あなたの周りにもいるだろう。すぐに「お金がない」と言う人。
この前友達と話をしたのだが、ある人は定期的な家賃収入があり車も家もある。
毎年のように日本に帰っていて、その友達よりはるかにお金はあるようなのだが「お金がない」と言い続けていると。
そう言われてみれば、自分の知り合いにもそういう人はいるなあ。
そういう人はどれだけお金があってもお金がないと言い続けるんだろうな。
もし世界が百人の村だったら、という詩から引用する。
銀行に預金があり
財布にお金があり
家のどこかに小銭が転がっている人は
8人のうちの1人です。
自分の車をもっている人は
7人のうちの1人です。
だそうな。
一体、何をもってお金が無い、お金があると言うのか。
それは心の奥にある恐怖。
お金がなくなるかもしれないという恐怖。
お金がないと生きていけないという恐怖。
そしてまた、その恐怖は意図的に植えつけられたりする。
以前ある年輩の人がこう言っていた。
「今、日本では仕事がなくてお金がなくて食うのにも困っている人がいるんです」
ふむ、確かにそういう人は居るかもしれない。
「では、あなたの周りや友人にそういう人はいますか?」とは聞かなかった。
たぶんいないだろう。
それはテレビで流した情報だろうな、と思い話題を変えた。
あえて聞く。
本当に仕事はないのか?
答はイエスでありノーであるだろう。
田舎へ行けば、人間が生きていくために必要な食料を作るという大切な仕事はいくらでもある。
また3食昼寝つき時給5000円という仕事はない。
金のことは置いといて生きて食っていくための仕事はある。
楽して金儲けをする仕事はない。
まあ、こういうことだな。
仕事という物を金儲けだと思う人や企業にはこれからどんどんつらい世界になっていく。
今の世の中、日本に限らず都市部ではお金がないとやっていけないようなシステムになっている。
お金に依存した消費型の社会だ。
では聞こう。
今あるシステムの延長線上に明るい未来が見えるのか?
僕には見えない。
見えないのでこう思う。
こんなシステムぶっ潰しちゃった方がいいじゃん。
どうせこのまま進んでいけば、大地震か隕石か大火山か、もしくは世界戦争か放射能汚染、いずれかの理由で人類は絶滅する。
「そんなことあるわけないじゃん」と言う人よ。
思い出せ。
今までに何度も人類は同じ経験をしていることを。
ノアの方舟は単なる作り話ではない。
洪水が来るぞ、とノアが叫んでも人々はその声に耳を傾けず、最後の瞬間まで略奪、姦淫、享楽、怠惰な生活をやめなかった。
今がその時だ。
人類が絶滅するぐらいならば、今あるシステムなど潰してしまったほうがいいと僕は思う。
まあ、遅かれ早かれ金融のシステムは崩壊する。
大混乱は来るだろう。
金があるのに「金がない」と言っている人には何を信じていいのか分からないだろう。
たくさんの人が死ぬだろう。
それも仕方なかろう。
死という物が終わりだと思う人には死は恐怖だが、僕にとっての死とは脱皮して新しい世界へ行く事なので、死ぬ人も可哀そうだとは思わない。
ただ気づかずに死んでいく人は、『もう一度同じ事をするのか大変だな』という意味で可哀そうにと思う。
こういう事を書くとやれ陰謀論だ、やれ都市伝説だ、で終わってしますのだが陰謀論も都市伝説も現実を少しだけ混ぜて薄めてある。
何の為に?
気づかせないために。
「単なる迷信だよ。そんなことが起こるわけないじゃん。そんなこと本気で信じてたら生きていけないぜ」
と人々に言わせたいのだ。
「そんなことより新しい○○が出たよ」
「そんなことより、もっと金を稼ぐ事を考えなきゃ」
情報は操作され人々の意識もコントロールされる。
コントロールされている人はその事に気づかない。
それが洗脳だ。
御岳の噴火が最近起きたが、このように今までなかった事が起こるのだ。
クライストチャーチの地震もそうだった。
シンクホール、地割れ、強風、洪水、日照り、火山、地震、これらは全て地球からのメッセージだ。
今まで起こらなかったことがこれから起きますよ、というメッセージなのだ。
そろそろ目を覚ます時じゃないか?
自分の事だけ考えて「金がない」って言ってる場合じゃないだろう。
その先にあるのは破滅だぞ。
崖に向かって全力疾走している自分が見えないか?
