笑顔で食うべし。
それが北村家流の供養であり、悟りへの道である。
今日も美味しく命をいただきます。

コメント (7)
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