あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

新しい波

2011-11-17 | 日記
夏の仕事が始まった。
何をやっているかというとガイドである。
「ガイドをやめたんじゃないの?」という声が聞こえてきそうだが、その通り、一度は辞めた。
2月のクライストチャーチの地震、そして3月の日本の地震以来、仕事は全く無くなった。
ガイドを辞めようと思っていたのでちょっと早くその時が来た、ぐらいに僕は思っていた。
冬の間は多少の仕事はあったが、NZの冬は短い。
春が来ても僕は無職のままだった。
その間にやったことと言えば、コンクリートを打って、木を切り根っこを掘り起こし畑を広げ野菜を育て、ニワトリの世話をし、石鹸を作り、犬小屋を作った(まだ未完成だが)ことぐらいだ。
幸い、うちは女房がフルタイムで働いているので何とかやっていけた。
仕事が無くなって、あせりや不安は無かった。
そのタイミングが来れば忙しく働くという漠然とした予感は常にあったからだ。
だがそれが何かはその時は分からなかった。
ただ与えられる仕事をしよう、自分が求められる事をしよう、という意気込みは常に持ち続けていた。
その瞬間ごとに自分がやるべきことをしようという思いだ。
それは時には野菜を作ることであったり、友達の味噌を売ることであったり、納豆を作って買ってもらったりと様々だ。
ある時、配達業務の人を募集している広告を見て応募をした。
ピンと来たわけではないが、ひょっとするとこれかなぐらいの思いがあった。
本当にその仕事がやりたいのかどうか気持ちは不安定だったが、その結果を待つ間、山に滑りに行った時に心が決まった。
どんなことであれ、自分に与えられた事を一生懸命にやろう。
決心をして、心が軽くなった。
数日後、その会社から連絡があった。
不採用だった。
落胆はしなかった。
僕がそこの会社で働くタイミングではないのだなと感じ、同時に別の場所で自分が求められるのだなと感じた。
これは9月の段階だったが、まだ自分が何をするのか見えていなかった。

ある人と仕事について話をしたが、その人はこう言った。
「仕事とは金を稼ぐもので、それ以外のものは全て趣味だ」
確かにそうかもしれないが、それはその人の考えである。
僕の考えは違う。
野菜を作るのも、石鹸を作るのも、トイレ掃除をするのも、料理を作るのも、外に出て働くのも全て人間が生きるためにありがたくさせてもらう仕事である。
石鹸は友人達も喜んで使ってくれるし、野菜や卵は多く取れれば知り合いに分ける。
自分の家族だけではなく、広い意味で人間が生きるためにする仕事なのだ。
お金をもらうということは二次的なもので、お金が生まれないからといって手を抜くものではない。
もちろんこの世はお金がなければやっていけないようにできている。
だからといってお金を稼ぐことだけに焦点をあてたくない。
お金は仕事をやった結果ありがたくいただくもので、荒く稼ぐものではない。
その人はことあるごとに自分が60になった時に働きたくないと言う。
今自分が働いている状況に喜びを見出せないのだろう。可哀そうだが仕方が無い。
僕は60になっても70になっても、その時に自分ができる仕事をしたいと思っている。
仕事とは年に関係なく、その時に自分ができることを喜びを持ってするものである。

ガイドを辞めた時に思った。
求められる場所で仕事をしよう。
仕事は皿洗いでも掃除でもドライバーでも何でもよい。
何をするかではなく、人間としてどうあるべきが大切なのだから。
ただどんな人でも、向き不向きはある。僕にIT関連の仕事をしろといっても無理な話だ。
同時に自分にしかできない仕事というものもある。
人が自分を求めるのならば、それが自分がやるべきことで、何か分からないがそれを一生懸命やろうと思った。
それは多分自分が駆けずり回って得るものではなく、毎日その瞬間に自分がやるべきことをやっていれば自然にやってくるものだとも思っていた。
これは予感というより確信に近いビジョンだ。根拠のない自信を僕は持っていた。
そしてその時は来た。
ある掲示板でドライバーガイド募集の広告を見た。
今回はピンと来た。
その会社の社長とは話をしたことがないが、そこで働いている人を何人か知っていた。皆、良い雰囲気を持った人ばかりだ。
スタッフの一人、ユタカとは先月一緒にブロークンリバーに行った仲だ。
こういう人が働く会社なのだから間違いはないだろう。
数回のメールのやり取りの後、会社の社長と会うことになった。
会って話を聞くと、地震の後スタッフが散り散りになってしまいガイドを探していると。
だがガイドになるといっても誰でもポンとなれるわけではない。
永住権や労働ビザをクリアーし、営業用の運転免許も取らなくてはならない。
この国のことや、旅行業界のことも覚えることはたくさんある。
お客さんをガイドする時の話術や接客態度など全てを教えるとなると大変なことだ。
僕のような経験者なら大助かりだと言う。
求められる所で仕事をしようと思っていた僕はもちろん異存なし、ありがたく受けさせてもらう。
僕は社長に言った。
「僕がガイドとして働くのは、会社のためではなくお客さんを幸せにする為です。それが結果的に会社にも自分にも良い影響を与えると思っています。あくまで優先順位はお客さん。決められた行程内で自分が出来ることでお客さんをハッピーにすることが最優先です。それでいいでしょうか?」
「うちとしてもそういう方針です。その考え方で全く問題はありません。それどころか大歓迎ですよ」
そういうわけでその場で採用された。
向こうは僕のような人が来てくれてありがとうと言う。僕は仕事にありつけてありがとうと言う。
お互いがありがとうという関係は気持ちが良く、システムが健全な証である。
そしてシステムが健全だと関わる人が全てハッピーになる。
自分がハッピーだと人も幸せに出来る。
お客さんにもそれは伝わり、お客さんもハッピーになり、チップもいただく。
仕事の後のビールは美味く、良いことづくめである。
社長、そして奥さんと話をしてみると、次から次へと色々なことが繋がり、まるでジグソーパズルがはまるように繋がっていく。
山やトレッキングが好きなこと。自然や食に関する考え方、人生観、話をするごとにジグソーパズルは埋まっていく。
今まで出会わなかったことが不思議なくらいだ。
だがオノさんの時がそうであったように、出会わないタイミングというものもある。そういう時にはどうしても会えないようにできている。
そしてお互いがその状態になれば、磁石が引き寄せあうように、いとも簡単に出会うものである。

さらに今の段階では詳しくは書けないが、僕の人脈からもっと面白いことが始まりそうな気配もある。
幸せのバイブレーション、波動は同調する人に伝わり、ジグソーパズルはどんどん大きくなっていく。
前の会社を辞めたこと、ニュージーランドと日本の大地震、ある会社に応募して不採用だったこと、全ては繋がり今の僕がある。
そして僕はワクワクしながら毎日の仕事に精を出す。
いったいこのジグソーパズルからどんな絵が出てくるのだろう。
実に楽しみである。

コメント (5)
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