世界の終わりが来たら・・・それはそれでしょうがないかな。
愚かな人間のやる事で破滅ならばそれも又、自然のなりゆき。
先にも書いたが僕自身は死に対する恐怖はない。
だが、今まで築き上げたこの世界が崩壊するのを見るのは辛いであろう。
美しい自然や人類が作り上げた数々の遺産、そういったものがすべて崩れ去ってしまう。
それは悲しいな。
それを見たくないが為に僕は生きる。
大難を小難にするため。
ここまで来て無難というわけにはいかないだろう。
何かしらは必ずある。
それが何か、分からない。
分からないから面白いとも言える。
その為に瞬間ごとに自分ができる事をやるのみ。
さすれば結果は後からついてくるだろう。
この前友達と話をしたのだが、ある人は定期的な家賃収入があり車も家もある。
毎年のように日本に帰っていて、その友達よりはるかにお金はあるようなのだが「お金がない」と言い続けていると。
そう言われてみれば、自分の知り合いにもそういう人はいるなあ。
そういう人はどれだけお金があってもお金がないと言い続けるんだろうな。
もし世界が百人の村だったら、という詩から引用する。
銀行に預金があり
財布にお金があり
家のどこかに小銭が転がっている人は
8人のうちの1人です。
自分の車をもっている人は
7人のうちの1人です。
だそうな。
一体、何をもってお金が無い、お金があると言うのか。
それは心の奥にある恐怖。
お金がなくなるかもしれないという恐怖。
お金がないと生きていけないという恐怖。
そしてまた、その恐怖は意図的に植えつけられたりする。
以前ある年輩の人がこう言っていた。
「今、日本では仕事がなくてお金がなくて食うのにも困っている人がいるんです」
ふむ、確かにそういう人は居るかもしれない。
「では、あなたの周りや友人にそういう人はいますか?」とは聞かなかった。
たぶんいないだろう。
それはテレビで流した情報だろうな、と思い話題を変えた。
あえて聞く。
本当に仕事はないのか?
答はイエスでありノーであるだろう。
田舎へ行けば、人間が生きていくために必要な食料を作るという大切な仕事はいくらでもある。
また3食昼寝つき時給5000円という仕事はない。
金のことは置いといて生きて食っていくための仕事はある。
楽して金儲けをする仕事はない。
まあ、こういうことだな。
仕事という物を金儲けだと思う人や企業にはこれからどんどんつらい世界になっていく。
今の世の中、日本に限らず都市部ではお金がないとやっていけないようなシステムになっている。
お金に依存した消費型の社会だ。
では聞こう。
今あるシステムの延長線上に明るい未来が見えるのか?
僕には見えない。
見えないのでこう思う。
こんなシステムぶっ潰しちゃった方がいいじゃん。
どうせこのまま進んでいけば、大地震か隕石か大火山か、もしくは世界戦争か放射能汚染、いずれかの理由で人類は絶滅する。
「そんなことあるわけないじゃん」と言う人よ。
思い出せ。
今までに何度も人類は同じ経験をしていることを。
ノアの方舟は単なる作り話ではない。
洪水が来るぞ、とノアが叫んでも人々はその声に耳を傾けず、最後の瞬間まで略奪、姦淫、享楽、怠惰な生活をやめなかった。
今がその時だ。
人類が絶滅するぐらいならば、今あるシステムなど潰してしまったほうがいいと僕は思う。
まあ、遅かれ早かれ金融のシステムは崩壊する。
大混乱は来るだろう。
金があるのに「金がない」と言っている人には何を信じていいのか分からないだろう。
たくさんの人が死ぬだろう。
それも仕方なかろう。
死という物が終わりだと思う人には死は恐怖だが、僕にとっての死とは脱皮して新しい世界へ行く事なので、死ぬ人も可哀そうだとは思わない。
ただ気づかずに死んでいく人は、『もう一度同じ事をするのか大変だな』という意味で可哀そうにと思う。
こういう事を書くとやれ陰謀論だ、やれ都市伝説だ、で終わってしますのだが陰謀論も都市伝説も現実を少しだけ混ぜて薄めてある。
何の為に?
気づかせないために。
「単なる迷信だよ。そんなことが起こるわけないじゃん。そんなこと本気で信じてたら生きていけないぜ」
と人々に言わせたいのだ。
「そんなことより新しい○○が出たよ」
「そんなことより、もっと金を稼ぐ事を考えなきゃ」
情報は操作され人々の意識もコントロールされる。
コントロールされている人はその事に気づかない。
それが洗脳だ。
御岳の噴火が最近起きたが、このように今までなかった事が起こるのだ。
クライストチャーチの地震もそうだった。
シンクホール、地割れ、強風、洪水、日照り、火山、地震、これらは全て地球からのメッセージだ。
今まで起こらなかったことがこれから起きますよ、というメッセージなのだ。
そろそろ目を覚ます時じゃないか?
自分の事だけ考えて「金がない」って言ってる場合じゃないだろう。
その先にあるのは破滅だぞ。
崖に向かって全力疾走している自分が見えないか?
世界の終わりが来たら・・・それはそれでしょうがないかな。
愚かな人間のやる事で破滅ならばそれも又、自然のなりゆき。
先にも書いたが僕自身は死に対する恐怖はない。
だが、今まで築き上げたこの世界が崩壊するのを見るのは辛いであろう。
美しい自然や人類が作り上げた数々の遺産、そういったものがすべて崩れ去ってしまう。
それは悲しいな。
それを見たくないが為に僕は生きる。
大難を小難にするため。
ここまで来て無難というわけにはいかないだろう。
何かしらは必ずある。
それが何か、分からない。
分からないから面白いとも言える。
その為に瞬間ごとに自分ができる事をやるのみ。
さすれば結果は後からついてくるだろう。