僕は腰痛持ちである。
20代後半、アライでスキーパトロールをしていた時、きつい体勢で怪我人の搬送をおこなった。
その翌日、スタッフルームでブーツを履いている時にピキっときて動けなくなった。
無線で仲間を呼んで助けに来てもらうというありさまで、その後一週間は寝て過ごした。
まあ俗に言うぎっくり腰というやつだ。
それ以来、疲れが溜まると腰が痛くなる。
もうこれは一生つきあっていくものだと、半ばあきらめてはいる。
NZで住むようになっても腰が痛くなると鍼を打ったりカイロへ行ったりして、なんとかだましだましやってきた。
そんな時に出会ったのがオノさんだ。オノさんとの出会いは劇的だった。
クィーンズタウンの行きつけの店のトイレで隣同士で小便をしながら声を交わし、3分後には一緒にビールを飲んでいた。
オノさんの話は以前から人づてで聞いていたので、さっそく翌日やってもらって又一緒にビールを飲み、それ以来何年ものつきあいだ。
去年はオノさんの奥さんが日本語の補習校の先生で娘の担任だったりと、まあ家族ぐるみのつきあいなのである。
今回はもう1ヶ月以上も前になるが、忙しい夏が終わりかける頃、やはり腰が痛くなった。
女房はオノさんに見てもらえば?と言ったが、どうも違うような気がした。
なんとなくその時は連絡をする気にならなかったのだ。
腰の痛さを騙しながらツアーをして、クィーンズタウンで知り合いにマッサージをしてもらい、その時は事なきをえた。
そして仕事が一段落して、今度はなんとなく今がその時だと思いオノさんに連絡をした。
なんとなく、これは直感である。直感に沿った行動は全て上手く行く。
数日後の午後の最終に予約を入れてもらった。
いつものことながら、僕はその日の最後に予約を入れてもらう。
その後で一緒にビールが飲めるからである。
さてその日、いつものように施術用の服を着て、寝台にうつぶせに寝てゴリゴリとやってもらう。
カルテだと1年ぶり、去年の4月以来だと言う。
僕は1年に2回ぐらいは診てもらうようにしているが半年前は、オノさんに診てもらおうと思いつつ忙しい季節が始まってしまったのだ。
肩の辺りをグリグリと押されて僕は悲鳴をあげる。
「いたたたたた、痛い痛い!オノさん、痛いよ」
「そうだな、ここは痛いよな、でもなこう押さえるともっと痛いんだよ、ほら」
「あたたたたた、分かった分かった、分かりましたから」
そして力を抜く。
反対側も全く同じようにやり、そしてまた戻ってくると今度はそれほど痛くない。
その気持ちを察するようにオノさんが言う。
「あれ、もうほぐれちゃったのか、つまんないな」
この人は絶対Sだ。
そして腰。腰の横辺りをグリグリと押されると、痛いけどむずがゆいような場所がある。
そこもグリグリ、必死に耐えるがそこにオノさんが嬉しそうに言う。
「あれー、こんな所にもあったぞ、もうひとつ深い所だ、ほれ」
もう耐えきれない。言葉にならない悲鳴をあげる。
「うぎゃああああ!そこそこそこ。あやややや」
「今まで隠れてたな、もう見つけちゃったもんね」
確かに今まではその辺りで終わってホッとして黙っていた所があったのだ。でも隠していたわけでもない。
これからはここももっと深く揉まれるのか。
治るためにはいいことだけど、そこはすごおく痛いし、ちょっと複雑な心境である。
クィーンズタウンでやってもらったマッサージはオイルマッサージでその時に全身のコリをほぐしてもらった。
その時は全身ガチガチにこっていたようで、そんな状態でオノさんにグリグリやられたらと思うとぞっとする。あの時になんとなくオノさんじゃないと思ったのはこういうことか。
ただ、今回感じたのはオノさんの施術は深い所で効く。
その分、痛い。
だがその痛みは、良くなるための痛みである。
地球の脱皮に痛みが伴うのと同じ事だ。
そして又、いろいろなやり方があるのだと。
クィーンズタウンのオイルマッサージとオノさんの施術は、例えて言うならばヨガと気功の違いのようなものか。
どちらが上とか下とか言うものではない。その人に合ったものを選べばよいのだと。
痛いのはイヤだという人はいるだろうし、僕は全く気にならないがオノさんのしゃべりがどうも好きになれない、と言う人もいるかもしれない。
波長が合わない人とは無理に付き合わない。ただそれだけのこと。
僕はオノさんの施術が好きだし、その後で一緒に飲むビールも好きなのだ。
今度はちゃんと半年後に予約を入れよう。
20代後半、アライでスキーパトロールをしていた時、きつい体勢で怪我人の搬送をおこなった。
その翌日、スタッフルームでブーツを履いている時にピキっときて動けなくなった。
無線で仲間を呼んで助けに来てもらうというありさまで、その後一週間は寝て過ごした。
まあ俗に言うぎっくり腰というやつだ。
それ以来、疲れが溜まると腰が痛くなる。
もうこれは一生つきあっていくものだと、半ばあきらめてはいる。
NZで住むようになっても腰が痛くなると鍼を打ったりカイロへ行ったりして、なんとかだましだましやってきた。
そんな時に出会ったのがオノさんだ。オノさんとの出会いは劇的だった。
クィーンズタウンの行きつけの店のトイレで隣同士で小便をしながら声を交わし、3分後には一緒にビールを飲んでいた。
オノさんの話は以前から人づてで聞いていたので、さっそく翌日やってもらって又一緒にビールを飲み、それ以来何年ものつきあいだ。
去年はオノさんの奥さんが日本語の補習校の先生で娘の担任だったりと、まあ家族ぐるみのつきあいなのである。
今回はもう1ヶ月以上も前になるが、忙しい夏が終わりかける頃、やはり腰が痛くなった。
女房はオノさんに見てもらえば?と言ったが、どうも違うような気がした。
なんとなくその時は連絡をする気にならなかったのだ。
腰の痛さを騙しながらツアーをして、クィーンズタウンで知り合いにマッサージをしてもらい、その時は事なきをえた。
そして仕事が一段落して、今度はなんとなく今がその時だと思いオノさんに連絡をした。
なんとなく、これは直感である。直感に沿った行動は全て上手く行く。
数日後の午後の最終に予約を入れてもらった。
いつものことながら、僕はその日の最後に予約を入れてもらう。
その後で一緒にビールが飲めるからである。
さてその日、いつものように施術用の服を着て、寝台にうつぶせに寝てゴリゴリとやってもらう。
カルテだと1年ぶり、去年の4月以来だと言う。
僕は1年に2回ぐらいは診てもらうようにしているが半年前は、オノさんに診てもらおうと思いつつ忙しい季節が始まってしまったのだ。
肩の辺りをグリグリと押されて僕は悲鳴をあげる。
「いたたたたた、痛い痛い!オノさん、痛いよ」
「そうだな、ここは痛いよな、でもなこう押さえるともっと痛いんだよ、ほら」
「あたたたたた、分かった分かった、分かりましたから」
そして力を抜く。
反対側も全く同じようにやり、そしてまた戻ってくると今度はそれほど痛くない。
その気持ちを察するようにオノさんが言う。
「あれ、もうほぐれちゃったのか、つまんないな」
この人は絶対Sだ。
そして腰。腰の横辺りをグリグリと押されると、痛いけどむずがゆいような場所がある。
そこもグリグリ、必死に耐えるがそこにオノさんが嬉しそうに言う。
「あれー、こんな所にもあったぞ、もうひとつ深い所だ、ほれ」
もう耐えきれない。言葉にならない悲鳴をあげる。
「うぎゃああああ!そこそこそこ。あやややや」
「今まで隠れてたな、もう見つけちゃったもんね」
確かに今まではその辺りで終わってホッとして黙っていた所があったのだ。でも隠していたわけでもない。
これからはここももっと深く揉まれるのか。
治るためにはいいことだけど、そこはすごおく痛いし、ちょっと複雑な心境である。
クィーンズタウンでやってもらったマッサージはオイルマッサージでその時に全身のコリをほぐしてもらった。
その時は全身ガチガチにこっていたようで、そんな状態でオノさんにグリグリやられたらと思うとぞっとする。あの時になんとなくオノさんじゃないと思ったのはこういうことか。
ただ、今回感じたのはオノさんの施術は深い所で効く。
その分、痛い。
だがその痛みは、良くなるための痛みである。
地球の脱皮に痛みが伴うのと同じ事だ。
そして又、いろいろなやり方があるのだと。
クィーンズタウンのオイルマッサージとオノさんの施術は、例えて言うならばヨガと気功の違いのようなものか。
どちらが上とか下とか言うものではない。その人に合ったものを選べばよいのだと。
痛いのはイヤだという人はいるだろうし、僕は全く気にならないがオノさんのしゃべりがどうも好きになれない、と言う人もいるかもしれない。
波長が合わない人とは無理に付き合わない。ただそれだけのこと。
僕はオノさんの施術が好きだし、その後で一緒に飲むビールも好きなのだ。
今度はちゃんと半年後に予約を入れよう。